第二夜 いつか別れる日

蔦が巻き付き、崩れかかった門を潜った。先頭の兵助が城内の様子を伺う。雨のせいで湿った匂いがした。雨漏りをしているせいか、静まり返った城内には雨の雫が落ちる音がやけに大きく響く。
兵助は入り口で待つ他の5年生と合流する。

「兵助、どうだ?」

を護るようにしながら竹谷が声をかけると、久々知は『大丈夫だ』と頷く。

「誰の気配も感じない。山賊がいたような形跡も無い。城内は見た目よりも頑丈そうだから、直ぐに倒壊する危険も少ないだろう」
「そっかそっか。それならを中に入れても大丈夫だな」
「姫サン、雨で滑るから足元に気を付けてくれよ」
「うん、ありがとう」

三郎の手を借りて、は崩れた壁から敷地内へ入った。

さん、こっちです」

雷蔵が手招きをしている方へは足を速めた。
全員が城内へ入った事を確認すると、最後に久々知が辺りを見回して城内へ続いた。
雨で曇っているため、廃城の中は暗く視界が悪い。
得体の知れない廃城が、自分を飲み込んでしまうような錯覚を覚える。湧き上がる不安を抑え込むように、は濡れて冷えた肩を両手で抱いた。

(陰鬱な空気……。きっと雨のせいだよね?)
、寒いのか?」
「え?ああ、うん、少しだけね。古い城みたいだし、隙間風かな?」
「だったらオレの上着を着ていろよ」
「ハチ、お前の上着も濡れてるだろう」
「う……!それなら三郎だって同じだろ?!」
「…………」
「三郎くん?」

妙に押し黙った三郎に、は少し不安そうな顔を浮かべた。三郎はの視界を遮るように近づいてくる。

「私には妙案があるからな。姫サンの事を温めてやれる」

得意げな三郎は、するっとの肩に腕を回した。いきなりの事だったので、は『わっ?!』と声を上げた。

「さ、三郎くん?」
「こうして冷えた身体を温めるには、肌と肌を密着させるのが1番―――」

更に身体を密着させようとした三郎の直ぐ横で、バキッ!という破壊音が鳴る。三郎が顔に感じた強風。三郎は身の危険を感じてビシッ!と硬直してしまう。背筋が凍った。これは隙間風ではない。雷蔵の鋭い拳だ。

「三郎、今直ぐにその腕を退けないと、お前の顔面に風穴が開けてあげるよ?」
「じょ、冗談に決まってるだろう?!だからさっさとその拳を仕舞ってくれ!」
「落ち着いて雷蔵くん……!」
「姫サン、私のために……?!」
そんな事したら、雷蔵くんの手が傷ついちゃうよ
ズコー!!_(┐「ε:)_
「あ、雷蔵が戸板を壊したおかげで木片が出来たな。この囲炉裏に入れて火を熾そうぜ」
「ああ、それは丁度薪に代わりに良いな」

完膚なきまでにスルーされた三郎は、ガックリと肩を落とした。

(……さっきの三郎くん、ちょっと変だったけど、気のせいかな)

久々知は雷蔵が壊して出来た木片を受け取り、年季の入った囲炉裏の中へ入れた。慣れた手つきで火を点けると、周囲がほわっと明るくなった。薄暗い城内の薄気味悪さが少しだけ軽減されたような気がした。
濡れた上着は見つけ出した衣紋掛けに掛けて乾かす。
小さな炎を囲んで、5年生達は他愛のないお喋りをしていた。

「は〜、雨とは予期せぬ事になったが、雨を凌げるがあって良かったな」
「本当にな。濡れて帰ったら、彦兵衛殿に叱られてしまうところだった」
がずぶ濡れになっていたら、あのじいさんはカンカンになるんだろうな〜」
「そうだろうね。……あ!でも、このまま雨宿りをしたら帰るの遅くなるよね?僕達もう怒られる事決定なんじゃ……?!」
「うっ!そういえばそうだな?!」
「う〜ん、どうしよう?どう言い訳をすれば……。アレかな?コレにしようかな?それとも……う〜〜〜ん……」
さんの事は彦兵衛殿も気にかけているようだから、もう手遅れだろう」

彦兵衛からの鉄槌を考えると慌ててしまう。しかし、怒られるとわかっていても彼らはどこか楽しそうだ。

「床がボロボロで、今にも抜けてしまいそうだ」
「おい兵助、あんまり床板を押すなよ!穴開く!」
「流石に古くなってて、黒ずんでいるところも多いね〜」
「燻されて天井が黒くなるのはわかるけど、床も妙に黒いような……?」

そんな様子の彼らを暫く見守っていたが、ふとにある考えが浮かぶ。





(私、いつまでここにいても良いのかな……?)





気が付いたら見知らぬ城にいて、見知らぬ少女になっていて、しかも命まで狙われた。2つの国の騒動に巻き込まれてしまい、解決された今日まで全く考える余裕は無かった。自分が、この世界の異物である事を。
今日も一緒にいる彼らと遊べて楽しいはずなのに、はその輪の中に入っていけない自分に気づいている。それは彼らがを輪に入れないのではない。が線引きしているのだ。
この輪に入ってはいけない、と。

「姫サン」
「…………え?あっ」

三郎に名前を呼ばれ、顔を上げる。いつの間にか全員の視線がに集まっていた。
何か言わなければ。
口を開きかけたとき、雷蔵が柔らかく微笑んだ。

「今日一日、ずっと何かを気にしていませんでしたか?」
「え?」
「何か僕らに話したいことがあったんじゃないですか?」
「……どうして」

二カッと竹谷が白い歯を見せて笑うと、久々知の方を見た。久々知は少し呆れた様に言った。

「今日は上の空でしたよ。さんは空元気が上手みたいですけれど、流石にわかりやすかったです」
「そうだそうだ。特にさっきの姫サンはぽや〜っとしていたぞ」

そんな無防備な顔を見られていたのかと思うと、は恥ずかしくなって首の後ろに手を当てた。その仕草を目の当たりにして、全員が笑みを零した。
久々知は真面目な顔をしてを見つめる。

さん、この廃城を見つけたのは偶然ですけれど、幸いオレ達以外に誰もいません。だから、話してくれませんか?あのときは……さんの抱えているものに気づけませんでした。でも、今のオレ達は違います。きっと、さんの力になれるはずです」

あのとき―――が十六夜を演じなければならなかったとき、は自分の存在を殺し続けなければならなかった。
でも、今は―――

「ありがとう、久々知くん。ありがとう、皆……」

は1人1人を見て、それから自分の事を話す決意を固めた。そして、自分がこの世界の人間ではないと、初めて明かした。















が着ている着物が随分変わっているから、てっきり南蛮人かと思っていたけれど……」
「まさか異世界人だったとは!私にも予想外だったな」
「しかし、十六夜姫の身体に入っていた時点でただ者ではないのだから、納得出来る事も多い」
「それもそうだね。むしろさんが異世界人だったからこそ出来たと思えるし……」
「……えっ?!あ、もしかして、私の話信じてくれてる?!本当に……?!」

思わずは確認するように身を乗り出した。
突然『私は異世界から来た異世界人です』と言われて、そんな話を信じる者はいないだろうと思っていた。だが、実際の反応はあまりにも肯定的なものだった。この反応にはの方が慌ててしまう。

「オレ達も、何の根拠もない話を信じているわけではありません」
「そうだぜ!赤眼病だってオレ達は知らなかったけれど、この目で赤眼病や鬼化するところを見てきたわけだし、わけわかんねー事だって世の中には沢山あるだろ!」
「八左ヱ門は最初護衛の忍務が決まったとき、『鬼姫だー!』って怖がっていたよな」
「今その話しなくても良くない?!」
「まぁ、私も普通に聞いていたら姫サンの話を信じたりしなかったさ。でも、姫サンが砂になった後に本当の姿で現れたのも、きっと姫サンが異世界から来たお陰だろう。むしろようやく姫サンの言葉で謎が解けた気がする」
謎は全て解けた!!
真実はいつも1つ!!
「ハチ、三郎、これ以上言うと色々引っかかるよ」

ポカンとしているに、雷蔵はそっと手を伸ばしてのそれを重ねる。そして、そのままぎゅっと握った。の胸の中がその熱で満ちてくる。

さん、僕、とっても大雑把なんだ。だから、さんが何者とか、どこから来たかとか、気にしないよ。僕らは、僕らと一緒にいた目の前のさんが全てだから」

緊張して冷えていた指先に血が巡っていくのを感じた。やがて目頭がとても熱くなっていき、の両目からは全ての感情が涙となって零れ落ちた。

「わっ?!さん、ごめんなさい!僕、何か嫌な事を言いましたか?!」
「雷蔵が手を握ったから―――」
「三郎、風穴」
「アッ、ハイ」

は涙をそっと拭い、心からホッとしたような笑みを見せた。

「おかしいね。涙がこんなに出るのに、何か笑っちゃうの」

そのの一言に、今度は彼らが温かい気持ちになっていく。

(思えば、護衛中のはずっとピリピリした顔だったもんなぁ……)

命を狙われた。しかも、自分ではない別人として命を狙われたのだ。自分の存在を隠し、巻き込まれた身でありながら、懸命に2つの国の争いを食い止めようとした。体が病魔に蝕まれて、醜く変わっていくところを目にしても、決して諦めなかった。

(そんな姿を知っているから、私達は……)
「…………」
「どうした?兵助」
さんがオレ達に話そうか迷っていたのは、オレ達がこの話を信じるかどうかではないのでしょう?」

少し悲しそうに久々知がに視線を送ると、少し苦しそうに眉を眉間に寄せて頷く。その意味がわからず、雷蔵と竹谷が首を傾げた。一方で三郎は久々知が言わんとしている事を口に出した。

は、本来この私達の世界の人間ではない。だから、いつか自分の世界へ帰らなければならない。その事を私達に言い出せず、悩んでいたんだろう?姫サン」
「「?!」」

三郎の言葉が雷蔵と竹谷の胸に突き刺さった。特に竹谷は三郎の肩に思わず掴みかかってしまった。

「三郎!そんな事……、そんな事でが悩むわけ―――」
「お前はバカなのか。姫サンには姫サンの生活があって、家族も友人もいる。ずっとここにいられるわけないんだよ」
「〜〜〜っ!」

三郎の言う事は全て正論だ。竹谷にも家族や友人、大切な故郷がある。それを全て捨ててしまう事は簡単ではない。
だが、それでも心は正直だ。例え正論だったとしても、諦めきれない。は彼らにとって既にそういう存在になっていた。

「雷蔵!お前は?!お前はどうなんだよっ?!」
「僕は……、僕だって、ハチと同じ気持ちだよ!でもっ、でも…………」

消えてしまいそうに小さくなる声が、何を意味しているのか伝わってくる。竹谷もも苦しくてたまらない。

「落ち着け、八左ヱ門」
「八左ヱ門くん、私、帰り方なんて全然わからないし、今直ぐお別れするわけじゃないよ!」

は自分がこの世界に来る直前の出来事を何1つ覚えていない。自分の世界への帰り方も当然わからない。
竹谷へのフォローのつもりだったが、は自分の言葉に対して内心傷ついていた。異世界からの帰り方など、どんな本を読んでも書いていないだろう。5年生達よりも年上だとしても、はまだ高校生だの少女だ。不安や寂しさは計り知れないだろう。
感情の行き場を失った竹谷は、歯を食いしばって耐えていた。そして徐に立ち上がる。

「確かに今は帰り方がわからねぇかもしれねぇけど、は突然ここに来たんだろ?だったら、いきない帰っちまって、オレ達の前からいなくなる事もあるよな?」
「それは……」
「…………」

普段の竹谷からは考えられない、暗く沈んだ声色だった。竹谷の言葉に、竹谷を抑えていた5年生達も黙ってしまう。
いつか別れるとしても、いきなりがいなくなってしまう事は考えていなかったのだ。心の準備も別れの挨拶も出来なかったら、本当に心残りになってしまうだろう。
淀んだ空気の中になってしまった事に耐えられなくなり、竹谷は皆に背を向けて歩き出した。この行動には思わずと雷蔵が立ち上がる。寂し気な竹谷の背中を呼び止めた。

「八左ヱ門くん!」
「ハチ!」

足を止めたが、彼は振り返らない。取り繕ったような声で答えた。

「心配するなよ。ただ少しここから離れたいだけだ。ここにいたら、にまた悲しい顔をさせちまうからな」
「八左ヱ門くん、私……」

それ以上は何も言えなかった。

(悲しくさせたのは、私の方だよ……)

座ったままの久々知と三郎が口を開く。

「心配せずとも大丈夫です、さん。八左ヱ門は忘れっぽい男ですから」
「そうそう。後3歩も歩けば全部忘れてケロッとしてしまうよ」
「オレ健忘症かな?」
「それに、忍者は辛い事を忘れて生きていかなけりゃならないんだからな」





『忘れて生きる』





閉ざされた扉が開く音がして、は動けなくなった。





ちゃんは、忘れて良いんだよ。





辛い事なんて思い出さないで。





忘れて、良いんだよ。






バキッ!!





「?!」

木の板が割れる音がして、の意識は引き戻された。それは、竹谷が足元の床を踏み抜いてしまった音だった。恐らく腐ってしまっていたのだろう。竹谷の重みに耐えきれず踏み抜かれた床板は空洞に代わり、竹谷の身体を沈ませる。

「えっ」
「八左ヱ門くん!!」

咄嗟に駆け寄って手を伸ばすは、竹谷の腕を掴んだ。しかし、予想外の事が起きた。床下に足が着かないのだ。まるで落とし穴のように―――いや、奈落の底のように深い深い穴になっていて、竹谷はそのまま落ちていく。は竹谷を引っ張り上げようと力を込めたが、竹谷の身体を支えられない。

さん!?」
さん……!」
「姫サン!!」

一斉にの元へ3人は駆け付けるが、あと一歩のところで触れる事は叶わなかった。三郎の手は空を掴むことになる。

「だっ、誰か1人くらいオレの心配をしろおおおおーーーー!!」
「わああああーーっ!?」

と竹谷の絶叫が木霊する。
崩落する床板と一緒に、と竹谷は闇に通じる穴の中へ落ちていった。