が茶を取りに部屋を出て行き、と久々知だけが部屋に残された。
久々知はと向き合うとき、とても安らかな気持ちになれた。彼女が傍にいるだけで、胸の中が温かくなる。

(失いたくない人っていうのは、この人の事を言うんだな)

が学園を訪ねて来る度、久々知はそう考えていた。
その幸せな久々知の考えを、は自ら引き裂いた。

「手紙にも書きましたけれど、今日はどうしても兵助に直接お話ししたい事があって来ました」
「はい」

そう、今日が学園に来たのは、いつものように久々知の顔を見るためだけじゃない。手紙ではなく、直接話がしたいなどと、今までは願い出た事が無かった。

「父上に何かあったのですか?それとも、祝言の日取りが変わった……とかですか?」

久々知の父はの父に強い恩があり、それを切っ掛けに久々知とは許嫁同士になったのだ。
久々知がプロの忍者になった後、正式に夫婦となる予定でいる。

「もしそうなら、卒業して直ぐ……という事になりそうですね」

ところが、は悲しそうに俯いて拳を膝の上に作っている。滅多には悲しみや苦しみを顔には出さない。

(に似ているな、そういうところ)

自然と久々知の脳裏にの顔が浮かんできた。

「兵助……」
姉さんが困っているなら、オレは力になりたいです。年下だし、まだ頼りないかもしれませんが……精一杯お手伝いさせてください」

その優しさが、を追い詰めているなど久々知は知る由もなかった。

「兵助、あなたにお願いがあります」
「何でしょう?」





私との婚約を、解消して欲しいのです





久々知はの願い出を、なぞる様にゆっくり自分の中で繰り返した。

(『婚約を解消して欲しい』……?何だ、それ……?)

理解した途端、理解出来なくなって久々知は食い入るようにを見た。

姉さん!突然何を……、何をおっしゃるんですか?解消って……、つまり別れたいという事ですか?オレと?」

は久々知の問いかけに静かに深く頷いた。
久々知は眩暈さえ覚える。何かの悪い夢なのではないかと思う。

「オレが何かしてしまったんですか?!どうして?!それとも……、他に好きな相手が出来てしまったんですか……?」

心が他の誰かに動いてしまったのだとしたら。
しかし、はぎゅっと瞳を閉じて首を横に振る。久々知は心底疑問が膨らんでいった。

「オレが好きなら、どうしてそんな事を……?!」
「兵助……」

は今にも泣き崩れてしまいそうになるくらい、その美しい顔を歪める。

姉さん!」

普段真面目で冷静な彼も、の前では弟のように振舞ってしまう。
弟のように。

「…………兵助は、私が好きですか?」
「好きです。姉さんが、誰よりも好きです」

その返事を予想していたのか、は間を置かずにこう問いかけた。

「では……、私の事で悲しくなったり辛くなった経験はありませんか?」
「え……?」
「私に、他に好きな方が出来るのではないか?とか、歳の差を感じて不安になる事は今までありましたか?」

久々知は改めてについて感じた事を思い出していく。
と一緒に生きていく事に対して強い喜びを感じていた。常に温かく接してくれるには、尊敬の念と感謝の気持ちで満ちている。
逆に、それ以外の何を感じただろう?
は久々知に優しく語りかけた。

「兵助、私は何度もそういう事がありますよ」
姉さん……?」
「私は兵助の真面目で優しく、素直なところが好きですよ。あなたと一緒にいると、とても嬉しくなりました。けれど、同じくらいに悩みました。あなたの事を考えると、胸が苦しくなって……」
「オレが、頼りないから―――」
「そうではありません。あなたを好いているからこそ、幸せなのと同じくらい辛かったのです。わかりますか?兵助。恋とは……、人を愛するという事は、様々な感情を持つ事なのです」

久々知は、の言葉をどう受け止めたら良いのかわからなかった。
のように、久々知は相手に対して安らぎ以外の何かを感じた事が無い。のように苦しむ事も、辛くなる事も。どれも久々知が抱いた事の無いものばかりだ。

「兵助は、私に毎日の出来事や思う事を手紙で私に教えてくれましたね。……いつからか、あなたは私の知らない女の子の事を書くようになりました。それが、さんです」
「それは……」
「無意識、なのでしょう?」

言われてみれば、久々知はに手紙を書くとき、の事を書くようになっていた。がいつも図書室に籠っているところから始まって、が笑うと可愛い事、困っていたら助けてやりたいと思っている事などが手紙に並ぶようになっていった。それは恐らくを不安にさせていただろう。

「ごめんなさい……」
「あなたが悪いわけじゃありません。だってあなたは、ずっと小さい頃から私の事だけを見つめて育ってしまったんですもの。それがまるで当たり前のように、ね……」

許嫁となった日から、これまで久々知は生まれたての雛鳥が刷り込みされるがごとくを見てきた。

「……確かに、オレはの事を手紙に書いてきました。でもそれは……、姉さんが心配するような事じゃありません!アイツが、仲の良い友達だからで―――」
「兵助」

は年上の意地で久々知の声を跳ね退け、凛とした表情で言った。





「兵助、終わりにしましょう。私は、あなたの姉上ではないのです」





嫌だ……。





「私をこれ以上、あなたの姉上にしないで……!」





嫌だ!!!


16拒絶