結論から言うと、あたしは生きている。

「本当に一時はどうなる事かと思いましたよ。随分無茶な事をしたようですね」
「ご心配をお掛けして申し訳ないです……」

封鎖された保健室。私はきっちりと私服に着替えて、新野先生にお説教をされていた。それはもうこっ酷く。両親にもこんなにお説教をされた事は無い。……というか、新野先生が言う様に、今までこんな風に無茶な事をした試しが無い。
新野先生はあたしが食べ終えた粥のお皿を片付けながら、ぶつぶつとまだ何かを言っている。

「落ち着いているとはいえ、まだ本調子ではない。激しい運動をするのはダメだよ?良いね?」
「はい」

あたしの着物の下には、真新しい包帯が巻かれている。見た目ではわからないけれど、怪我は完全に治ったわけじゃない。

「途中で薬草を見つけられて本当に良かったですね。もしそれが無かったら、確実に致命傷でしたよ」
「あたしもその点は運が良かったと思っています」

本当に運が良かった。
あたしは久々知を背負い、暗い森の中を松明の灯りだけを頼りに歩いていた。プロ忍と戦った後に怪我を負った上に毒まで浸食していて、体力は限界をとうに迎えていた。
もし久々知を見つけられなかったら、学園に送り届けるという強い使命感が無かったら、あたしはきっと森で屍にでもなっていただろう。久々知という存在が、あたしの気力を支え続けてくれていた。
幸運な事に、あたしは毒薬に効く薬草を見つけた。松明の灯りに照らされた薬草は、まるで天の助けと言わんばかりである。やっぱりあたしは、不運委員会と呼ばれる保健委員には向いていないとも同時に思った。

「薬草が無かったら、森の中で死んでいたでしょうね。忍術学園まで身体が持たなかった……」

薬草を煎じる時間も無く、そのまま手ですり潰して汁を飲んだ。それだけでも何とか効果はあったらしい。

「荒い手段でしたが、他に方法も無かったでしょう」
「そうですね……」
「これからどうするつもりですか?」

これからの事。

「……まだ具体的には決めていません。でも、実家に―――祖父のいる神社に戻ります。きっと、跡取りの巫女がいなくて困っていると思いますから」

大事を取って1週間ここでお世話になった。しかし、自分はもう忍術学園のくのたまじゃない。あくまでもお客様という立場になっている事を忘れてはいけない。

「以前と比べ、あなたは随分と良い顔をするようになりました」
「そうですか?」
「はい。表情がとても明るいですよ」

新野先生の言葉に、思わず自分の頬が緩むのがわかった。

「久々知を背負っているときに前髪を切りました」

不揃いのままになっている前髪に触れながら言った。

「今こうして明るい場所にいると、周りが良く見えるようになって……何だか不思議な気分です。ただ前髪を切っただけなのに」
「私は短い方が素敵だと思いますよ」
「あたしもそう思います」

優しくて温かい時間が流れる。
あたしの視界を覆っていたのは髪だけじゃない。暗くて卑屈な心も、髪と一緒に森の中に置いて来た。だから、今あたしの気持ちはすっきりとしているんだろう。
あたしの肩を新野先生はポンと優しく叩いた。そして火傷を負った頬にそっと撫でるように触れる。

「本当に何も告げず、ここを出て行くのですね」
「はい」

ワントーン低くなった先生の問いかけに、ハッキリとあたしは返事をした。自分にも言い聞かせるみたいに。
あたしは久々知よりも少し先に目が覚めた。重傷には違いなかったけれど、喋れないわけじゃない。直ぐにあたしの無事を久々知に知らせようとした善法寺先輩を、傷だらけの腕で引き止めた。そして、久々知には自分が昏睡状態で、面会出来ないという事にして欲しいと願い出たのだ。
その方が何かと都合が良かった。久々知にとっても、あたしにとっても、きっとその方が良いと思った。
あたしが無事でいる事を知ったら、久々知は絶対にあたしの傍から今度こそ離れないだろう。あたしを怪我させてしまったという罪悪感と、あたしに恋愛感情を抱いているという錯覚が彼を縛る。そんな事は決してあってはならない。謝罪すべき立場にいるのは、あたしの方だ。

「先生、あたし……嘘つきなんです。たくさん久々知に嘘をつきました。それに……、久々知にも嘘をつかせてしまったんです」





……オレ、お前のことが好きだ。





「酷い事、たくさんしてしまいました。あたしは自分が許せないですし、久々知だけじゃなくて……さんもきっと許してくれないと思います」





私はあなたとお話してみたいと思っていました。だから今、こうしてあなたとお話できてとても嬉しいです。





だけど、後悔もしています。






「だから、これで良いんです」

新野先生はあたしから手を離して、『そうですか』と悲しそうに笑った。
きっと、先生はあたしの赤い糸が視える事について、学園長先生から聞かされているのだろう。
あたしは、懐からプロ忍者から奪い返した翡翠の腕輪を取り出した。

「先生、これを久々知に返しておいてくださいませんか?」

久々知にとって大切な、さんへの贈り物だ。そしてさんの形見の品。あたしがいつまでも持っているわけにはいかない。受け取ってもらったら、今度は小指の赤い糸を外さなくちゃいけない。久々知と繋がっている、間違った糸は断ち切らないといけないんだ。
新野先生は、あたしの差し出した腕輪を見て首を横に振った。

「受け取れません」
「え……?」

新野先生は穏やかに微笑んで言った。





それは、今ご本人に渡した方が早い





その言葉を合図に、保健室の戸がすっと音もなく開いた。ここは新野先生か善法寺先輩以外立ち入り禁止になっている。目の前にいるのが新野先生なら、善法寺先輩しかあり得ない。それなのにあたしは、それ以外の人物を思い描いて顔を上げていた。
彼は……、真面目だから、絶対安静の人間の元へ見舞に来るなど考えられなかったのに。

「くっ、久々知……?!」

驚いて喉が引き攣ってしまった。
久々知はあたしほどの怪我はしていなかったものの、捻った足は綺麗に包帯が巻かれている。もう歩いて大丈夫なようで安心した。この状況自体は全然安心出来ないけれど。

「これは……いったいどういう事なんだ……!?、お前は危篤だって……!!」

それはあたしも知りたい。
きっと、久々知は自分でここへ来たわけじゃないだろう。となると……。
ハッとなって新野先生を見ると、いやらしくウィンクをして見せた。

「見つかってしまいましたね。さん、こうなっては久々知くんとお話するしかありませんよね。それじゃ、私はこれで」

新野先生は適当に捲し立てると、保健室を出て行ってしまった。この絞め付ける様な空気の中に、あたしと未だ動けずに戸の前にいる久々知だけ。

「……そこ、座っても良いか?」

新野先生が座っていたところを指さしたので、あたしはただ頷くだけだった。
ゆっくりと久々知が正面の座布団に座る動作が、まるで死刑台にでも上がるかのように胸がキリキリ痛んだ。
何も話せずに俯いているあたしに代わり、久々知が口を開いた。先ほどとは違う、静かで何もかも理解したかのような声色だった。

「部屋でぼーっとしていたら、さっき新野先生が呼びに来たんだよ。面会しても大丈夫って言われて……そこで待ってろって言われたんだ」
「…………」
「見たところ、危篤だったっていうわけじゃなさそうだな」
「…………」
「さっきの話もすごく気になる。実家に帰るみたいな事、話しているし……」
「…………」

新野先生はあたしを治療してくれた恩人だけれど、今は全然ありがたみを感じない。きっと善法寺先輩に一枚噛んでいるんだろう。
俯いたままでいると、影があたしに重なってきた。ふと顔を上げた瞬間、気付けば久々知があたしをしっかりと横から抱きしめていた。温かくて大きい久々知の存在にあたしは息を飲んだ。

「とにかく今は、が無事で嬉しい。本当に……、良かった……ッ!」

上から降ってくる久々知の声は、子供が泣き出す一歩手前みたいな掠れた声だった。あたしの頭を掻き抱いている掌も僅かに震えている。
久々知があたしの事をこんなに心配してくれている。





嬉しい。





でも。





それ以上に、悲しい。





「ありがとう、久々知。でも傷に障るから離して……」
「あ、ああ……悪い」

久々知はあたしの感情の無い声に若干驚いていたが、素直にあたしから離れた。さっと熱が引いていき、寂しい気持ちが込み上げてくるのを押し込める。

「さっき聞いていたんでしょう?だったら話は早いわ。あたし、実家に帰るの」
「そんないきなり……!?何でだよ?怪我が良く無いからか?オレのせいでそんなに怪我をさせて……」

途端にまた久々知の顔が歪む。あたしの隣で両手を床について前のめりになった。あたしはあくまでも平静を装って話を続ける。これ以上ここにいたら、涙が出てどうにも止まらなくなってしまうから。

「怪我は大丈夫よ。あたしが勝手にした事だから、久々知は気にしなくても良いのよ。しばらくすれば治るわ。でも……、治った後は学園には戻らない。学園を辞めたあたしは、もうここの生徒じゃないから」
「辞めた?!」
「それと、これは久々知のものだから返しておくね。はい」

新野先生から渡してもらおうと思っていた翡翠の腕輪。それを、久々知の手首をぐいと引っ張って掌に乗せてやる。淡い緑色の腕輪は少々汚れてしまったけれど、それでも優しげな色を失わない。まるで久々知のさんに対する愛情みたいに。

「ちょっと待ってくれ……。何が何だかもう……」

普段冷静な久々知も流石に理解出来ないらしく、疲れたように首を振った。疲れるのも無理は無い。森で敵に襲われて怪我を負い、ようやく回復してきたと思ったらこんな話だ。でも、あたしは久々知の理解なんて待っていられない。

「…………」
「!」

既に身支度は済んでいる。傍に置いておいたこじんまりとした荷物を背負い、よろけながらも立ち上がった。ハッとなった久々知も、それに続いて立ち上がってあたしの行く手を遮る。

「そこをどいて、久々知」
「嫌だ」
「どいてよ」
「嫌だ」
「久々知!いい加減に―――」
「嫌だと言っている!!!」
「?!」

保健室内に響き渡る鋭い声。これまで聞いた久々知の言葉の中で、1番力を感じた。

「お前が……、そうやって何も告げずに出て行くっていう事は、オレを納得させれるような話じゃないからだろう?」

……優等生って本当にやっかいだ。

「……あの実習には、が単独で行動しオレを救出する許しが貰えるとは思えない。……、オレのために学園を辞めたんだな?」

はいともいいえとも言えず、口を噤んだ。それが肯定になってしまうとしても、あたしには何を言えば良いのかが思いつかない。
あたしの沈黙を肯定と受け取り、久々知は肩を落として落胆する。

「……久々知が苦しむ必要は無いわ。あたしが自分で決めて学園を辞めたんだもの。久々知は、何も悪くない」
「森で言ったよな?次に目が覚めたら、オレはお前に謝りたかった」





聞きたくない。





「今回の件もそうだけれど、姉さんの事……」





聞きたくない……!





「お前は何も悪くない。むしろ……オレがあんな風に気落ちしていたから、お前はオレを励まそうとしてたんだな。今なら良くわかる……」
「嫌!そんな事、聞きたくな―――」

耳を両手で塞いで振り払うように背中を向けるが、久々知はあたしの両手首を素早く掴んだ。そのままあたしを拘束するみたいに後ろからぎゅっと強く抱きしめてきた。





「行かないでくれ」





久々知は、





「お前が……、好きなんだ」





最も聞きたくなかった言葉を囁いた。





「う……っ、うぅ……」

全身が冷たく凍りついていくような気がした。
あたしの歪んだ視界で揺れている赤い糸が憎らしい。それでも、言わなければならない。喉の奥がズキズキ痛んで熱が溜まっていく。

「ダメだよ……、久々知……」
「何でだ?オレが泣くほど嫌いなのか?」

久々知の腕の力がさらに強まった。あたしと久々知の距離はもう無いはずなのに、地上から星を見上げるみたいに遠い。遠いよ、久々知。

「好きなんだ、本当に。これからも傍にいて欲しい……」

掠れる声で、あたしは喉奥から必死に声を絞り出す。

「ごめんなさい、久々知……本当にごめんなさい……!」
「どうやったらお前はオレを許してくれる?どうしたら、前みたいにオレと話してくれるんだ?」
「違うよ……ち、がう……!あたしは、久々知が好きだよ……」
「だったらどうして……?!」
「だって……っ、久々知は…………」





揺れる、赤い糸。





嗚呼……さんは、





きっとこんな気持ちだったんだ。





「久々知は、あたしの事好きじゃないから」


15謝罪