次の日。
護衛として入城した竹谷と久々知は、城内をくまなく彦兵衛に案内され、案内が終わった頃には夜になってしまっていた。1番星がキラキラと夜空に輝き、庭の灯篭にはオレンジ色の優しい光が灯る。
国土は狭いにしても歴史の古い国なので、城はやっぱり複雑に入り組んでいた。地図はもちろん渡されない。万が一敵に地図が渡れば滅ぼされかねないからだ。そのため全て暗記する必要があり、久々知はともかく竹谷は頭を抱えた。
与えられた控えの間で、久々知は頭巾を取り払う。束ねられた黒髪がそれに合わせて揺れた。
「あのお目付け役、絶対に忍者が嫌いだよな」
「だろうな。オレたちの事、ずっと睨んでいたしよ」
案内されている間、彦兵衛は敵意剥き出しで2人のことを睨んでいた。
「何か忍者に恨みでもあるのか?」
「さぁな。国が歴史あるといろいろ伝統とかあるんだろ。……それより兵助」
「ああ、わかってる。十六夜姫のことだろう?」
竹谷も久々知もピタリと足を止めた。もう直ぐ十六夜の自室が見えてくる。その前に話しておきたいことがあったのだ。
「あの目、ヤバかったよな……」
竹谷は、昨日十六夜の瞳を御簾の隙間から見たときのことを思い出した。一瞬ではあったが、血の色をした瞳がこちらを覗いていた。黒やこげ茶色の目しか知らない人間には衝撃的だった。
「南蛮の人間には青い色の目をしたヤツがいるらしいが、赤なんて聞いたことなかったな」
「だよなー……。南蛮人でないんだったら、やっぱり鬼しかないだろ……」
背筋が冷たくなり、竹谷はブルッと肩を震わせる。
久々知は考えるような仕草で俯いた。
「目も気なるが、オレたちが委員長代理だってことを知っていた事も気になる。名前はともかく、そこまで知っているはずがないだろう?」
姫とは初対面だ。名前は事前に知っていたとしても、学園での肩書まで知っているとは思えない。
「あの赤い目に見透かされたとか?」
「あ?そんな事出来ると思うか?何を根拠にそんな事言ってるんだよ」
「それはそうだが、普通とは違う目をしているなら、普通じゃわからない事も見透かせるんじゃねぇの?」
竹谷が怯えるのは無理も無い。しかし、久々知は根拠の無い話を好まない。呆れたように溜め息を吐く。
「はぁ……。顔も全然わからなかった。それこそ鬼のような姿だったら……。目も赤かったし、噂も少しは的を射ているわけか」
「オレたちのことガキ扱いしたよな。姫だってまだ15歳だって聞いてるぞ?オレらと1つしか変わらないじゃないか!」
「それはどうでも良いだろうが……」
少しの沈黙後、竹谷がぽつりと言った。
「姫、きっと聞こえてたよな、アレ……」
お言葉ですけど、鬼姫様こそオレたちとあんまり歳は変らないんじゃ―――
姫にぶつけた無礼な言い方を思い出し、久々知は竹谷を睨む。
「絶対に聞こえていただろう。お前、口が滑ったとはいえ、普通城主に対する暴言は不敬罪で牢に入れられてもおかしくないぞ?」
「わかってる!あれは本当に悪気は無くて……」
竹谷はしゅんと叱られた子犬のような態度になる。
「あの場を十六夜姫が治めてくれなければ、本当に大変な事になっていた。オレたちだけじゃなく、忍術学園の名にも傷がつく」
「姫にとって何の得にもならない事だったのに、オレたちを庇ってくれたんだよな?」
「正確にはお前だけだ」
「いちいち言い直すなっ!」
姫にとって得にならないどころか、怒り心頭と言ってもおかしくない場面だった。それにも関わらず、姫は罰を与えるわけでも非難を口にするわけでもなく、無礼な忍者の言葉を『聞こえなかった』で済ませた。
「……本当に聞こえていなかったのかもしれないぞ。御簾が邪魔で」
「まぁ、その可能性もあるけどな……」
もし本当に聞こえていなかったのであれば、それはそれで助かる話だ。けれども、2人はどうしても確かめたいとも思う。
聞こえていたのなら、2人が姫に言う事は1つだけである。
「うっし。とにかく、姫のところに行こうぜ。ここにいても始まらないし」
「ああ」
と意気込み立ち上がる。廊下を通り、姫の部屋の前に辿り着くつと、胸がうるさく鳴りだした。それは恐怖や不安からである。やはりまだ彼らは見習いの忍たまなのだ。
侍女から夕飯の支度ができたことを伝えて欲しいと頼まれたので、部屋へ運び込んでも良いか姫に聞かなければならない。
「十六夜姫様、夕餉の支度ができたそうです。お持ちしてもよろしいでしょうか?」
丁寧に久々知がそう呼びかけるが、全く返事がない。それどころか、襖の向こうからは何の音も聞こえてこない。
((まさか……?!))
竹谷も久々知も悪い予感がして乱暴に襖を開いた。灯りもなく、広い部屋は薄暗かった。
「おい兵助、灯りを点けろ」
「わかってる」
素早く久々知は蜀台に火を灯した。オレンジ色の光が部屋の中をふわりと照らす。書物やタンスが置かれている程度で特に物色された様子はない。自室は寝室も兼ねているので、立派な縁取りのされている御簾が垂れていた。
「この奥か……」
姫が他にいるとすれば御簾の向こう側だ。しかし久々知はわかっていても手が出せないでいる。あの赤い目が脳裏にちらついているのだ。それは竹谷も同じである。
ふと、ここで竹谷が小さな音に気付いた。
「寝息……?」
「失礼致します」
久々知がそっと御簾に触れて中を覗くと、その先の光景に思わず鳥肌が立ってしまった。
真っ直ぐで艶やかな黒髪に雪のように白い肌をした少女が眠っているのだ。浮世離れした美少女の寝顔は穏やかそのもので、白く華奢な四肢が赤い打ち掛けに映える。心臓を鷲掴みにされたような気がした。
御簾の向こうを見たまま動かなくなる竹谷の後ろから久々知も中を覗いた。そして同じように衝撃を受けるのだった。
彼らの想像していた鬼などどこにもいなかった。いたのは美しい天女のような少女。2人揃ってぼーっと見惚れてしまう。
「……これが、十六夜姫なのか?」
久々知が確認するかのように呟いたところで、天女の眉間に皺が寄った。眠ったままで苦しそうに胸元を押さえている。
「く……うぅ……!」
「姫?!」
「十六夜姫?!」
苦痛に歪む美しい顔に、2人は十六夜の肩を揺り動かした。ビクッと震えて十六夜はゆっくりとその瞳を開いた。開いた瞼の奥から赤い目が覗く。一瞬ドキッと2人の心臓が鳴った。
「あ……また、夢……?」
はまたあの夢を見ていた。自分が刀で何者かに殺される夢。それは何度見ても恐怖しか残らないものだった。
はここ最近例の夢を見てしまい、魘されてあまり眠ることが出来ていない。そのためこうして寝るのには早い時間でも、うとうとしてしまい、そのまま寝てしまうのだ。
夢なのにいつもハッキリと殺意を感じ取ることができ、の顔が青ざめる。ようやくここで、自分のことを心配そうに見つめている忍者服の少年がいることに気が付いた。驚いては起き上がり、肩を揺らす。
竹谷も久々知も今の状況にハッとなった。雇い主である姫の寝室に了解も得ず忍び込み、至近距離で姫の傍に座り込んでいるのだ。顔に熱が集中してしまう。
「……ナニヲシテラッシャルンデショウカ?」
「いや、あのっ、これは決して怪しいことをしようとしていたわけじゃ……!!」
「魘されていたようなので、心配になって……っ」
そうだとしても、城の主である姫の御簾の中まで入ったことには変わりない。今度こそ不敬罪で牢獄に入れられてしまうだろう。
顔を真っ赤にさせて慌てている姿は子供そのもの。は思わず笑みを零した。
「そんなに慌てなくても良いよ。私は気にしてないから大丈夫」
まだ子供。それが初めて2人を見たときの、から出た感想だった。
護衛を任されているとなれば、それなりの屈強な男がやって来るのだとばかり考えていた。実際現れた忍者の幼い顔立ちに、はとても驚いた。の世界で言えば、2人は中学生という事になる。護衛となるからには、命を懸けて姫を護る立場だ。年齢は関係無いのかもしれないが、それでもには子供が護衛に就くという事実に衝撃を受けた。
(いまいち護衛っていう事にピンときていないけれど……。護衛って、命懸けで私を護るっていう事だよね?私よりも年下の子供たちなのに……)
子供らしさを見せる2人を前に、は複雑な気持ちを抱いていた。
((随分と肝の据わったお姫様だな……))
一方の2人はというと、の意外な反応に驚いていた。
普通の姫ならば悲鳴の1つ上げても良いはずである。
ともかく、許しを貰えてホッと胸を撫で下す2人にまたは微笑んだ。
「顔は良く見えなかったけれど、貴女様が十六夜姫様ですか?」
一応確認のため尋ねると、は頷いた。
「えっと……久々知兵助くんだっけ?まぁそうだけど、そんなに畏まらなくても良いよ。私は護ってもらう立場なんだから。竹谷八左ヱ門くんも、ね」
「じゃあ、遠慮なく。姫、大丈夫か?さっき魘されていたみたいだけれど」
「あ、うん。大丈夫……」
あんな夢を見て大丈夫なはず無かったが、はに2人を安心させたい思いでニコリと笑って見せた。
先ほどの夢、今度は自分を殺した相手の顔までハッキリと見えた。黒っぽい忍者の服を着ていたことも覚えている。
(この子たちの名前も、夢の中で知っていた。ということは、十六夜姫の予知能力は本当……?でも、まさか。そんな事、まだわからないよね……)
しかし、不安は消えない。一度既に夢が現実になっているのを目の当たりにしている。
(偶然に決まってる。偶然、夢と同じに見えただけ)
「あの、姫」
「はっ、はい?」
ハッとして竹谷を見れば、竹谷は申し訳なさそうな顔をしてこちらを見ていた。
「昨日、オレの事が言った事……聞こえたよな?」
「昨日……?ああ、もしかして、私に『鬼姫』って言った事?」
「やっ、やっぱり聞こえてたんだな?!」
焦る竹谷の隣で、久々知は額に手を当てて呆れ気味だ。竹谷は後ろに下がり、頭を下げて額を床に擦りつけんばかりの勢いである。
「本当に悪かった!ごめん!口が滑って、ついあんな事を……!」
竹谷の突然の謝罪に、がぎょっとする。
「えっ?あの―――」
「オレからもお願いします。八左ヱ門を許してやってください」
久々知も土下座する竹谷の隣で同じく頭を下げた。益々は慌ててしまう。
「2人共、顔を上げて。許すも何も、私は全然怒っていないよ」
「え?怒ってないのか?あんな酷い呼び名を使ったのに?」
「うん。八左ヱ門くんが悪気があったわけじゃないってわかってる。間違いは誰にでもあるよ。それに、私は―――」
「姫?」
「十六夜姫?」
そこまで言いかけて、は喉奥に言葉を飲み込んだ。
(いけない。ここから先の言葉は、言えない)
彼らが向き合っている人物は、十六夜とは別人。という人間なのだ。
(私は十六夜姫になりきらなくちゃ……!)
は誤魔化す様に、先ほどとは違う言葉を続ける。
「とにかく、気にしないでね。本当に怒っていないから。ただ、他の人の前では言わない方が良いと思う。彦兵衛さんの前では特に、ね」
「確かに、あのじいさんの前で次にまた言っちまったら、今度こそ首が飛ぶ!」
「十六夜姫、許してくれてありがとうございます」
「うん。どう致しまして」
「はぁ……良かったぁ」
久々知も竹谷も、ようやく安心したようで顔を上げる。もこれ以上大事にならずに済んでホッと胸を撫で下ろした。広間での出来事と言い、にとっても驚きの連続である。
「姫、あのときは庇ってくれてありがとな」
「ううん。八左ヱ門くんが罰せられたりしなくて良かった。あんなに大事になるなんて、全然思っていなかったし」
「え?何だよ、自分の事なのにそんな風に思ってたのか?」
「えっ?!自分の事……。それは、うん、そうなんだけど……」
どうもは十六夜の事を自分の事だと未だに認識出来ていないらしい。
どう答えようかと思っていたとき、久々知が竹谷の背中をべしっと喝を入れるように叩いた。
「十六夜姫の心が広かったから良かったものの、八左ヱ門は本当に気を付けろよ」
「わかってる!もう言わねぇよ!」
ふと、竹谷がじっとこちらを見つめてくる。は少々困惑したように言った。
「あの、どうかした?」
「八左ヱ門、あまり十六夜様の顔を見るなよ。失礼だろろう」
「いや……やっぱり赤いんだなと思って」
「!」
言わずともそれはの瞳のことだろう。
「やっぱり怖いだろうね。赤い目なんて普通無いし。鬼って呼ばれているだけあるよね」
へにゃっと苦笑するに、竹谷はブンブンと首を横に振った。
「いや、その、珍しいからさ!慣れれなすごく綺麗な目だと思うぜ」
「オレもそう思います。十六夜姫の目は神秘的ですね」
「本当?嬉しいな。ありがとう」
再びが笑うと、2人の緊張はすっかり解れてしまった。温かい時間が流れる。
「十六夜姫は全然思ってたよりずっと普通の女の子って感じがして、良かったです」
(まぁ普通の女子高生だしね)
世間から鬼姫と呼ばれている人物がどんなに恐ろしいかを想像していたのに、今目の前にいる美少女はそれとはかけ離れていた。
「もしかして夕飯の時間?」
「あ、そうです。それでオレたちが呼びに来たんです」
「それじゃあ行こう。2人も一緒に食べましょうね」
「え?!良いんですか?」
「もちろん。ご飯は一緒に食べた方がきっと美味しいし、彦兵衛さんのことなら私が説得するから大丈夫!ここより大広間で食べた方が良いから、私も一緒に行くよ」
この城にやって来てから、はずっと食事を十六夜の自室で食べていた。1人きりでの食事が多く、それはとても寂しい気持ちになってばかりだった。
(私の世界でも、家では独りの食事が多かったな……)
はさっさと身支度して2人一緒に部屋を出た。薄暗いので久々知が灯りを持ち、薄暗い廊下を進んだ。
いきなりここでブーンという低い羽音が響いた。ピクッと2人の顔つきが変わる。鋭い眼差しの横顔は忍者そのものだった。
「この音……、え?蜂?」
「姫!!下がってくれ!!」
「?!」
竹谷が隠し持っていた手裏剣を取り出す。それと同時に、親指ほどもあるスズメバチが植木から飛び出してきた。黄色と黒のコントラストが不気味に照らされる。
竹谷の投げた手裏剣は蜂を掠ったものの、素早い動きで致命傷は与えられなかった。久々知は灯りを持っていたために反応が遅れ、スズメバチは容赦なくに迫った。
(あ?!こ、これも夢で……!)
そう、は1度この経験をしている。妙にリアルな夢の中で体験しているのだ。それは十六夜の身体に入る直前の夢である。
もう逃げられない、そう思ったときだった。上から斜めに光りが放たれ、そして同時に蜂が柱に縫い留められてしまった。蜂はジタバタと羽を動かしたが、少し経つと動かなくなり絶命した。スズメバチには棒手裏剣が深く突き刺さっている。
「「何……?!」」
驚いているのでどうやらこの2人ではない様子。
の目の前に天井から音もなく廊下に降り立つ人物がいた。 には背中を向けた状態で、竹谷と久々知に陽気な態度で話しかけた。
「よっ、お2人さん」
「三郎?!こんなところで何してるんだよ?」
「そう大声を出すなよ兵助。学園長先生に言われて来たんだからな」
「ってことは、お前も姫の護衛忍務を任されたのか?」
「そういう事」
突然現れた忍者と親しげに話している様子なので、どうやら敵ではないということが理解出来た。も、まさかこんなところで予知夢が現実になるとは思っていなかった。
(予知夢……。夢が現実になってる……)
「で、ハチ、そのお姫サンはどこにいるんだ?」
「お前の後ろだよ」
ちょいちょいと指で三郎の示すすと、『おーそうだったか』と振り返った。も挨拶をしようと三郎の顔を見る。
「初めまして、姫サン。私は鉢屋三郎。護衛忍務を任されたので、これから宜しく」
「…………う、そ」
「え?」
は真っ赤な瞳を大きく見開いて、息をするのも忘れたように三郎の顔を見入っていた。そして、フラッシュバックする暗い森での出来事。
身体中の熱が沸騰して心臓もバクバクとうるさく鳴り響く。額から、汗がじわりと滲んだ。
胸元をぎゅっと は握りしめる。あまりのことに身体が震えた。
鉢屋三郎。
その顔は……、
夢の中で、の胸を刺し貫いた男。
第三夜 夢の中の暗殺者