十六夜の自室前にある中庭で、眠たそうに竹谷は欠伸を噛み殺した。
真夜中も護衛は起きて警戒しなければならない。しかも今夜は曇っていて星や月が見えず暗い。もしも忍者が暗殺をするなら、今日みたいな日を選ぶに違いない。
「今夜は少し冷えるな」
「なぁ、朝に姫サンが言っていたことを覚えてるか?」
「三郎?」
まだ交代の時間では無いはず。しかし、振り返ると三郎どころか兵助も中庭にやって来ていた。同時にバサッと視界が柔らかいもので覆われる。慌てて引っぺがすと、それは半纏だった。
「ああ……、確か『似ているけど、似ていない』とか何とかって言ってたな」
「姫サンは直ぐに誤魔化してしまったけれど、私にはすごく意味深い言葉に思えてならないよ」
「どういう意味かわかるのか?」
久々知が期待を込めた目で三郎を見た。けれども三郎は首を振る。
「いや、サッパリ。だけど引っかかる言葉だと思わないか?」
「まぁな……」
久々知は期待を裏切られて肩を落とすが、三郎の意見には賛成らしい。そして竹谷も頷いている。
「姫は赤い目以外、普通の女の子だ。でも……、ときどき何を考えているかわからないときがある」
「鬼姫っていう呼び名と何か関係しているとか?」
「オレは鬼なんて信じない。十六夜姫は大病を召されて、目覚めたら記憶が混乱しっていたと聞く。それが原因なんじゃないか?」
「あと、さっきも様子が変だったよな。三郎のことを引き留めていたじゃないか」
先ほどの姫の姿を思い浮かべる。その表情からは笑顔が消え、怯えているようだった。
「…………」
「三郎?」
急に黙った三郎に竹谷が呼びかける。彼は神妙な顔をしていた。
「姫サンの手、さっき震えていたんだ」
「「!?」」
「本当にわずかだけど、震えていた」
「まだ、暗殺されるかもしれないっていう恐怖が消えていないんだろう」
「隠しているみたいだが、正直姫は良く眠れていないな。今日も目の下に隈ができてしまっていた」
せっかくの美しい肌だというのに、姫の目元には黒い隈ができている。本人は何でもないという仕草だったが、明らかに寝不足である。心配事があって眠れないのかもしれない。
「明日になったら聞いて―――」
三郎の言葉を遮ったのは大きな悲鳴だった。意味を成さないその悲鳴は、化け物にでも遭ったかのようで、聞いている相手にも恐怖を与える。そう、絶叫である。
3人には直ぐ誰の声なのかがわかり、身体が反射的に悲鳴の出所へ走っていた。
「敵か?!」
「いや、何も気配は感じ無かった!」
「姫!?入るぞ!!」
襖を乱暴に開くと、御簾の向こうで荒い呼吸が聞こえてきた。三郎は行灯に素早く火を灯すと、暗闇に1つの影が浮かび上がる。
敵の気配や侵入した形跡は無かった。そこはひとまず安心だったが、どうもの様子がおかしい。全く動かないのだ。
「姫サン」
三郎が呼びかけながら御簾に手をかけたとき、影が大きく揺れた。
三郎は息を飲んだ。そして、竹谷も久々知も御簾の向こうにいるを見て言葉を失った。
「う……ぅ………」
は幾筋もの涙痕をつけ、可哀想なくらいにガタガタと細い肩を震わせている。汗が額や首筋を濡らし、唇は震えて喋れない状態だった。しきりに胸元を握っている。その手も小刻みに震えている。
思わず三郎は手を伸ばしたが、その動作にがビクッと大きく肩を揺らして目を見開く。この様子に三郎は断念する。
「十六夜姫、落ち着いてください。ここにあなたの敵はいません」
久々知は出来るだけ優しい声で呼びかけた。
はようやく自分を取り戻したのか、ピタリと震える身体を止める。その瞬間一筋の涙を零した。
唇はまだ震えるが、どうにか小さく言葉を発した。
「だ、だいじょうぶ。なんでも……ない、から」
笑うのも辛いらしく、ほとんど泣き笑い状態だった。胸が痛むのか、しきりに擦っている。
「何でもないって―――」
不満そうに竹谷が詰め寄ったところで、ドタドタと足音が廊下から聞こえてきた。はハッとなってその方を見た。予想通り、現れたのは彦兵衛である。しかも、手には刀を持っていた。
「姫様!!今の悲鳴は……。お前たち!ここで何をしておる!!」
刀を構えた瞬間、の表情が益々強張った。唇の色も紫色になっていき、明らかに尋常な様子ではない。の怯え方に、三郎が彦兵衛を制した。
「姫サンが怖がるから、刀は仕舞ってくれ」
三郎の諌める声に正気を取り戻したのか、
「彦兵衛さん、止めてください。大丈夫です、下がっていてください」
「しかし……」
「大丈夫、
悪い夢を見ただけですから」
「…………わかりました」
彦兵衛は刀を鞘に納めると、一礼して戻って行った。
3人は今の会話で彦兵衛が何かの言わんとすることを理解したと知る。恐らく、この2人にしかわからないことを。
久々知が口を開いた。
「悪い夢……ですか?」
「うん……。ちょっとね、怖い夢を……見ただけだから。あはは、恰好悪いよね?怖い夢でこんなに震えるとか……。だから、気にしないでね」
これ以上追及してもは口を割らないだろう。そう悟った3人は、お互いに視線を交合わせた。
三郎が『良し』と呟いての左側へ座った。そして、ゴロンとそのまま畳の上に寝てしまったのである。この行動にはも目を丸くした。
「え?三郎くん……?」
「じゃあ、オレはここ」
「八左ヱ門くんまで?!」
「オレはどうすんだよ」
「今日はハチの隣で寝ろよ。明日は私が変わってやるから」
「わかった」
「ええええ???」
気づけばの左には三郎が、右には竹谷と久々知が横になっているではないか。は頭上にたくさんのクエスチョンマークを浮かべ、1人上半身を起こしたままだ。
「ほらほら、姫サンもさっさと寝ろよ」
「う、うん……?」
三郎に促されても布団に背中を預ける。すかさず両隣にいる三郎と竹谷は、の小さく細い手を握った。一回り大きな手は、思っていたよりずっと骨ばっている。包み込む熱に、しっかりと護られている気がした。久々知は竹谷の隣で目を細める。
「ちょっと、3人共どうしたの?」
「まぁまぁ気にしないで。それじゃ、おやすみ!」
「「おう」」
3人はそう言うとの許可も得ず瞳を閉じてしまう。
「もう……」
はくすっと笑みを零した。それは先ほどまでの強張ったものではない、自然に込み上げてきたもの。
(温かい手……)
今度はが手を握り返し、瞳を閉じる。
独りきりだった夜に、いつの間にか熱が宿る。
「ありがとう」
そう告げれば、3人からは返事の代わりに照れたような微笑みが返ってきた。
はこの日を境に、刀で胸を貫く感触と痛みを感じる夢を見なくなった。
第五夜 感じる人の温かさ