入学許可と学園長への挨拶が終わり、あたしは担任のシナ先生と一緒に廊下を歩いていた。
これから先の事を考えると気分が重い。足も鉛みたいに重い。
あたしは、本当に良い方向へ向かっているんだろうか?
顔を上げると、廊下の角から人影が現れた。

「?!」

いや、人じゃない。
成人男性ほどの大きさをした、真っ赤な塊だ。ぐるぐると生き物のように動く赤いしめ縄が、人間に絡みついている。赤いしめ縄に巻きつかれた人物の姿はまるで見えない。みっちりと赤い色で埋め尽くされて、それ以外は何も見えない。頭のてっぺんからつま先までが赤い色で覆われている。
何だコレは?
赤いしめ縄からは憎悪にも、似た寂しいという気持ちが伝わってくる。見ているこっちが息苦しくなってくる。
こんなの、初めて視た。
しめ縄に巻かれた物から、猫なで声が聞こえてきた。

「うふん、シナ先生こんにちは。その子はどちらさん?」

男だ。というか、人間だった。なぜオカマ口調なのかは全然わからないけれど、人間らしい。しかもシナ先生と知り合いっぽい。
頭が痛くなって、このしめ縄じゃないけれどぐるぐるしてしてくる。
これほどの規模になった糸を、あたしは視たことがない。
ただでさえ気味が悪いというのに、あたしには視えてしまう。
シナ先生には、やっぱりコレが視えていない。





あたしにしか視えない。





「こんにちは山田先生。この子は今日からくのたまになる子で―――さん?」

嗚呼、先生が心配している。何か言わなくちゃいけない。

「まぁ、そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。初めて見る人はきっと驚いてしまうでしょうけれど……」

だけど息が苦しい。

「シナ先生!それってどういう意味?!」

胸が痛い。

さん、大丈夫?」

痛い。

「……うぅッ!!」

堪えきれない痛みがあたしを襲う。じくじくと火傷で出来る水ぶくれのように、膨らんでくる痛みだ。
立っていることも辛くなって、あたしはその場に膝をついてしまった。まだ入学して1日目だというのに、さっそく胃が痛くなってしまうなんて……。情けなくて、本当に自分が嫌になる。
痛みのせいで、額には汗がじわりと滲んできているだろう。
胃から込み上げてくる痛みと熱さをあたしは吐き出した。

「けほっ!げほッ!!」
「「?!」」

口元を咄嗟に覆い、あたしは強く咳き込んだ。焼けつくような痛みが更にあたしを責め立てた。
掌に熱くぬめった感触を覚え、口元から離す。するとそこは鮮血がへばり付いていた。

「あ……」

あか、い………。
指から、すり抜けていく赤い色。
気づけば、あたしはそのまま廊下に倒れていた。
胃の中に火でも入っているんじゃないかと思うくらいに熱い。
あたしはどこまで壊れていくんだろう……?
アレと同じ赤を見ながら、あたしの意識は霞んでいった。















気が付くと朝だった。ぼうっと半開きの目を擦って起き上がると、胸と腹の真ん中辺りがチクッと痛んだ。顔にかかる長い前髪を掻き上げて、あたしは掛け布団をくっと握る。

「また……か……」

また昔の……1年前の夢を見た。それは、あたしが丁度今から1年ほど前に入学したときのもの。あの時のことは本当に衝撃的で、時折こうして夢に出てくるほどだ。

「憂鬱な朝の始まり方だわ……」

眠い目を擦る。同室の子を起こさないように気をつけながら、あたしは桃色の忍装束に着替えた。長く伸ばした赤毛をくっと結い紐で纏め上げ、長屋を出た。
まだ早朝ということもあって、空は少し暗い。朝日が昇ってきそうでこないといった空があたしは好きだ。雲の数を見るとそれほど多くないので、今日はきっと晴れるのだろう。
廊下にはまだ誰もいない。時々徹夜で鍛練をしている潮江先輩に会うくらいだ。
廊下を音を立てないように歩き、くの一教室から更に外へ出て保健室へ向かう。忍たまの教室がある方の廊下を歩いていると、突如身体がつんのめって傾いた。

「あッ?!」

気づいた時にはもう遅く、あたしはその場に派手に転んでしまった。ドタン、と忍者を目指す者としては情けない音が響いた。膝を中心にしてぶつけた個所が痛んだ。苦痛で顔が歪んでしまっているだろう。
膝立ちの状態になるとぶつけた場所を押さえた。歯を噛み締めて耐えていると、スッと目の前に手が差し出された。驚いて顔を上げると、そこには1年前よりも随分背が伸びた彼がいた。

「おい、大丈夫か?」
「久々知……」

もう一度『ん』と差し出されたので、素直にあたしはその手を掴んだ。ぐいっと見た目よりも強い力で引っ張られて、簡単に立ち上がることが出来た。
久々知はあたしよりも先に起きていたのかもしれない。全く眠そうにしていないから。

「ありがとう。久々知も委員会?」
「ああ。昨日やり残したところがあってな。お前もか?」
「そんなところ。今日は当番で、摘んできた薬草を潰して粉にしないといけないから」
「朝から不運で大変だな。何も無いところで(・・・・・・・・)転ぶなんて……」
「…………」
「……何だよ?」
「別に」

そう、あたしは毎年不運な生徒がなると言われている保健委員になって2年目だ。でも、あたしは決して不運ではない。今転んだのは久々知のせいだから。
あたしは足元を見る。先ほど転んだ場所には、赤い糸が風も無いのに揺らめいていた。コレに突っかかって、あたしはさっき転んだのだ。そしてこの赤い糸は、久々知の左手の小指に結ばれている。
揺れている赤い糸は揺らぐ度にキラキラとした粒子を放ち、本当に綺麗だ。けれども頼りないくらいに細い。山田先生のしめ縄の太さとはかなり対照的で、引っ張ったりしたら切れてしまいそうなのに、今まで何度も躓いたけれど切れなかった。
小指に結ばれている赤い糸はどこまでも長く、学園の外へと続いている。

「どうしたんだよ?。何も無いところをジッと見てさ」
「何でも無いわよ。それより、お互い早く行った方が良いんじゃない?」
「ああ、そうだった」

あたしと久々知は同じ方向へ歩き出した。
赤い糸。それはあたしにしか視えない存在。赤い糸が他の人には全く視えていない。この久々知のように。
初めて視た日から4年の月日が流れているが、未だになぜ視えるのかが全くわかっていない。
けれども少しわかっていることも幾つかある。その糸は人と人を結んでいる。お互いを想い合っている者同士―――つまり恋仲の2人の間にその糸は発生する。
結ばれている2人は必ず左手の小指で、赤い糸も様々な姿をしている。コレはあたしの今までの見解だが、どんな恋であるのかを示しているように思える。
例えば、山田先生は奥さんと殆ど別居状態なくらいに離れて暮らしている。お互い愛し合っているのに、滅多に山田先生が帰って来ないせいで奥さんが寂しい思いをしているのだろう。離したくないという奥さんの気持ちが強すぎて、しめ縄のように山田先生を絞め上げている、といった具合に糸の形は様々だ。
アレはとにかく強烈過ぎて胃にきてしまった。頭に奥さんの想いが流れ込んで胸焼けがしそうだった。ただでさえ糸を視るのはストレスが溜まるというのに、気持ちまで伝わってくるからやっかいだ……。

はすごいな。昨日もずっと図書室で医学書を読んでいただろう?」
「久々知が言うと嫌みにしか聞こえないよ」
「そういうつもりじゃないんだけどな……」
「わかってるよ」

久々知はすごい。火薬委員の委員長代理を務めながら、教科や実習では常にトップの成績を修めている。今日も恐らく宿題をやってから火薬倉庫に向かうところなのだろう。【優秀】が服を着て歩いているようなものだ。

「あたしは本をただ読んでいるだけだから……。人に褒められるようなことなんて何もしてないし」
「知識を一度にたくさん詰め込むことは難しいことだぞ。話しかけても全く気付かない集中力には、雷蔵も感心していた」
「やだ……あたし、不破のこと無視しちゃってたの……?」
「いや、褒めていたから大丈夫だろ。雷蔵もそのことは良く知っている」
「でも、後で謝っておくわ。それにしても皆褒め過ぎ……。それに忍たまとくのたまは違うから……」
「くの一になるのだって、オレたちと何らかわりないだろ?は褒められるの苦手なんだな」

からかうように笑みを浮かべる久々知が眩しい。
あたしは褒められるようなことを何もしていない。それどころか、あたしは色々嘘をついてこの学園に編入したのだから。
あたしは授業が終わると、委員会活動が無い限り大体の時間を図書室で過ごしている。それは医学書や伝承を読み漁るためだ。医学書は特に精神病について調べている。あたしがこの赤い糸を視ることができるのは、きっと精神病の類に違いないと思ったからだ。
あたしの頭はいかれている。そうとしか考えられない。頭の中に、蛆虫でも湧いているんじゃないかと本気で思ってしまうくらい。
伝承を読むのは、過去に同じような目にあった人がいないか調べるためだ。神話の世界だって構わない。この頭をどうにかしてくれるんだったら、何だって良い。
あたしが忍術学園に入学したのは、この赤い糸を視えなくする方法を探すため。忍者の学校にはたくさんの秘伝書を保管していると聞く。
本を読むのは苦じゃないため、あたしは学園の存在を知って直ぐに入学願書を提出した。祖父には反対されたが、振り切ってほとんど家出の状態で編入した。忍術学園に寮があって本当に良かったと思う。
ここには忍の道を選んだたくさんの生徒がいる。理由はそれぞれ違うかもしれないけれど、あたしみたいに忍者を目指していない生徒はいないだろう。本気で忍者になりたいと考えている人にとって、あたしはとても失礼な存在だ。摘み出されても仕方無いだろうけれど、あたしはこの後ろめたさを引きずりながら、毎日図書室と教室を往復している。
保健委員になったのだって、医学書を読んでいることが不自然にならないようにだ。時々ストレスで胃が荒れるから、胃薬も良く提供してもらっている。
だから、あたしは褒められるのが辛い。特に、久々知のように将来を見据えて忍者を目指している者に言われるのは。

「久々知の方がすごいってば。だってさんのために頑張ってるんだもの」
「はは……。そう言われると照れるけど、間違ってはいない、な……」

久々知はさんの名前を出すと擽ったそうな笑顔を見せる。そして、久々知の赤い糸が一層輝きを増した。
1年前、学園に初めて向かった日に立ち寄った街でとても美しい人を見つけた。誰にも踏まれていない雪原みたいに真っ白な肌をしていて、艶やかな黒髪がとても映える人だ。薄く引かれた紅が良く似合う、自分よりも5歳くらい年上の女性。気品が一目で伝わってくる。知的な印象をその人に持った。
女性の左手小指には、赤い綺麗な糸が結ばれていて長く伸びている。直に恋仲の男性がいることがわかった。ああいう人にはきっと良い人がいるのだろうと勝手に思いながら、女性がお饅頭屋に入るのを見届けた。
驚いたのはその後だ。彼女の赤い糸は、あたしが向かっていた忍術学園にまで伸びていた。そして、彼女と結ばれていたのは、門の前で待っているあたしと同じ年頃のあどけない少年だった。
まだ子供だというのに、同性でも見惚れてしまうような年上の女性と恋仲にある。ただただ凝視してしまった。
その少年こそ、今隣を歩いている久々知である。そして『さん』というのは、察しの通り彼と恋仲兼許婚の女性である。
あたしは彼女と一度も話したことは無い。けれども、久々知や彼の友人を通して人柄を知っている。
ちなみにシナ先生からは赤い糸が出ていなかったけれど、その小指に絡もうとする幾つもの赤い糸が漂っていた。あれだけの美人なら仕方ないけれど……、シナ先生は結局どっちが本当の姿なんだろう?

さんくらいだったらもっと良い人がいると思うのに」
「全く同感だ。姉さんは本当にモテるからなぁ……」

嫌みを言ったつもりだったのに、天然には通用しないらしい。

さんはともかく、久々知はさん以外と浮気なんて出来ないね。学園で2人は有名だし」

久々知とさんの仲は、学園で知らない者はいないくらいに有名だ。昔はからかわれたりしたのだろうけれど、学園全ての人間が知ってしまえばそのようなことはなくなったらしい。久々知が、さんを他の生徒に取られないようにとかそういうことではなく、さんがからかわれて恥ずかしい思いをしないようにと考えた策だった。

「浮気なんてするわけないだろ!姉さんはオレが幸せにして、オレが一生護っていくんだからな」
「あはは……」

久々知は恥ずかしがることなく、堂々と宣言してみせた。聞いているこっちはとても恥ずかしいんですけど……。
久々知はさんと結婚して幸せになるために忍者になろうとしている。忍者じゃなくても良いような気がしたけれど、今は誰がいつ死んでしまってもおかしくない戦国の世。武術や知識がものを言うこともある。忍者は臨機応変に対応できる職業だ。
態度でも十分わかるように、久々知は純粋に許婚のさんを愛している。その証拠に、久々知から伸びる赤い糸は今まで見てきた糸の中でも1番綺麗だ。絹糸みたいにしなやかで細く、控え目に輝いている。ずっと見ていたくなるような、そんな赤い糸だ。いつもは不快にしか思えないそれも、久々知の物だけは平気だから不思議。
周りが応援したくなってしまうのもわかる気がする。もちろんあたしもその1人なのだろうけど。





でも……。





「どうしたんだ?」

足を止めたあたしを振り返る久々知。
小指に結ばれた赤い糸がふわりと揺れている。
とても綺麗な糸。
とても綺麗な恋。





「ねぇ、久々知」





綺麗だけれど、信じられない。





「恋をするって……そんなに楽しい?」





返事は決まっている。でも、あたしは聞かずにはいられない。





「ああ、今オレはすごく楽しいよ」





そう答える彼には悪いけれど、あたしは恋なんてしたくない。





恋は酷く汚くて、とても卑怯なものだと思うから。


03自分