小鳥の囀りも聞こえない静かな早朝に、私は目覚めた。
直ぐ横のチェストの上に乗っている時計は目覚まし時計のくせに、一度も鳴った事が無い。いくらタイマーをセットしても、それよりも前に私が起きてしまうからだ。
上半身を起こし、ベッドに腰掛ける。足の裏に伝わるフローリングの冷たさに一瞬だけ不快感が走る。
洗練されたデザインの机の直ぐ横には、ステンレスの磨き抜かれた本棚が1つある。背の高い大きな本棚には、満員電車のようにぎゅうぎゅうと詰め込まれている料理本の数々。あの人の好きな料理が全然わからないので、和食も洋食も中華も全て揃え様とした結果がコレだ。お菓子の本も同様に並んでいる。並んでいるというか、詰め込まれている。自分でもそろそろ整理しなければと思っているのだが、部活や試験が重なって全然手付かずになっている。
私は立ち上がり、パジャマ代わりにしている薄緑のTシャツと短パンをベッドに脱ぎ捨てた。クローゼットを開いて、ハンガーにぶら下がる洋服を少しの間眺めた。けれども結局はクローゼットを閉じ、ポールハンガーにかかっている着馴れた制服に身を包んだ。
誰の足音も聞こえないこのマンション。
無駄に広いこの部屋が、どうしても好きになれなかった。
ときどき自分が何人家族だったのかわからなくなる、この部屋が大嫌いだった。
静かに部屋から出て、私は廊下に視線を落とす。私の直ぐ隣の部屋のドアの前に、ラップがかけられて放置されているトレイが見える。昨日の夜に作ったのは、讃岐うどんと胡麻ドレッシングのかかった豚しゃぶ。それがそのまま残されている。
何度も何度も見てきた光景にも関わらず、私の胸は軋んだ。
悲しみと息苦しさが内部を支配しない内に、私は屈んでそのトレイを片づける。昨晩トレイを置いたときと同じく、ドアの隙間から蛍光灯の光が漏れていた。
自由に走り回れるほど広さのあるリビングで、電気も点けず、私は昨日の夕食を今朝の朝食として処理した。冷たい豚しゃぶも讃岐うどんも、温め直す手間が省けてこの時期は良い。

「また……食べて貰えなかったのですね」

背後からか細い十六夜姫の声がした。私は箸を置いて振り返る。
身長は私よりも小柄で、年齢は10代半ばだろう。私とは違う癖のない真っ直ぐな黒髪が風も無いのに棚引いている。真珠のように白い肌にふっさりとした睫毛が影を落としていた。パッチリと大きな黒目には、悲しみが滲み出ている。ようするに絶世の美少女。鮮血のように赤い打ち掛けに絹糸の鶴が映え、時代劇のお姫様そのもの。いや、実際に彼女は私とは時代も世界も違うらしいが、ある国の姫なのである。

「そう簡単に食べてくれていたら、ここまで苦労していないよ」

今にも泣き出しそうな深窓の姫君に、私は冗談っぽく笑いかける。すると、彼女は大きな瞳を何度か瞬かせて、桜色の唇を再び動かした。

「もう驚かれませんのね」
「そりゃあ……。もう慣れました」

その件に関してはもう本当に笑うしかなかった。
ちょっと古風な美少女、十六夜。彼女が私の目の前に現れたのもこうして食事をしているときだった。何の足音もしなかったのに、突然後ろから『お助けください!』と叫ばれたんじゃ誰だって驚く。
しかし、私が1番驚いたのは……、





彼女の姿が朧月のように霞み、透き通っている事だ。





「あのときのあなた様は、大変驚かれてひっくり返ってしまいましたものね」
「それはそうだよ!幽霊なんて初めて見たんだから。それに、驚いたのは十六夜姫もでしょう?」

十六夜姫は私に助けて欲しいと訴えたにも関わらず、私がその声に反応した事に酷く驚いていた。
彼女は私とは別の世界の人間で、病気になってしまい城で寝込んでいたらしい。気がつくと全く知らない不思議な場所にいて(多分この世界のどこかの事だろう)、しかも、自分の姿が誰にも見えていなかったと言う。何度も道行く人に声を掛けたらしいが、皆無反応だったのだ。
途方に暮れていたところ、私が十六夜姫の声に反応してひっくり返ったので、私と同じくらい―――いや、私以上に驚いてしまったのだ。
彼女は十六夜と名乗り、私に助けを求めてきた。
しかし、その助けて欲しいという内容は、元の世界へ戻る事ではなかった。

「わたくしは厳密に言えば、まだ死していません。……時間の問題ですけれど。でもその前に、どうしても果たさなければならない約束があるのです。兄と交わした約束が……」

十六夜姫はそう言ってぎゅっと細い手を祈るように握り締めた。
眉を寄せている十六夜姫を見つめながら、私は初めて彼女と出会った7日前に想いを巡らせた。
















「あっ、あなたは誰……?!というより、あなたは何?!ゆ、幽霊ですか?!そうなんですか?!」
「わたくしは十六夜と申します!光陽国の姫でございます!今はこのような姿ですが、もののけではなく人間です!」
「そんな姿で言われても全然説得力ないよ!」

突如半透明の人間(?)が現れて、私はソファの影に隠れながら様子を伺った。幽霊なんて摩訶不思議なものは、夏の心霊特集番組でしか見たことが無い。というか、生で見たことなど生まれてこのかた一度も無い。
十六夜姫は必死の形相で宙に浮いたまま私の目の前で膝を折り、土下座をした。長い艶やかな黒髪がそれに合わせて踊る。

「どうか……あなた様にお願いしたき事がございます。どうかわたくしをお助けください!わたくしには、もう……っ、時間が無いのです……!」

あまりの気迫に私は暫くの間茫然としてしまった。
心霊特集に出てくる幽霊は怨霊と呼ばれ、目が飛び出ていたり顔色が紫だったりなど恐ろしい姿をしている。でも彼女は人間の姿を保っている。しかも美しい部類に入る女の子だ。自分でも名乗っているように、まるで何百年前かのお姫様そのもの。礼儀正しい育ちの良い感じが伝わってくる。礼儀正しい子に悪い人はいない、と思う。うん、第一印象って大切だ。
いきなり何の前振りも無く現れた謎の幽霊は、私にどうやら危害を加えるつもりではないらしい。……これが現実の出来事なのかすごく怪しいけれど、ひとまず話を進めよう。
私はソファから隠れるのを止めて彼女と同じく床に座った(彼女は浮いているけれど)。

「…………何だか良くわからないけれど、とにかく話してみて。力になれるかどうかわからないけれど、あなたが必死な事は良くわかったから」
「あ……っ、ありがとうございます!!」
「もう、そんな土下座なんて止めて顔を上げてってば」

十六夜姫は咽び泣いて暫くの間顔を上げる事が出来なかった。落ち着くまで待つ間、まるで私が泣かせてしまったように思えて少し不安になる。
やがて十六夜姫は恥ずかしそうに顔を赤らめてもじもじと私を見上げた。その顔は年齢以上に幼く、思わず守ってあげたくなる。

「はしたないところをお見せして申し訳ありませんでした……。わたくしの名は十六夜―――ああ、先ほども申し上げましたね。あなた様のお名前を伺っても宜しいでしょうか?」
「え?あぁ……私は
様、どうかわたくしに力を貸していただけないでしょうか?わたくしは……まだ死ぬわけにはいかないのでございます!」
「死ぬわけにはって……、あなた、言い難いけれど……もう幽霊になっているじゃない」

十六夜姫は首をブンブンと大きく振って否定する。半透明の両手を自分の胸部に当てて静かに言った。

「いいえ……。わたくしはまだ死んでいないのです。ですが、時期に死ぬでしょう。わたくしの肉体は、今ここにありません。先ほどまで病により城で床に伏せっておりましたので」
「えっと……、それってどういう事なの?」

いまいち良く理解出来ない。
十六夜姫は私に強い決意に満ちた瞳を向けた。それは守ってあげたくなるようなものではなく、まさに一国を背負う姫だった。

「わたくしは元々月陰の姫でした。月陰という国には、遥か昔より研究している恐ろしい病がございます。赤眼病という病です」
「赤眼病……?それってどんな病気なの?」
「赤眼病とは、親から子へ伝わる病で人には移りませんが、一度発症してしまうと……鬼のように強大な力を手に入れるのです。目は血のように赤く染まり、体に気味の悪い痣が全身へ広がって、爪もまるで獣のように……。最終的には白髪となって、正気を失い……人を無差別に殺めていくのです……」
「な、何それ……酷い……」

想像しただけでも恐ろしい。そんな病気が本当に存在するのだろうか?でも、それが真実である事を十六夜姫の態度が示している。
十六夜姫は胸元をぎゅっと握り、息苦しそうに言葉を続ける。

「わたくしはその病を受け継いでいます」
「それって大変じゃない?!……さっき言ってた、床に伏せっているっていうのは―――」
「いいえ。それとは別の……重い肺炎でしょう。時折話していると息が詰まりそうになってしまうのです。向こうにいるわたくしの肉体も、そろそろ限界だという事ですね……」

『限界』とは、死ぬという事なのだろう。

「わたくしはその後の事を案じているのです」
「その後?」
「はい。わたくしには月陰に残してきた兄がいます。兄もまた、わたくしと同じ赤眼病なのです。兄はたった1人で研究を止めさせようとしていますが、研究を続け、人間兵器を生み出そうと企む者がほとんどなのです。兄も感染者ですから、いつ発症してもおかしくない状態です。もしも兄まで鬼となってしまえば……、もう誰にも狂気の連鎖を止める事は出来ませぬ。そうなれば、近隣の国を巻き込む大きな戦になるでしょう……」
「戦……。戦争って事よね?もしそうなったら……たくさんの人が死んでしまう…………」

私の脳裏に、暴力事件で亡くなった親友の顔が浮かんだ。
当時の出来事を私はほとんど覚えていない。いや、本当は忘れてなんかいない。思い出す事を、私の脳が拒んでいるのだ。
暴力とは、私が最も忌んでいるものの1つ。

「……お兄さんは、十六夜姫を助けるために今いる国へ?」
「はい……。わたくしも兄のお力になりたかった。ですが、このか弱き我が身では……」

十六夜姫は悔しそうに唇を噛んだ。

「事情はわかったけれど、でも私にいったい何が出来るのか全然わからないよ。十六夜姫の世界にどうやって……」
「それはご心配ありませんわ。わたくしが、最期の力を使って様をわたくしの世界へお送り致します。わたくしの身体に入り、わたくし―――十六夜として兄の力になって欲しいのです!」
「えぇ?!そんな事出来るの?!」

益々ファンタジーの世界だ。やっぱり夢なのかもしれない。

「出来ます。申し上げるのを忘れていましたが、赤眼病になった者で稀に面妖な力を使える事があるのです。わたくしは近々起きる出来事を予知し、夢で視る事が出来ました。兄が1人で何もかも背負おうとしている事も、この力で知ったのです」
「お兄さんは何も十六夜姫に話さなかったの?」

十六夜姫は目を細めて悲しそうに、けれどもどこか嬉しそうに頷く。仕方のない、困ったといった顔で。

「……わたくしの知る兄は、昔からそういうお方でした。いつも民の事ばかりお考えで、自分の事なんて後回し。妹に心配させる困った兄でした」
「そうだったんだ……」
「それにしても、わたくしに予知以外の力があるとは知りませんでした」

十六夜姫は、透き通った自分の体をまじまじと眺めた。

「その事だけれど、私をあなたの世界に送るって、やっぱり無茶じゃない?だって私、ただの女子高生だよ?」

そうだ。今まで私は何か特別な力を持っていたりなんて事は無い。どこにでもいる普通の女子高生なんだ。

「そんな私が、あなたの世界で役に立てるなんてとても思えないよ」
「いいえ!様にしか出来ない事です!!あなた様は、わたくしの姿が視え、わたくしの声をそのお耳で聞く事が出来た唯一のお方です。きっと、わたくしに近い何かをお持ちに違いありません」
「十六夜姫と、近い何か……?」
「左様でございます。ですからどうか、わたくしの身が病で死する前にどうか……、月陰の陰謀をお止くださいまし!!」
「だっ、だから土下座はしなくて良いってば!」

またしても私に土下座をして頼み込んだ。いくら名前を呼んでも、それから顔を上げてはくれなかった。
はてさてどうしたものか……。
とにかく、土下座は止めてもらおう。

「十六夜姫、顔を上げてください」
「わたくしは、様が良い御返事をくださるまでここを動きませぬ!お願い致しまする!もしわたくしの願いを聞き届けてくださるのであれば、1つ願いを何でも叶えます故!」

これは梃子でも動かせそうに無い。いや、それ以前に半透明な彼女には触れる事が出来ない。肩を掴んで起こそうとしたけれど、やはり触れる事が出来ずに手が空をきった。

「動きませぬ!何があってもわたくしは―――」
「あのね……、誰も嫌だなんて言っていないでしょう?」
「…………………え、え?えええええええええーーーーっ?!」
「そんなに驚かないでよ」

十六夜姫は、大きな目を更に大きく見開いて私を凝視した。あんなにも頑なに顔を上げなかったのに、私を前のめりになって見つめている。その姿に私は思わず笑ってしまった。さっきまでの大人びた彼女はどこにもいなかったのだから。

「だって、あのっ、わたくし……てっきりお断りされるのだとばかり……っ」
「だから、一言もそんな事言っていないって。私は、困って泣いている女の子を放っておくほど薄情じゃないつもりだよ」
「ですが、唐突なお願いであるというのに……。信じてくださるとはとても……」
「確かに信じられないような出来事ではあるけど、あなたの必死さは私に通じたよ。だから、任せて」

ポンと自分の胸の辺りを叩いて見せると、十六夜姫は限界かと思っていた瞳を更に一瞬だけ大きく開き、ぎゅっと瞼を閉じた。大粒の涙がポロポロと白い頬を伝い落ちる。顔をくしゃくしゃにした小さなお姫様は、緊張の糸が千切れたらしく泣き続けた。
私はお姫様を包むように両腕で囲う。触れられなくても、こうしてもらった方が安心出来ると思ったから。

「そのまま聞いて」
「!」

私は静かに彼女の耳元で語りかける。

「7日間だけ、待って欲しいの……。それまではどうしても、この世界にいなくちゃならないんだ」

こくんと小さな頭が動くのを見届けて、私は瞳を閉じた。
















リビングの端に飾ってある写真立てを見つめた。
小学校の卒業式の時に撮った写真には、卒業証書の入った筒を持った私と、眩しいくらいの笑顔をこちらに向けている親友の姿が映っている。鮮明に、色あせる事無く。舞い散っている桜よりも目を引く親友の笑顔の隣で、11歳の私も笑っている。親友の隣にいる私はいつも笑顔でいる事が出来た。
今の私はどうだろう?
今の私はどんな顔をしているだろう?
少なくても、あの頃のように私は笑えていないと思う。

「十六夜姫」
「はい」
「私はね、正直なところ、あなたの言う事が本当に起きているのか半信半疑だよ。まだ夢みたいな気分かな」
「それはなぜ……、様はわたくしの世界に参ると……」
「7日間、私はこれまでの事を考えていたんだ。自分で言うのもアレだけれど、私は割と厳しい人生を歩んできたと思う。ドアの向こうにいるあの人―――兄さんを、私は傷つけてしまったから……、だから私たち家族はバラバラになってしまった」

だだっ広いマンションの一室で過ごす孤独な時間に、私は常に怯え、やがて生きている意味なんて無いんじゃないかと考えるようになった。
私は写真立ての中の親友を指でそっと撫でる。

「でも、たった1人だけ……私に希望をくれた人がいた」
「それが、そのお方なのですね」
「うん。いつも私の傍にいてくれた子なの。その子は私にこう言ってくれた。『いつかお兄さんが一緒に夕飯を食べてくれるその日まで、頑張って生きてみようよ』って。だから、私……その子と約束をしたの」
「約束……」

十六夜姫は、その言葉を自分に言い聞かせるように呟いた。

「だから私はどんな事があっても、兄さんとの対話を諦めない。いつまでも私は独りきりかもしれないけれど、ここで待ち続けるよ」
「ならば、わたくしと一緒に参るのはご無理なのでは?お友人とのお約束を破る事になってしまうのではありませぬか?」
「それで少し待って欲しいって言ったわけじゃないよ。今日は…………あの子の命日だから」
「な……っ、亡くなったのですか……?!」

喉を引き攣らせて問いかる十六夜姫に、私は深く頷いた。

「学校で起きた暴力事件でね……。私を庇って亡くなった。あの子は死んでしまったけれど、私の中に約束が今でも生きている」
「……でしたら、やはりご無理をなさらない方が宜しいかと存じます。あなた様の事情も知らずに、わたくしはとんでもないお願いを―――」
「十六夜姫」
「は、はい……?」
「十六夜姫は、私とあなたに近いものがあるかもしれないって言ってたよね」
「ええ……そう申し上げましたが……」

私は写真立てを元の場所に置き、十六夜姫に向き合う。ふわふわと浮いている十六夜姫と、私。姿かたちも性格もまるで別人。まるでと言うか、本当に別人なのだけれど、私は十六夜姫の言う共通点に気付いていた。

「私には確かに約束がある……。でも、私はお兄さんを助けたい、家族を護りたいっていうあなたの力になりたい。もし、私が十六夜姫と同じ立場だったら、きっと私も同じ事をするよ」
様……!!」

お兄さんを助けたいっていう気持ちは私にも良くわかる。

「あの子だってきっと許してくれるはずだし、逆に『力になってあげて!』って言うと思うんだ。この出来事が幻で、ただの夢だったとしても……夢の中でくらいカッコつけたいから」

あははと照れ隠しに笑ってみせると、十六夜姫はまた泣き出しそうになってしまった。豪華な着物の袖口で涙を拭うと、私に優しく目を細めて笑う。

様は、やはりわたくしと近い……非常に良く似ていると存じます。本当に、あなた様と出会えて良かったです。御礼に、何か1つ願い事をおっしゃってください。1つくらいなら、この鬼の力で叶える事が出来るかもしれません!」
「え?お礼?いや……私は別にお礼なんて―――あ、そうだ」
「何なりとお申し付けください!」

十六夜姫が張り切って前のめりになった。私は『それじゃあ』と言葉を続ける。





「あなたと出会った7日間の記憶を消してください」





「えっ?」
「あなたと私は出会わなかった、という事にして欲しいんだ。私のこのお願いを聞いてくれる?」
「そ、それは出来ますが……なぜですか?様はわたくしの身体に入り、十六夜として振舞われる。その先で予備知識が無くては、難しい事に直面してしまいますよ!」
「それで良いの。もし私があなたの事を向こうで話したとしても、きっと誰も信じてくれないよ。逆に怪しまれてしまう……。赤眼病の事だって、極秘なんでしょう?口が滑って話してしまったら、それこそ大変な事になるよ。だから、私に事情を話す事が出来ない状況を与える、というわけ。そうすれば話したくても話せない。何せ覚えていないんだからね」

十六夜姫も私が言った事を考えているみたいで、少しの間黙っていた。そして、考えが固まったかのように顔を上げた。決意に満ちた表情をしていた。

「承知しました。この十六夜、様のおっしゃる通りに致します。わたくしとあなた様は出会わなかった、と」
「うん、それで良いよ」

私の返事を合図に、私の身体は淡く白い光に包まれていく。そして、自分の両手を見てみれば十六夜姫と同じように段々と透けてきている。光の粒子が私の視界を覆い隠していくように身体から溢れてきた。
嗚呼、夢じゃなかったんだ。
視界もいよいよ朧になっていき、目の前にいる十六夜姫も私と同じように光の粒になっていく。

「……様、本当に、本当に、ありがとうございます。御武運をお祈りしています」
「私は戦いに行くわけじゃない。護りに行くんだよ」
「そうでございましたね……。わたくしの事をあなた様が忘れても、わたくしは覚えておりますよ。例えこの身が滅び、魂だけとなっても、きっと……あなた様への御恩は忘れたり致ませぬ。あなた様は、わたくしの世界を照らしてくださる陽の光のようなお方ですね……」

意識が混濁していく。頭の中で渦を巻くかの様に、上も下もわからなくなっていく。
視界の端に、あの写真の中のあの子が見えた。
私は、最後に呟く。





「行ってくるね、勘ちゃん……」

















「へっくし!!」
「おい、どうしたんだよ勘右衛門。風邪か?」

竹谷がからかうように笑って、勘右衛門はムッとした。

「風邪じゃないよ。でも、何だか人の声がしたような気がしたんだ」
「はぁ?オレには何も聞こえなかったぞ」
「女の人の声だった」
「今は昼だぞ?」
「そんな事言われても、聞こえたんだから仕方ないだろ」
「わけわかんねぇ」

竹谷は虫取り網と虫壺を縁側に置いて背伸びをした。
確かに日は高く、幽霊が出るならまだ早い時間帯だった。

「さぁて、オレはちょっと学園長先生の庵に行ってくるか」
「何しに?」
「実は、さっき土井先生が慌てて入っていくのを見たんだよ。きっとアレは何かあるな」

竹谷は得意げに言う。目は好奇心で溢れ、悪戯好きの変装名人と同じ顔になっていた。
勘右衛門は溜息を1つ吐き出す。

「見つかって叱られないようにな」
「わかってるって!」

竹谷はそう言い残し、さっさと走って行ってしまった。その場に残された勘右衛門は青い空を意味も無く見上げる。

「今日は良い天気だなぁ」

さっきの幽霊も、もしかしたらこの青い空を見ているのかもしれない。機嫌が良かったから昼間でも現れたのかもしれない。
そんな風に思うと、勘右衛門は自然と笑顔になった。







番外編 眩い太陽と出会う