の父は、領主に仕える家に生まれた次男だった。とは言っても、そこまで広い領地を持っているわけではない。しかし、右腕として長である領主につき従い忙しい毎日を送っていた。
父と遊ぶことが出来ないのは物心ついたときから。そのため、は特に気にしていなかった。我が儘を言ったところでどうにもならないと、幼いながらに理解していた。の遊び相手は母だった。母は歴史ある縁結び神社の娘で、を連れて実家である神社預けることがあった。神社周辺には、と同じ年頃の子供が多く遊び場として良く利用していた。2〜3日預けられることも当たり前のようにあった。
は神社の手伝いも良くしていた。特に秋が深まった頃にする境内の掃き掃除が好きだった。

は、ここのところ良く掃き掃除をしておるのぅ」

良く手伝いをしてくれる孫の頭を、祖父はにこにこしながら撫でた。は嬉しそうに笑って頷く。

「お掃除すると綺麗になるでしょ?綺麗になったお庭を見るのが好きなの」
「そうかそうか」

頭を撫でていた祖父がなぜか急に顔を曇らせた。掃き掃除を止め、は祖父を見上げる。

「どうしたの?お祖父ちゃん」
「……、お母さん、お迎え来ないのぅ」
「………うん」

普段ならば月に2〜3日預けられている程度だった。しかし、今のは神社に預けられて1週間が経過している。その間は母親からの連絡が無い。
は俯いていたが、直ぐにパッと顔を上げた。

「おうちで何かあったのかもしれない。そういうときは、大人しく待っていないといけないから」
「わしが家まで送っていっても良いのじゃぞ?」
「そしたら神社に誰もいなくなっちゃうよ!ダメ!大丈夫だから、お母さんを待ってる」

きゅっと唇を噛み締め、はまた箒を持つ手を動かした。
祖父は気付いていた。は、自分で帰るのではなく、母親に迎えに来て欲しいのだと。自分は母親に忘れられているわけではないと、証明したいのだ。















の母が神社に訪れたのは、それから3週間後のことだった。母親が鳥居を潜ったところを見て、は、境内から長く続く石段を転がる様に駆け下りた。顔を綻ばせては母の元へと向かう。そして、驚いている母の腕の中へ飛び込んだ。

「お母さん!」
、そんなに急いで……転んだらどうするの」
「お母さん、今までどうしてたの?何で遅かったの?」

母の胸から離れて母を見上げると、困ったような顔を張り付けた母がいた。そして、チラッと横に視線を流した。
はその視線を辿り、ようやく母の隣に誰かがいることに気付いた。
母の隣にいる男は父と同じくらいの年齢だろう。日に焼けており、体格も良く背が父より高い。父とは年齢くらいしか似ていないその男は、を見るなり、胡散臭いくらいにっこりと満面の笑顔を見せた。

「ほほう、この子がちゃんか。初めまして、私はキミのお母さんのお友達だよ。よろしくね」
「……お友達?」

は不信に思って眉を寄せ、葉はの後ろに隠れた。

「こら、ちゃんとご挨拶しなさい」
「……こんにちは、です……」

はぼそぼそと小さな声で挨拶をするものの、男の顔は見ようとしない。母はの態度に慌てて男に謝った。

「ごめんなさい、うちの子は人見知りをするみたいで……」
「気にしないで良いよ。きっと恥ずかしがっているんだ。だよね、ちゃん?」
「…………」
!」

全く返事をしようとしないに、母が声を張り上げた。その声にもは反応を示さない。





ぐるぐると胸の内がかき乱されていく。





ぐちゃぐちゃに、何かが潰れていく音が聞こえる。





(誰?何?この人がお母さんと一緒にいると、気持ち悪い……!)

頭が痛くなって、は目を固く瞑り、再び目を開ける。

(え……?)

次にが世界を目に映したとき、おかしなことが起きていた。
母親と男の間に赤い糸が見えたのだ。母の小指と男の小指に糸が結ばれているのだ。先ほどまでは確かに無かったはずである。

「お母さん……、その糸何……?」
「え?糸……って何を言っているの?糸なんてどこにもないじゃない」

母はが指している自分の手をヒラヒラと振って見せた。その度に、小指の糸が激しくその動きに合わせて揺れた。そこに存在しているのだと、糸がまるで宣言しているようだ。

(何だろう……すごくムカムカする。気分が……悪い……よ……)

母と男の間には確かに赤い糸が存在している。しかし、2人にはそれが見えていないらしい。

(あたしにしか、見えてないの?)
ちゃん」
「!?」

ハッとなって我に返り男を見上げると、男はの頭を撫でた。その感触に鳥肌が立つ。

「ごめんちゃん、遅くなってしまって。でも、キミのお母さんがどうしても離してくれなかったんだ」
「ちょっ、ちょっと!」
「本当のことじゃないか」

そう言って母の肩を抱き寄せる。抱き寄せられた母は口では咎めているものの、頬を赤く染めてうっとりしている。母の小指の糸がの視界で揺れている。揺れるたびにの心を黒い闇が満ちるのがわかる。





キモチワルイ。





「お母さん、この人は誰?」
「え?だから……、お友達よ」
「お友達なんかじゃない!!」

は男の手を叩き落としてから睨みつけた、鋭く射抜くような目で睨まれ、男は喉をひくっと動かした。

、何てことするの!謝りなさい!」
「お母さんこそ、あたしに謝って!その人と一緒にどこに行ってたの?!教えてよ!お母さんはあたしのことを忘れて、いったいどこで何をしてたの?!」

血を吐くように激昂するに、母はうっと喉を詰まらせて顔を青くした。

「そんなこと……忘れてなんて―――」
「あたし、おうちには帰らない!お母さんなんて知らないっ!」
「アンタ、お母さんに何て事を―――」

カッとなった母がの肩を掴んで右手を振り上げた。

「止めんか!!」
「っ?!」

母は振り下ろそうとしていた手をビクッと震わせて止める。石段の上に、祖父が仁王立ちで立っていた。男を睨みつけると、『ひっ』と声を漏らして震え上がる。

「お祖父ちゃん!」

は涙を零し、祖父に抱きついた。安心して緊張の糸が切れたらしく、は額を押しつけてわんわん泣いた。祖父はぎゅっと片手でを強く抱き寄せると、下段にいる母を怒りの目で見た。

「お、お父さん……私、は……」
「あたしおうちには帰らない!お祖父ちゃんのところにいる!!」


泣きじゃくるの頭を撫で、をそっと引き離すとに優しく言った。

、お前はお母さんと一緒に家に帰りなさい」
「や……、やだっ!やだやだやだぁ!!」

は激しく首を横に降って拒絶する。祖父は優しい目を再び厳しいものへと変え、安心した様子でいる母を見ながらに言った。

は家に帰って、この男とお母さんのことをお父さんに言いなさい」
「なっ?!ちょっと、お父さん!」
「言われたくないのなら、今直ぐにこの男と縁を切ってと一緒に家に帰るんじゃ!!」
「…………っ」
「返事をせんか、バカ娘」

母はうろたえている男のことをチラッと見て、赤い目をしたのことを見た。
敵意剥き出しのは直ぐに母から目を逸らした。そして悔しそうに言う。

「……わかったわよ。、帰りましょう」

男の方は先ほどの愛想が嘘のように消え失せ、唾を吐き『やってらんねぇな』と文句を吐き出して帰って行った。そして、はしぶしぶ母親と一緒に家へ帰ることにしたのである。
けれどもはこの時以来、人を結んでいる謎の赤い糸が視えるようになってしまった。
その後も母親は不倫を繰り返し、外泊をするようになった。が忍術学園への編入を決めたところには家を姿を消していた。

、どうしても行くのか?」
「うん。この気持ち悪い糸を早くどうにかしたい。もう、こんな気持ちになりたくないの」

は母がいなくなってから祖父のいる神社で生活した。もう2年目になる。

「わしは反対じゃ。くの一になどなって、血生臭い体験をさせたくない」
「血生臭いなんて、あたしは今の状態から比べればどうってことないわ!街でたくさんの糸があたしに訴えかけてくる……。それがどんなに気持ち悪いのかを、お祖父ちゃんは知らないからそんなことが言えるのよ!」

は両手で頭を覆った。悲痛な孫の叫びに、祖父は尚も首を振る。

、わしは確かに赤い糸は視えん。じゃが、お前の死んだ祖母さんが言っておったわい。『私の母上は赤い糸が見える時があった』とな……」
「それ本当?!」

は顔を上げて祖父ににじり寄る。祖父はの問いに頷いた。

「どうやらこの神社の巫女たちの中には、そのような眼を持つ者が生まれるようなのじゃ。、お前もその内の1人というわけじゃよ」

祖父の話が真実なら、この神社に生まれた特有の血筋であるらしい。

「どうすれば視えなくなるの?視える時があったことは、視えなくなったってことでしょう?!」

迫るに祖父は視線を外して境内を眺めた。

「その時がくれば視えなくなる」
「……!そんなの、いつかわからないじゃない!あたしは今直ぐ視えなくなりたいのよ!!」
……!!」

はさっと準備していた荷物を手に掴み取ると、祖父に背を向けて駈け出した。零れる涙を振り切るように神社を飛び出したのである。















―――そして、あたしは忍術学園へと辿り着いた。忍者として生きる覚悟も出来ないまま、毎日毎日図書室で本を読み漁った。
くの一になりたいだなんて嘘をついて、この学園の人たちをバカにした罪。そして、久々知という友人から大切な人を奪った罪。さんを殺してしまった罪。
あたしは何てバカなことばかりしてしまったんだろう。
罪を晴らすことは簡単に出来やしない。いや、罪を晴らすなんて一生出来ないのだろう。





だから、せめて。





「久々知……」

あたしは雨に濡れてしまった久々知を長屋に連れ帰った。膝を抱えて俯いたままの久々知の肩に触れる。雨で冷え切った久々知の身体は、まるで今の久々知の心を表しているかのようである。雨を含んだ癖のある黒髪はだらりと床を這っている。
名前を呼ばれ、ゆっくりと顔を上げた久々知の虚ろな瞳があたしを捉えた。キラキラと輝いていた久々知の目は、死んでしまっている。光を奪い、そしてこの目を殺したのは他でもないあたし自身だ。
久々知をなるべく刺激しないように優しく微笑んだ。

「久々知、あたしね……、今から、アンタが元気になるおまじないをしてあげる」

言葉の意味を理解していない様子の久々知を余所に、あたしは久々知の左手を持ち上げた。触れた手は氷のように冷たく、小指には黒ずんで途中から千切れた糸が視える。さんと結ばれていた赤い糸だ。あたしは糸から伝わる悲しい感情に、酷く頭が痛くなった。石で殴られているかのような酷い痛みだったが、脂汗を滲ませながらも笑って久々知に語りかけた。

「前、あたしは久々知に聞いたよね?『恋をするって……そんなに楽しい?』ってさ。そしたら久々知は言ったよね……」





ああ、今オレはすごく楽しいよ。





「―――その答え、あたしは理解出来なかった。でもね、羨ましかった」

普段は優等生で大人びて見えたアンタが、本当に嬉しそうに、子供みたいな笑顔を見せるんだから。

「だから、あたしが忘れさせてあげる。また、毎日が楽しいって思えるようにおまじないをかけてあげるね」
……?」

今にも消えてしまいそうなくらいか細い声で、久々知はあたしの名前を呼んだ。それから、不思議そうに瞳を揺らす。
あたしは黙って久々知の左手に触れた。自分の熱を分けるみたいにぎゅっと握った後、久々知には視えない炭のようになった糸を摘まんだ。きっと、久々知にはあたしが何をしているのか、何をしようとしているのかなどわからない。でも、それで良い。だって、これはあたしが犯した愚かしい罪なのだから。
あたしは自分の左手を掲げ、久々知の真っ黒な糸を小指に巻き付ける。
さらに蝶々結びを作り、きゅっと引っ張ると、完全に久々知の糸はあたしの小指に結ばれた。
決して固結びにはしない。いつか、この糸を解く時が来るのだから。
その直後、久々知の虚ろだった瞳がみるみる見開かれて光を取り戻していく。艶めき、恍惚とした表情へ変わるとあたしの腕を強く掴んで掻き抱いた。背中に久々知の硬いく薄い筋肉がついた腕が回され、隙間なく身体が密着する。耳の直ぐ傍で久々知の熱い息を感じる。心臓が強く速く脈打っているのが良くわかる。冷たかった久々知の身体がどんどん熱くなっていく。





久々知は、あたしに恋しているのだ。





……っ」

切なそうに囁く久々知は、あたしを求めて首筋に顔を埋めてくる。唇があたしのいつの間にか晒された皮膚に触れ、またそこから熱が生まれていく。

……!!」

うわ言のようにあたしを呼ぶ久々知。燃えるように熱くなった手が、あたしの制服をすり抜けて素肌に触れて来た。その間も、あたしはただ力を抜いて好きにさせておいた。
元々抵抗をする気など無い。彼の全てを受け入れようと決めていたのだから。
こんな風に、さんにも触れたのかな……なんて思ったり。
久々知はあたしを床に押し倒し、頬を赤く染めてとろんと夢心地のように瞳を細めてあたしを見降ろす。さんと一緒にいたとき以上に情けなくも幸せそうな顔だった。とても甘ったるくて、だけどあのときのような純粋な輝きの無い目をしている。

……オレ、お前のことが好きだ」

甘えるようにあたしにそう言った久々知に、胸が痛まなかったかと言えば嘘になる。だけど、その嘘を、今は真実にしなければいけないのだ。
あたしは返事の代わりに久々知の背中に両腕を回した。





その後のことは、ほとんど覚えていない。


08蝶々