世界で1番!幸運な2人


私と恋仲である善法寺伊作は、保健委員会の委員長をしている。保健委員会といば、不運な運命にあるという生徒が集まるというとても不名誉な委員会で、伊作はその保健委員長を務めている。
彼は保健委員長に相応しく、薬学や医学に通じており、怪我人や病人を放っておけないとても優しい男だ。忍者には向かない性格であっても、私は彼を好いている。
だが、不運委員長などと呼ばれるくらい学園一不運な男でもある。食堂で好物のおかずがある定食を食べ損ねたり、競合区域に一歩でも入れば綾部の掘ったタコ壺にはまり、風呂はいつも最後の頃にしか入れない……そんな不運な毎日を送っている。
不運にも負けず、笑顔を絶やさない伊作を心から尊敬しているが、今日ばかりはどうしても彼を不運な運命から護りたい。幸運を伊作に届けたい。だって今日は、伊作と私が付き合って丁度1年目の日なのだから。……伊作は毎日忙しいから、覚えていないかもしれないけれど。

「―――そういうわけなので、食堂のおばちゃん、ぜひ協力してください」
「そういう事なら任せておいて」

私は今朝早くおばちゃんにこっそり頼み、伊作の好きなふわふわのオムレツのあるB定食を1食分残しておいて貰うことにした。普段なら、予約をして定食を取っておくなど実力重視の学園生活では出来る事ではない。しかし、いつも食べ損ねてしまう好物の定食が幸運にも1つ残っていると知ったら、きっと伊作は喜んでくれる。小さな幸運は、伊作にとって大きいはずだ。
私は保健室で日課の委員会活動をしている伊作を呼びに行った。

「伊作、もうそそろそろ朝食よ。早く行きましょう」
「でも、まだ包帯を巻き終えていないんだ」
「大丈夫。私が後でやっておくから。また食べ損ねてしまったら困るでしょう?」
「そうかい?それじゃあお願いするよ」

ちなみに私も保健委員会の一員だが、不運な目にあった事は無い。保健委員会らしからなぬ委員と呼ばれているけれど、むしろそれは普通なんじゃない……?
伊作と一緒に食堂へ行くと、既に生徒たちで溢れていた。おばちゃんの料理はどれも美味しいし、自分好みの定食を食べ損ねたら困ると皆必死なのだ。
味噌汁や焼き魚の香ばしい香りで食堂は満ちている。それだけでお腹が鳴ってしまう。
私はおばちゃんに目で『お願いします』と訴えれば、おばちゃんも頷いてくれた。伊作の好きなB定食は既に準備されている。後は伊作の満面な笑顔を間近で見つめるだけだ。
そう思っていたのに、メニューを見た伊作は―――





おばちゃん、A定食ください





と言った。
伊作の予想外の言葉に、私もおばちゃんもはたと動きが止まってしまう。

「伊作……」
「ん?どうしたの?」

伊作は普段通りの様子で私に尋ねた。いや、私の方が聞きたいくらい。
A定食と言われたおばちゃんが戸惑っているのを見て、伊作はハッとして困った顔になった。

「もしかして、もうありませんか?A定食……」
「え?あ、そんな事ないわよ。A定食ね。用意するからちょっと待っててちょうだい」
「はい!」

おばちゃんはいそいそと出来たての湯気立つご飯を盛りつけ始めた。私は伊作にそっと聞いてみる。

「伊作って、オムレツは嫌いだった?」
「え?そんな事無いよ。オムレツも好きだけど、A定食の鮭の焼き魚の方が好きだったから」

何て事……。鮭の焼き魚の方が好きだったなんて全く知らなかった。1年も伊作の傍にいたのに……!そして、私もオムレツより鮭の方が好きだ。

、どうかした?」
「だ、大丈夫よ。何でもないから」
「そう……?」

伊作は少しだけ不思議そうにしていたが、おばちゃんに食欲がそそるA定食を手渡されて笑顔になった。笑顔になってくれたのは嬉しいけれど、素直に喜べない。伊作には幸運を味わって欲しかったのに……。
私はおばちゃんに取っておいてもらったB定食のオムレツをつつきながら、次なる作戦に移す事を決めた。そう、私の幸運作戦はこれだけではない。小さな幸せが集まってこそ、幸運な一日と呼べるのだから。















朝食を終えて保健室で包帯を巻いた後、私は次なる作戦の場所へやって来た。そこは競合区域で、綾部がタコ壺を掘っている場所だ。天才的トラパーと言われるだけあり、綾部のタコ壺には毎回色々な生徒がひっかかっている。だが、ダントツで伊作や保健委員のメンバーが穴に落ちている。……それにしても、私も保健委員なのだけれど、今思えば一度も落ちた事が無いな……。
競合区域である中庭の前にある廊下に腰掛けているのは、伊作と同室の食満だった。土に汚れた鋤を持っている。まるで普段の綾部のように制服は土で汚れていた。

「お、来たな」
「手伝ってくれてありがとう。本当に助かったわ」
「礼には及ばねぇよ。普段からやってる事だしな」
「だけど、ここにある全てのタコ壺を埋めるのは大変には違いないもの」
「それはそうだな」

食満は苦笑いを浮かべた。
実は、もう直ぐここを伊作が通るのだ。厠の落とし紙を補充するためである。普段から保健委員会の仕事は忙しいので、一番の近道であるこの場所を通った方が効率が良い。
私は昨日から綾部にこの辺りでタコ壺を掘るのを止めて欲しいと頼んだ。綾部はとても嫌そうな顔をしていたが、プリンを差し出したらアッサリと言う事を聞いてくれた。対綾部にはプリンが良いという仙蔵の助言は本当だった。時代背景は無視した
で、食満には綾部の掘った穴を埋めてもらった。彼は用具委員長として、綾部が残した膨大なターコちゃんシリーズをを毎度手間をかけて埋めている。その内、綾部ごと埋めてしまいそうな気がしてならない

「ここにあるタコ壺は全部埋め終わったからな。流石の伊作も、無い穴には落ちられないだろうよ」
「そうね。ところで、この前の実習大変だったって聞いたけど、大丈夫だったの?敵の城に罠がたくさんあったらしいじゃない?」
「思い出したくもないくらい酷いもんだった。そこはそこそこ罠が仕掛けられているっていう城の地下だったんだが……、伊作と一緒に入った途端、インディー・ジョーンズも真っ青の大冒険になっちまったよ
「それは……お気の毒。だけど、伊作だって流石に穴が無いところには落ちたりしないはずよ。ここを通っても無事でいられたら、きっと伊作も幸運に巡り合えたって思ってくれるでしょう」
「ああ。伊作も幸せな一日を過ごせたって感謝すんだろ」

そんな事を話しながら、私と食満は物影に隠れて伊作が通るのを待っていた。
ところが……。

「おかしいな。今の時間帯なら、伊作が通っても良いはずなんだが……」
「確かにそうよね……」

伊作はいくら待っても、この競合区域にはやって来なかったのである。もう夕方になってしまった。っていうか、私たちも良くここまで待ったものよね。
首を傾げていると、そこへ乱太郎がやって来た。

「あ、先輩たちこんにちは。ここで何をされているんですか?」
「乱太郎、伊作を見なかった?」
「伊作先輩ですか?伊作先輩だったら、新野先生に急に用事を頼まれてどこかに行かれましたよ」
「え……?!」

またも私は伊作に幸運を呼ぶ事が出来ないなんて……!どうしてこんなときばかり伊作は用事を頼まれてしまうの……。

「ドンマイ……」

食満がポンと私の肩を労わる様に叩く。でも、私の心は晴れなかった。
こんなところで私は諦めない。こうなったら、何が何でも伊作に幸せになってもらうわ。















私は最後の作戦を決行する事に決めた。最後は伊作に一番風呂に入って貰う事。誰だって一番風呂に入れたら、とても良い気分になれるはず。一日の最後が良ければ、全部良く思えるわよね。終わりよければ全て良しって言うし。
今日は私が風呂掃除番だから、自由に風呂の手配をするのは簡単だった。皆には一時間遅く焚くと伝えてあるから、混雑する時間をずらせたと思う。皆にも協力して貰って、伊作がきっと1番に入れる。

「しんべヱ、頼んでおいたはぁぶを風呂に入れておいてくれた?」
「はい!バッチリです!」

しんべヱに問うと、真ん丸の顔でにっこりと無邪気に笑った。
南蛮では、はぁぶと呼ばれる葉を風呂に入れて、その香りを楽しむ風呂の入り方があると聞いている。父君が南蛮貿易の仕事をされているしんべヱに、はぁぶがどんな植物なのかを聞いた。すると、はぁぶが生えている場所を知っているから、摘んできてくれると申し出てくれたのだ。

「ありがとうしんべヱ。私だけでははぁぶは準備出来なかった。これできっと伊作も喜んでくれるわ」
「お役に立てて良かったです。それじゃ、僕はこれで!」

しんべヱは夕飯を食べに行ったのだろう。急いで忍たま長屋の方へ向かった。
風呂掃除も終えたし、私もここにずっといるのは不自然だから退散しよう。後で伊作に風呂がどうだったのかを聞いて、驚かせよう。
喜ぶ伊作の優しい顔をを想い浮かべると、私の足取りは軽かった。すると、向こうから用事を済ませた伊作がやって来た。

「伊作!」
「あ、
「……どうかした?何だか少し暗いけれど」

伊作は少しショックを受けたみたいに暗い。困ったように小さく笑って頭を掻いた。

「実は、さっき新野先生に用事を頼まれて薬草畑に行ってきたんだ。そしたら、育ててきた薬草が全部誰かに刈り取られていて……」
「そんな……!」

薬草畑は、少ない予算を補うために私たちが一生懸命育てたものだ。それを勝手に刈り取るなんて、いったいどこの曲者だろう?伊作にこんな顔をさせるなんて、絶対に許せない……!

「伊作!直ぐに先生方に知らせましょう。今日刈り取られてしまったのなら、まだ手がかりもあるはずよ。綾部に穴を掘ってもらって、穴吊りの刑にしてもらいましょう
「えぐっ?!それかなりえぐいんじゃない?!ちなみに穴吊りの刑とは、とにかくえぐくてキツい処刑である。キリシタンの中浦ジュリアンもこの穴吊りの刑で処刑され、壮絶な最期を送りました。興味がある方は調べてみてください」
「くの一特製毒団子でも良いわ。伊作、どの薬草が駆られていたの?やっぱり高級であまり生えていない薬草?」
「実は、南蛮から取り寄せて育てているはぁ―――」
穴吊りだけは許してください

どうやらしんべヱが言っていたのは、この薬草だったらしい……。確かに伊作が南蛮から取り寄せた薬草を育てていたのは知っていたけれど、まさかそれがはぁぶだったなんて……。
私は伊作の隣に座って、大きな溜息を吐いた。私が溜息を吐いたのが珍しかったからか、伊作は心配そうに眉を下げる。

、大丈夫かい?何だか元気が無いよ?」
「……伊作、今日一日幸せだった?」
「え?」
「私ね、今日は伊作にどうしても幸せになって欲しかったの」

今日は特別な一日にしたかった。伊作と出会って恋仲になって、丁度1年の日。そんな日は、伊作に幸運を感じ取って欲しかった。
私は伊作に本日立てた計画について話した。伊作は猫目を瞬かせて驚いていたけれど、その眼差しは温かく感じた。

「伊作が笑顔になってくれたら良いなと思って……、伊作に幸運をあげたかった。色々準備していたけれど、失敗してしまったわ……」
「そうでもないよ」
「どういう事?」
「だって、僕は今日好きな定食を食べられたでしょ?」

言われてみれば、オムレツではなかったけれど、好物の焼き魚を伊作は食べる事が出来た。

「綾部のタコ壺にも落ちなかったし、一番風呂に入れた。しかもすごく良い香りだったよ。とても疲れが取れた」
「だけど、伊作が大切に育てた薬草だったじゃない……」
「ああいう使い方もあるんだね。南蛮の薬草はあまり知らないから、勉強になったよ」

伊作は満面の笑顔を私に向けてくれた。月明かりに照らされた伊作の姿に、私は胸が熱くなってくる。とても嬉しい。

「幸せになったのは私の方だわ。こんな風に伊作が言ってくれるんだもの」
「それじゃ、その幸運を僕にも分けてよ」

『どういう事?』と私が問いかける前に、ふわりとはぁぶのつんとした爽やかな香りに包まれる。私の背中に腕が回されて、そっと唇に柔らかなものが触れた。包まれた頬が紅色に染まっていくのがわかる。愛しい想いが胸の中に下りて来た。

「僕と付き合ってくれて、ありがとう。今日は記念すべき幸運な日だ」
「覚えててくれたの……?今日が付き合ってから1年だって」
「もちろんだよ。忘れるわけない。今日は絶対に口付けしたいと思っていたんだ」
「伊作……」

伊作の吐息が頬を撫でた。私と同じくらい赤い顔をした伊作がはにかんでいる姿が、視界いっぱいになった。

「僕はね、が傍にいてくれて不運だった日なんか一度も無いんだよ」

幸せなのは私の方だ。
そう返事をしたくなって、今度は私から唇を寄せた。もう一度触れた唇からはぁぶを感じて、いつまでもその香りに包まれていたかった。


2011.09.21 更新