静かな深い夜。城内はしんと静まり返り、見張り用の篝火だけが庭内を柔らかく照らしている。
布団で眠る十六夜の両隣には久々知と竹谷が同じように横になっていた。とはいっても2人は十六夜のように眠るわけではなく、瞳だけはハッキリと開いていた。三郎は3人がいる御簾の外で待機している。
こんな風に十六夜を挟んで夜を過ごすようになってから数日が経過した。

「う……ん……ぁ……!」

静かに眠っていたはずの十六夜が、苦しそうに眉を寄せている。

「またか……」
「ああ」

久々知と竹谷は上半身を起こして十六夜の小さく白い手を握り、少しでも十六夜の苦しみを和らげようとした。
十六夜は額に汗を滲ませ、苦しさに耐えていた。何か酷い悪夢を見ているに違いない。けれども、3人には十六夜を夢の世界まで護衛をすることはできない。ただ手を握って見守ることしか……。
御簾の外にいる三郎が背を向けたままで呟いた。

「ずっと夢で魘されていることは教えてくれたが、どんな夢なのかは全然教えてくれねぇな」
「そうだな……。けど、オレたちがそれを知ったとしても夢の中まではどうにかできねぇし……」

竹谷は悔しそうに言いながら、十六夜の額に張り付く黒髪をどけてやる。十六夜は時折歯を喰いしばって耐えるのだが、それがまた痛々しい。

「こうして手を握っていると、前よりもずっと平気になったっておっしゃっていたじゃないか。少なくてもオレたちは力になれているはずだ」

そう強気な発言をしたにも関わらず、久々知も十六夜を見る目は辛そうであった。

「彦兵衛のじいさん、絶対に何か知ってるだろ?オレが聞き出して―――」
「止めろ」
「三郎、だけど……っ」
「私たちは忍者だ。依頼主が望まない以上、突っ込んだ行動は慎め」

数日前、十六夜が魘されて目覚めたのを見たとき、3人はただただ驚いた。昼間は全くそのような素振りを見せなかったというのに、大粒の涙を零して全身をガタガタと震わせていた。夢と現実がごっちゃになり、わけのわからい恐怖で赤い目はさらに充血していた。入って来た3人が誰なのかもすっかり忘れているような、怯えた目である。
そのときの彦兵衛は確かに何かを知っている様子だった。普段の彼ならば、このような状態の十六夜を放置しておくわけがない。だが、あえて彦兵衛は何も言わず下がった。

「【鬼姫】、か」
「急にどうしたんだよ」

久々知が十六夜の手をきゅっと握りながら言った。長い睫毛が頬に影を落としている。

「三郎はここに来る途中で月陰国の忍者に襲われた。でも、ここ最近は月陰国の様子が静かだっていう話だろ?」

久々知は単独で月陰国の国境付近の村で探りを入れていた。すると、月陰国への武器の出入りが無くなったという証言を得たのである。
人質として差し出された十六夜が光陽国内で殺されれば、月陰国が戦をしかける理由ができる。戦の準備をするに越したことはない。だが、その動きが止まった。

「【鬼姫】なんて呼ばれてるけれど、十六夜姫に何の価値があるんだ?目の色は違っても、どこにでもいる普通の女子と変わらない。本当に【人質の姫】という立場だけで暗殺をするのか?そこまでしてこの国が欲しい理由はなんだ?」

戦をすれば多かれ少なかれリスクは存在する。戦を決断するだけの理由が、この小さな姫のどこに存在しているのか?

「……この国、絶対何かあるぞ」

薄灯りの中、三郎がニヤリと口元を歪めた。
















光陽国の城下町は今日丁度市があり、人の波が押しては返していく状態だった。物売りたちはこぞって大声を上げ、客を獲得しようとしている。
あまりに人が多いため、この少女のように足元がふらついてしまう。擦れ違い際に肩がぶつかり、軽く少女はよろけた。

「お嬢ちゃん大丈夫かい?」
「あ、はい。すみませんでした」

ぶつかった中年男性に頭を下げ、素早く人の波の中に戻って行った。深く被った笠のせいで少女の顔までは見えなかったが、白檀の良い香りが中年男性の元に残った。
少女は人の波から少し離れ、足を止めた。
少女がよろけたのは、ただ混雑していたからではない。

(ぽっくり下駄は歩きにくい……)

小袖を着た少女―――は逆台形で不安定な下駄に苦戦していた。けれども、この世界にスニーカーのような運動靴は存在していない。これで我慢するしかないのだ。

(早く帰らないと、城内が大変なことになるな)

実ははこの世界に来て初めて1人で行動している。しかもこっそりと城を隠し通路から抜け出して。護衛の3人には着替えたいからと言って自室から追い出した。

(本当はいけないことだってわかってる。十六夜姫なら、絶対にこんなことしない……。でも―――)

あの夜の出来事から、はずっと眠るときに3人の護衛に手を握ってもらっている。18歳のはそれが恥ずかしいのだが、手を握ってもらうと刀で刺される夢を見ても痛みを感じなくなった。
そう、の視る予知夢は痛みまでリアルに感じるようになってしまったのだ。目の前に立つ三郎が瞳を閉じた瞬間、貫かれた胸は熱湯を浴びせられたかのように感じられ、地獄のような苦痛をに与えた。思い出すだけで吐き気を覚える。
そんな痛みを、彼らは軽減してくれたのだ。今では貫かれる感触だけにとどまっている。どれだけ感謝しても足りない。

(この近くに美味しいお団子屋さんがあるはず。人に頼めば行ってもらえると思うけれど、自分で買いたいんだよね……)

城内で女中たちが評判の団子屋の話をしているのを偶然耳にし、は気づくと行動に移していた。

(美味しいお団子なら、きっとみんなも気に入ってくれると思うし。ここは十六夜姫としてじゃなく、としてお礼がしたい)

もちろん自分が十六夜ではないことを口にすることはないが、立場が違ってもお礼ができることには違いない。
再びは人の波の中へ入っていった。
こうして歩いているだけでも、にとってはたくさんの刺激がある。テレビの時代劇でしか見たことがないような光景。それがここでは本物なのだ。

(まだ私の世界と比べて文明が発達していない。きっと病気や怪我をしたら医者にかかることも簡単にはできないのかもしれない。もし診てもらえても、治せない病気や怪我がたくさんあるんだろうな……)

の世界は医学も発展し、この世界よりもずっと進歩しているのは間違いないだろう。
それに天候を予期することもままならない。日照りや洪水なので飢饉が起きてもおかしくない。
おまけに自然災害だけでなく、領地争いや戦も絶えない。血で血を洗う戦いが、まるで各地で当たり前のように……。
死はこの世界の人々にとって近いものであるとわかる。
けれどもこの市で賑わう人々に、そんな暗い様子は見られない。誰もが笑顔で活気づいている。希望を失ったりしていない。

(すごく、心の強い人たちだ)

そのとき、の視界に1人の少年が入ってきた。無地の目だ立たない着物と手甲を着け、旅の途中といった風貌である。
しかし、が大きく目を見開いたのはそれが理由ではない。彼は三郎と同じ顔をしているのだ。はドキッと心臓が跳ねる音を聞く。足が思わず止まり、焦った。

(え?何でここに三郎くんがいるの?!もう私が城を抜け出したことがバレたとか……?)

あたふたしている内に、三郎と思われる人物はに近づいてきた。

(ま、まずい……!)

がさっと笠を深く被ると、三郎らしからぬ優しげな顔で彼は声をかけてきた。

「すみません、そこの娘さん。ちょっと良いですか?」
「は、はい……」
「光陽国の城へはどのようにすれば行けますか?」
「え……?」

思わず声が漏れた。もし彼が三郎であるならば、城の居場所を知らないはずがない。自分のことを一瞬からかっているのかとも思ったが、三郎に似た人物は黙っているにハッとなる。

「あ、もしかして知らないんですか?すみません、突然声をかけたりして……」
「い、いいえ!気にしないでください」

三郎と瓜二つ。だが、声の柔らかさや物腰は三郎のたち振る舞いとは微妙に違う。

(ただのそっくりさん……?………ん?そういえばあの予知夢に出てきたのは、三郎くんじゃなくてこの人のこと?)

何度も夢の中で苦しめる男の顔は三郎と同じだった。けれども、もしかすると彼こそがを、十六夜を殺そうとしている真の暗殺者なのかもしれない……が、

(いや、さすがにこの人は違くない?何か刀とかそういうのと無縁みたいに優しい顔をしてる……)

と思い直しては微笑みかけた。もちろん顔は伏せたままで。

「私もちょっとお団子屋さんを探しているところなんですよ」
「お団子屋さん?もしかすると……」
「何か知っているんですか?」
「ええ。さっき通りかかった店の前から団子の良い匂いがして、かなりの行列ができていましたよ」
「あ!じゃあそこだ!」
「案内しましょうか?」
「良いんですか?助かります」

世界には同じ顔を持つ人間が3人いると聞いたことがある。こんなに近い範囲で出会えるとは思っていなかったが、とにかくは彼と三郎を別人であると認識した。

「あ、僕は不破雷蔵と言います。あなたは?」
「!」

名前を名乗られたのでは、こちらも名乗らなければ不自然に思われてしまう。しかし、十六夜とは【鬼姫】として有名なこの国の姫の名前である。容易に名乗ることはできない。城を抜け出したことが周りに知れてしまえば、彦兵衛に大目玉だ。

(……うん、ここはとしてお団子を買いに来たんだし、大丈夫大丈夫)

は少し考えてから名乗った。

「私はです。宜しくね、不破くん」
「はい」

初めては十六夜以外の、本当の自分の名前を名乗った。それはどこか懐かしく、胸が温かくなる感じがした。
は雷蔵に案内されて、評判の高い団子屋に無事到着する事が出来た。列に並ぶこと約20分ももかかってしまったが、雷蔵と話をしていたので退屈はしなかった。

「―――へぇ、お世話になっている人へのお礼、ですか」
「はい。いつも傍にいてくれて、私を助けてくれるんです。だからお礼がしたいと思って、お団子屋さんを探していたんです」
「そうだったんですね。きっとその人たちも喜んでくれますよ」
「そうだと嬉しいです」

ここで、腕まくりをした老夫婦が『いらっしゃいませ』と2人に頭を下げた。
これでようやく団子を買うことができる。団子を10本頼んだ。久々知、三郎、竹谷、彦兵衛、そして自分の分を2本ずつ。
ところが、はハッとなって目を見開いた。

「あ……、どうしよう」
「どうしたんですか?」

雷蔵が不思議そうに首を傾げた。は首の後を手で押さえながら困った表情を浮かべる。

(私、この世界のお金を持ってないんだった……!!)

それどころか、現代世界の金銭さえ持っていない。は城で生活をしてきたため、ここに来て買い物をするのは初めてだ。
雷蔵はしばらく黙っているを見て、そっと自分の懐から小銭入れを取り出した。

「僕がお支払しますよ」
「だ、ダメ!そんなの絶対にダメ!……あ、そうだ」

は自分の髪を飾っていた淡い桃色の簪を笠の下から引き抜いた。そして店主の老人の手に乗せた。

「あの、これで……何とかならないでしょうか?」

桜の花びらを象る繊細な簪を見て、老夫婦は目を丸くしてしまう。そしてダラダラと額から汗を流していた。

「な、なんと!これは最高級の珊瑚で出来た簪ではありませんか……!」
「とてもじゃないけど、10本どころか団子が1000本あったって足りないですよ!お嬢さん、このような高価な品、お受取りするわけには参りません……!」
「ええっ?!さん、そんなにすごい簪を持ってるの?」
「あ、えーっと……」

は自分の挿していた簪がそこまで値打ちのあるものだとは知らなかった。老夫婦の驚く声に人々がざわつきだしてしまった。
は焦り、簪を渡したまま包まれた団子10本を手に取って店から走り出した。

「あれ……?さん?!」

雷蔵がの背中に呼びかけるが、は足を止めない。後ろを振り返らず叫んだ。

「不破くん、案内してくれありがとう!おじいさんとおばあさん、不破くんにその簪でお団子をお願いします!!」

カランコロンと音を立てながらは必死で市を走った。何度か人にぶつかってしまったが、とにかくあの場から少しでも離れたかった。
お団子屋が見えなくなった頃、ようやくは足を止めた。息が上がり、胸元を押さえて少し屈むと楽になってきた。

「あんな騒ぎになるなんて……」

置いて来てしまった雷蔵には悪かったが、十六夜という立場で人目につくのは良くない。

(一瞬だったけど、不破くんと目が合ったような気がする)

この赤い血のような目を見られた可能性が高い。しかし、恐らく彼と出会うことはもう無いだろう。
顔を上げると、茶屋の前で子供がしゃがみ込んで泣いている姿が見えた。まだ10歳にならない年齢で、膝から血を流している。どうやら石にでもつまづいて転んだようだ。
は女児に近づいてしゃがむと手を差し伸べた。

「ひっく……うぅ……っ!!」
「痛かったね、もう大丈夫だよ。さ、私の手に―――!?」





ひっく……うぅ……っ!!





泣いてはいけないよ、十六夜。これが私たちの使命なのですから。





でも、でもぉ……っ!





大丈夫、またきっと会えますよ。だから、約束して欲しい。





やくそく……?





そうです。次に出会ったそのときは―――






そ の と き は 、





「お姉ちゃん……?どうしたの?」
「!」

怪我をした子供が、さっきとは逆に心配そうな顔でを見上げていた。はハッとなって誤魔化すように笑いかける。

「何でもないよ。さ、立って。少し痛いかもしれないけれど、これで押さえよう」

は懐から綺麗な手拭いを取り出し、子供に渡す。そして持っていた自分の分に買ったお団子の包みを差し出した。

「これをあげる。だからもう泣いたりしないで、ね?」
「うわぁ!ありがとうお姉ちゃん!」

女児は太陽みたいに明るく微笑むと、にお礼を言って人混みの中に消えた。女児の姿が見えなくなるまで見つめていたが、先ほどの光景が気になって仕方なかった。

(今のは何?まるでフラッシュバックみたいな……。それに、あの男の子は……)

十六夜と思われる小さな子供が橋の上で泣いていた。先ほどの女児のように頼りない声で。それを十六夜より少し大きな手があやすように撫でていた。利発そうな眼差しの男児である。
胸が締めつけられるような気持ちがに伝わって来た。

(さっきのは、もしかすると十六夜姫の記憶……?)

この身体は十六夜のものだ。ふとした拍子に何かを思い出してもおかしくはないのかもしれない。

(それにしても、すごく悲しい感じがした)

泣いていたのは十六夜だけだったが、それ以上に十六夜を見ていたあの男児の方が辛そうに思える。
は考え込んでいたため、背後の気配を感じ取ることができなかった。
そして、





「おい、動くなよ」





「?!」

背中に何か硬くて冷たいものを押しつけられた。
まだ若い男の声だ。それは低くの首筋を這いまわる。

「声も出すなよ。わかったら首を縦に振れ」

別の男の声が聞こえてくる。どうやら複数の人間がのことを見ているようだ。

(こんなに人がいるのに……。いや、その方が目立たないのかもしれない)

忙しく歩き回っている人々は、たちのことを気に留めていない。恐らく凶器を何かで隠しながらに突きつけているのだろう。
は黙って首を縦に振った。それを確認した男が嬉しそうに言った。

「よし、それで良い。こっちについて来い」

の背中から凶器をどけることなく、男はゴツゴツした手での肩をいやらしく抱いた。そして横に男が3人並ぶ。
そのままは黙って足を動かすしかなかった。
が買った団子の包みが自然と零れ落ち、土に塗れ黒く汚れた。





第六夜 霞む記憶の向こう