鬱蒼と茂る森の中。今夜は満月はずだったが、雲がそれを覆い隠してくれている。忍者にとって暗闇は味方。戦場での偵察が捗る。梟の鳴く声が森の中に木霊していた。
くじ引きでペアを組むことになった久々知と竹谷は、敵陣のある方向へと偵察へ向かうべく姿勢を低くしながら前進していた。口元まで隠した頭巾が少々息苦しい。でも我慢するしかない。この暗闇の中で出来るだけ気配を消さなくてはならないのだから。
冷たく湿った森の空気は肺に入ると身体を内側から冷やしていく。夜の森は特に冷える。身体を動かし続けていなければ寒さで体力は奪われ、動けなくなってしまうかもしれない。
足を止め、久々知が目で竹谷に合図をすると、竹谷は頷いて近くにあった背が高くて太い木によじ登った。吹き付ける風に気をつけながら、2人は枝の上に足を乗せて立つ。視界に真っ黒な森の全体が姿を現す。その森の切れ目に、小さな橙色の灯りが見えた。篝火である。恐らくあの場所が、合戦をしている城の陣地なのだろう。
今からあの陣地へ向かい、兵力や武器の量などを調べる。どこかの城へ潜り込んで、密書を奪って来るよりもずっと簡単な忍務だ。けれども、お互いに戦をしているのは、この周辺のどこよりも大きな城と武器を所有している。油断をすれば大きな事に発展し兼ねない。

「これは、結構近いな」
「ああ」

竹谷の感想に対して、久々知は淡白に一言だけ答える。竹谷はわざとらしく大きな溜め息を吐いた。しかし、それも久々知は無視し続ける。

「兵助」
「何だ?無駄口なら後にしろよ」
「無駄なんて聞く前から決めつけるなよ」

眉間に皺を作っている久々知は、相当苛ついているのだろう。睨まれても、竹谷はそんなことは気にせず苦笑して話を続ける。

さんのことを思い出した、って実習前に言ったな」
「ああ」

久々知は野外演習のために集まったとき、不自然なほど無口だった。心配をした雷蔵に『何かあった?』と問いかけられて、許婚のの死と、が嘘をついていたことを短く話した。それを聞いていた竹谷を含め、三郎も勘右衛門も非常に驚いていた。
竹谷は枝に腰を下ろして篝火の小さな光を見つめる。

さんの事を黙っていたのがムカつくのか?だからそんなにムスッとしてんのか?」
「…………」
は、お前がさんを失って壊れてしまうのを防ごうとしていたんだ。お前の事を想っているから、お前を好きだからは―――」
「そんなの嘘だっ!」
「?!」

隣を見れば、久々知は今が忍務中であることもスッカリ忘れて叫んでいた。鋭くなった眼光が、強い怒りを孕んでいる。木の幹に触れる手に力が籠った。

は、オレの事なんて好きじゃない。オレを好きだって言ったのは嘘だったんだ。許婚を失ったオレに……同情していただけなんだよ!」





オレのことが好きだって言ったことも嘘だったのか……?!





ただ恐怖で震えるばかりで、あの問いかけには答えなかった。
今思い出してもイライラしてどうしようもなかった。

「オレがを好きであることを利用して……アイツは……オレで遊んでいたんだ」

激情する久々知とは逆に、竹谷はのんびりとした口調で言った。

「オレはそうは思わない。は、兵助の事が好きだよ」
「何でそんな事が言えるんだよ?」
「オレも兵助と同じで、が兵助に嘘をついているのはおかしいと思ってた。ほら、学園にある池の前にいただろ?兵助の事を友達だと思っているんだったら、そこまでする必要なんてない。ただそっとしておけば良かったんだ。でも、他人に興味何て無さそうなが、どうして友達の兵助のためにそこまでするのかが不思議だった。だから、あのときに聞いたんだよ」





お前、本当は兵助の事好きなんじゃないか?





は真っ赤な顔してさ、全否定したんだぜ?おっかしかったな、あのときの……。あれじゃ『大好きです!!』って言ってるのと同じなのになぁ」

くっくっと竹谷は笑う。力いっぱい問いかけに否定をしたのことを思い出しているのだろう。久々知はその話を聞いて目を丸くする。そして瞬時に頬を赤く染めた。

「八左ヱ門、お前何嘘ついて……っ」
「嘘なんかじゃねぇよ。は、きっと自分の気持ちに気づいていないだけだ。それに、が人の気持ちを弄んだりしないヤツだって兵助も知ってるだろ?」

すっと瞳を細め、真剣な表情に変わる竹谷。その目が嘘をついていないことを、久々知は良く理解している。

は……お前を好きだから、余計に思い出して欲しくなかったんだ。さんの事を忘れたままにさせておくのは、オレもどうかと思う。でも、それだけは兵助に早く辛いことを忘れて欲しいって思っていたんだよ。少なくても、オレはと話していてそう感じたぞ。やり方が下手なだけで、がむしゃらに兵助を助けようと必死だったみたいだ」

の表情、声、言葉は久々知にとって今思い出しても心地良いものだった。その反動で、今は強い怒りに変わってしまっていたとしても、は久々知にとって大切な存在には変わり無い。
例えと比べてしまっても―――いや、と比べることなど出来ない。





は、だ。





でも、一度傷ついてしまったところは易々と治るわけではない。久々知は肯定を渋るように俯いた。

「……それが本当だとしても、オレは―――」
「兵助ッ!!」
「!」

竹谷の声にハッとなった久々知は、枝の上で飛び跳ねる。上の枝に腕を伸ばして掴んだ。
ぶら下がったままで自分が先ほどまでいた足元を見れば、深々と鋭利な矢が突き刺さっていた。もしあのまま立っていたら、確実に命中していただろう。
矢を引き抜いた竹谷が刃先を見ると、僅かに濡れている。毒が塗られている証拠だ。

「どうやら……見つかっちまったみたいだな、オレたち」
「そのようだ」

2人は下から感じる身を切りつけるような殺気を感じ、懐から鈍く光る苦無を取り出す。
にしか視えない赤い糸が、暗闇の中で揺れていた。















5年生が実習のため学園の外へ出かけているせいか、今日も食堂が少々静かに感じた。
夕食の時間になり、くのたまたちは忍たまたちよりも一足早くおばちゃんの食事に舌鼓を打っていた。今日のメニューは丼ものか定食かに分かれており、大食いのそうこは『両方!』と元気良くカウンターで頼んでいた。
ユキとトモミ、シゲは1人で箸を持ったままぼんやりとしているを見つけて声をかけた。

「こんばんは、先輩」
「あ……こんばんは」

は普段から明るいという方ではないが、今日のは流石に雰囲気が暗い。いや、昨日もその前も、の間違いだ。

「先輩、わたしたち一緒に食べても良いでしゅか?」
「ええ、どうぞ……」

シゲは許可をもらうとの前の席に定食を持って座り、ユキとトモミも空いている席に座る。
は3人が来るのと変わらずに食事を口にしようとしない。何をするわけでもなく、ただぼーっとしている。

「先輩……大丈夫ですか?」
「うん、平気よ」
「全然平気そうには見えないですけれど……」

トモミもユキも心配そうにを見ている。

「5年生の野外演習が気になっているんですね?」

問いかけたユキには少しだけ目を見開いて、それからまた元に戻した。それはユキの問いかけに対する肯定の証。3人はが5年生の忍たまたちと仲が良いことを知っている。
そう、5年生の野外演習は昨日の朝に終わる予定なのだ。ところが朝になっても昼になっても、そして今日の夜になっても5年生たちが戻って来ない。
外で行う実習には、引率の教師たちにも予想出来ない事が起きる場合もある。予定よりも遅れたり早まったりするのは良くある事なのだ。それはも編入した頃から理解している。
しかし、今回のは気が気で無かった。久々知とあんな風に別れてしまって気落ちしていたので、余計に久々知たちのことが気になって仕方が無いのだ。

(でも……、久々知に会っていったい何を話すって言うの?あたしはもう……久々知には許してもらえない。久々知を助けるつもりで、余計なことばかり……)

益々心の暗いところへ沈んでいくを感じ取ったのか、シゲは必死になって言葉を紡ぐ。

「そんなに心配することないでしゅ!実習に時間がかかってしまうこともありましゅよ」
「そうです!どうか元気を出してください」
先輩は暗い顔よりも笑っている方が似合いますよ」
「ありがとう……」

シゲ、ユキ、トモミの言葉がの胸に染み渡る。だが、かえって余計に暗い方へと引き摺りこまれてしまう。

(あたしも……、久々知にさんと一緒にいた頃みたいに笑って欲しかった。だから……あたしは久々知を元気にしたくて、苦しんで欲しくなくて―――ん?)

は、鼻につく食堂では絶対に感じられないはずの臭いに顔を顰めた。

「ねぇ……、何か変な臭いがしない?」
「変な臭いですか?私は全然……。ユキちゃんは?」
「ううん、全然わからない」
「わたしもでしゅ」

3人は良く分からないといった具合に首を傾げてしまった。

(あたしにしかわからないってことは……!)

はサッと自分の左手を掴み、小指を凝視した。すると、赤い糸からポタリポタリと赤い滴が零れ落ちているではないか。
糸よりもずっと濃くて黒ずんだ液体、それは血である。が感じ取った臭いはこの血の鉄臭さだったのだ。

「血が……ッ」
「え?」
「血って、怪我をしているようには見えませんけど……」

確かにトモミが言うように、の小指や手は怪我をしている様子は無い。けれどもは確かに血が流れ出ているのを確認している。





赤い糸から流れる血。





久々知とを結ぶ、赤い糸。





そこから連想されるのは、たった1つしかない。





「久々知……ッ!?」
「「「先輩?!」」」

は定食をその場に置いたまま、食堂を勢い良く飛び出して行った。















夕食時、学園長の庵に転がる様に飛び込んで来たのは、紺色の忍装束をボロボロにした尾浜勘右衛門だった。彼は5年生の野外演習に参加している1人である。しかし、帰って来たのは彼1人だけである。他の5年生は見当たらない。
勘右衛門は庵の戸を開けたのと同時にその場に膝をついてしまった。吸ったり吐いたりの動作を大きく繰り返している。

「勘右衛門か!」

土井が駆け寄って、勘右衛門の背中を擦ってやる。山田は直ぐに姿を消して、保健室にいる新野に知らせに出た。

「尾浜勘右衛門か。良く戻ったのう。既に昨日竹谷の梟から報告は得ておるが、状況はどうなっておる?」
「はッ、はッ……、はい……っ」

学園長の問いに勘右衛門は汗を大量に流しながら呼吸を整え、再び口を開いた。

「陣地偵察に向かった5年ろ組の竹谷八左ヱ門、い組の久々知兵助、それから森の中で監視を続けていたろ組の不破雷蔵と鉢屋三郎、そしてオレはタマゴテングダケの忍者と交戦しました。忍術学園の演習があるということを、向こうは知っていた模様です……。他の生徒たちも散々になってしまい、混乱が続いています。相手の目的はまだわかっていません。現在木下先生が、全力で調査と生徒の安全を確認中です」
「負傷者は?」

土井の質問に勘右衛門は頷く。

「7名ほど。しかし、学園に直ぐ戻って、治療が必要なほどの怪我人はいません」
「そうか……」
「しかし……っ」

勘右衛門は、奥歯をギリッと強く噛み締めて悔しそうに言った。





「……しかし、い組の久々知兵助が、今も、消息を絶ったままです……!!」





これには土井も学園長も目を見開いた。
事が起きてから既に丸1日が経過している。学園に残っている生徒たちには、まだ何も知らせていない。

「……御苦労であった、勘右衛門。お前は新野先生に治療してもらった後、部屋で待機しておれ」
「でも!」
「耐えるのもまた忍じゃ」
「………はい」

勘右衛門は、ここへ来るまでに体力をほとんど使ってしまっている。このまま外へまた出ても、足手纏いになってしまうだけだ。
自分の無力さを痛感し、さらに緊張の糸が切れたのか肩を落とす。

「土井先生は、5年生の演習場所へ向かってください」
「わかりました」

土井は勘右衛門を支えて立たせると、厳しい表情で庵を後にした。
この空間に残されたのは学園長のみ―――ではなかった。

「―――さて、そこにおるな?」
「はい」

名前を呼ばれてもは驚くことなく、天井裏の板を外して音を立てずに学園長の正面へ降り立った。正座で姿勢を正し、顔を上げる。
口元を一文字にして、真剣そのものという表情だ。手甲を付け、背中には小さな風呂敷を背負っている。直ぐにでも学園を出ることが出来る体勢だった。それを見て学園長は言う。

「どこへ行くつもりじゃ?」
「学園長先生、どうかあたしも5年生の演習場所へ行く許可をください!」

は頭を勢い良く下げて学園長に願い出た。
だが、

「ならぬ」

学園長は首を横に振った。
がガバッと顔を上げれば、学園長は深い眉間の皺を更に深くしている。

「5年生らも、まだ混乱し負傷者も出ておる。その中へお前を向かわせれば、ミイラ取りがミイラになりかねん。無論それはお前だけではなく、他の生徒たちもここで待機させる」
「でも……、あたしはどうしても行きたいんです。あそこには、あたしの助けたい人がいるんです」
「久々知のことか?」

どう尋ねられてはこくりと頷いた。曇りの無い瞳は、学園長に懸命に訴えている。

「久々知は今聞いたように消息不明。敵の忍者が蔓延る森の中、しかも月の見えない夜の内に探し出すのは無理じゃ。それに、久々知が怪我をして動けなくなっていると決めつけるにはまだ早い」

敵から逃れるために、どこかに身を潜めているだけかもしれない。
しかし、にはその説を全否定することが出来た。

「お言葉ですが、そうこうしている内に久々知が死んでしまうかもしれません!それに……あたしには久々知がどこにいるのかがわかるんです」

はぎゅっと左手を握り締めた。小指には学園長には視えない赤い糸が揺れている。そこからは、今も尚、血が流れて手首を伝い落ちている。
が結んだ赤い糸の先には、久々知がきっといるはずである。それを伝って行けば、久々知を見つけ出すことが出来るのだ。同時にそれはにしか出来ない。
つまりこの血は、のものではない。久々知が流している血なのだ。

「久々知がどこにいるかわかる……じゃと?」
「はい。だから、あたしを行かせてください。信じてもらえないかもしれませんが、あたしにはわかるんです!」

忌み嫌っていた、自分にしか視えない赤い糸。
何度も自分を苦しめ、消えて無くなってしまえば良いとずっと思っていた赤い糸。
けれども今その赤い糸が、の救いたい人の居場所を示している。

「ならんと言ったらならん」

学園長という立場ならば、いくら生徒の頼みとはいえ危険に晒す様な行為は出来るはずが無い。
もそれをわかっているのか、懐から1枚の和紙を取り出す。風呂敷を解いて矢立てを出すと、一筆紙に滑らせた。そして、出来上がった紙を畳に静かに置き、学園長差し出した。

「それならばどうか……、コレを受け取ってください」
「退学届か……」

紙には、が書いた退学届の文字がしっかりとした字書かれていた。
はぎゅっと拳を握る。コレこそが今学園長に示せる、最大の覚悟の証だった。

「受理されれば、あたしは忍術学園の生徒でも何でもありませんので、制約は何も無いはずです」

は口籠ったりせず堂々とした態度で言った。こちらをじっと見据えるに学園長はようやく首を縦に振って見せる。そして、差し出された退学届をその手に取った。

「ふむ……良かろう。退学届をこの場をもって受理する。これでお前は自由じゃ。好きにすると良い」
「はい!ありがとうございます!!」

はその場に両手をついて深々と頭を下げた。その動作に合わせて赤い髪が肩を滑り落ちる。

「今まで大変お世話になりました……。では、失礼致します」

さっそく立ち上がる。庵を出て行こうとするの背中に、学園長が呼びかけた。

「1つ聞かせてくれんかのう」
「……何でしょう?」
「お前の赤い糸を視えなくする方法を探すため、ここへ来たのじゃろう?なぜそれを捨ててまで、お前は助けに行こうとするんじゃ?」
「?!……学園長先生、ご存じだったんですか?」

は、自分がが忍術学園に入学し真の目的を学園長が知っていたことに驚愕してしまう。驚いているとは逆に、学園長は余裕の笑みを浮かべていた。

「このわしが何も知らないはずないじゃろう?お前のことは既に調査済みじゃよ。くの一になる事だけが目的じゃない者もおる。ただそれだけのことじゃ」
「学園長先生……」

学園長が怒っていないということがわかっては胸を撫で下ろした。

、今一度質問するぞ。なぜお前は赤い糸を視えなくする方法を捨て、久々知を助けに行く方を選んだんじゃ?」

は学園長の言う通り、忌々しいこの赤い糸を視えなくなる方法を探して忍術学園に編入した。各地方の情報が集まって来る忍術学園ならば、何か手掛かりがあるのではないかと考えたからだ。その他はもう血眼になって探し尽しており、頼れるところはここだけだった。
編入してからも周りに本来の目的を隠し、毎日毎日本を読み漁った。
忍術学園にいれば、いつかは赤い糸を視えなくする方法を見つけることが出来るかもしれない。だが、今のはそれを自ら捨てる方を選んだ。以前のならば考えられない心の変化だった。
人を結んでいる赤い糸を見るだけで吐き気がした。嫌な気持ちが胸を支配し、不快感が廻った。何度経験しても慣れない事で、にとって、苦痛でしかないものだった。
赤い糸は母の事も思い出させる。
人は結局嘘をつく。恋愛は特にそうだ。表面では睦まじくても、赤い糸は常にその反対のことを自分に伝えてきた。
嫌だった。どうしようもなく。

(でも、久々知は?)





恋をするって……そんなに楽しい?





ああ、今オレはすごく楽しいよ。






「あたしは……恋愛事って嫌いでした。表ではにこにこ笑っていていても、心の中では汚いことを考えているんです。皆そうだった。でも、久々知は違っていたんです。久々知は、あたしに見せてくれたんです。人を好きになることの楽しさや本当の笑顔を……あたしに見せてくれました」

久々知がに向けている笑顔は全て本物だった。
楽しいと言ったその言葉は、嘘偽りの無い言葉だった。
の執着していた全てを捨てても良いと思える、そんな美しい赤い糸を久々知はに視せた。

「あたしは、もう赤い糸なんてどうでも良いんです。久々知がまた笑ってくれさえすれば、それで良いんです」

は、自分でもわかっていなかった感情の答えを見つけ出した。
そしてそれは、自然と最高の笑顔で口に出来るものだった。





お前、本当は兵助の事好きなんじゃないか?





「あたしは、久々知兵助が好きなんです」


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