暗い森からワッと光が満ちた。朝だ。
驚愕の表情で目を大きく見開いたの息は荒かった。胸が裂けんばかりに脈打ち、満たされない肺に酸素を求めて口を何度も開く。
目の前に映る木の木目が天井だと気がつくのに数十秒かかった。じっとりと汗ばんだ右手で額に触れれば、同じように額に汗が流れていた。
震える左手で胸に触れてみると、ちゃんと心臓の動きを感じ取れた。
(夢……)
自分を刺し貫いた刃はどこにも無く、女性らしい柔らかな感触が伝わる。
上半身を起こし、改めて自分の身の回りを確認した。昨日も見た純和風の室内は、しんと静まり返っていた。唯一聞こえるのは、目覚めを知らせる小鳥たちの囀り。
(夢で、良かった……)
ドサッとは背中から布団に倒れこんだ。汗が冷えて肌が粟立つ。
夢か現実かわからなくなるような夢。前にも1度見た記憶がある。けれども、いったいいつ見たのかは全く思い出せない。相変わらず、この世界に来る直前のことは霧で有耶無耶になっていた。
刺された胸を再度触れる。確かに、この胸を殺気だった男が刃を突き立てたのだ。
(日本刀だったな)
男が自分に構えていたのは、テレビの世界でしか見たことが無い日本刀だった。映画を観ているような夢でノイズが酷かったため、貫かれた瞬間は観ることができなかった。それに胸を貫通した刀の感触も感じられず、不快感は覚えずホッと胸を撫で下ろした。もし内臓を通る異物感や痛みを感じていたら、もっと取り乱していたことだろう。想像もしたくない話だ。
(夢なんだから、痛みとかそういうのが無いのは当たり前だし)
所詮は夢。
それなのに、を襲う不安感は消えそうになかった。
(何でこんなに気になるんだろう?)
襖の向こうに人の気配を感じて、は乱れた髪と着物の裾を直した。
「十六夜姫様、おはようございます。朝餉をお持ちしましたので、入ってもよろしいでしょうか?」
「ああ、はい。どうぞ」
いきなり姫と呼ばれ、見知らぬ場所に連れてこられただったが、彦兵衛はそんなの不安を消すように優しかった。混乱したにもわかるように、丁寧に色々と説明をしてくれた。国の事、姫の事、この時代の事……。にとって殆どが知らない内容ではあったが、彦兵衛の説明は心に染みた。
ここに来た当初よりは状況が掴める。まず、の今の身体の持ち主―――本当の十六夜姫は少し前に病気で死亡したということ。けれども、姫は最期にこう言い遺している。
わたくしが亡くなっても、次の新月には目を覚ますでしょう。
どうか、そのときを信じて待っていてください。
死んだ人間は生き返ったりしない。当然目を再び開けるなどありえない。
しかし、姫のこの言葉は現実となる。
中身は別人だが、結果としてが十六夜として蘇ったのだ。
(まるで、最初からわかっていたみたい……)
目覚めたとき、自分の記憶が混乱しているかもしれないとも十六夜は予告していた。彦兵衛が混乱したに丁寧な対応をしたのはこのためだ。けれども、その態度はに向けたものではなく、十六夜のためだ。そこがの胸を締め付ける。
彦兵衛は自分の後ろから御膳を持ってきた侍女たちを部屋へ呼ぶ。侍女たちはお揃いの臙脂色の小袖を着ており、手に持った御膳からは味噌汁の良い香りが漂ってきた。も丁度腹を空かせていたので、こくりと喉が鳴った。
ところが、
「ひっ?!」
「へ?」
侍女たちはの顔を見るなり、サッと顔を青くして悲鳴を上げた。侍女の持っていた御前が、ガチャンという酷い音を立てて畳の床に零れ落ちた。汁物が茶色く畳を汚し、漬物らしき野菜も散らばってしまう。
彦兵衛が侍女たちの態度に激怒した。
「姫様の御前でなんということを―――」
その後に続くだろう『申し訳ありません』という言葉は、を見てピタリと止まってしまった。悲鳴こそ上げなかったが、彦兵衛も青い顔をしてを見つめていた。バッチリと視線が合う。集中する。
自分の顔ではないものの、それでも今の顔の持ち主はだ。顔を見るなり悲鳴を上げられては当然傷つく。
けれどもこの前鏡を見たとき、は十六夜の美しさに言葉を失った。侍女たちのように、化け物に遭遇したような目つきで見る顔ではないはずだ。
「あの……、私の顔がどうかしましたか?」
恐る恐る声をかけると、侍女たちも彦兵衛もハッとなって再び動き出す。『申し訳ありません!』と言いながら慌てて侍女たちは転がった御前を片付け、早々に部屋から出て行った。
彦兵衛は、切羽詰った表情で棚に置いてあった鏡をに差し出した。
「姫様、どうか御覧ください」
は漆塗りの鏡を受け取ると、蓋を開ける。
「え?!……目が、赤い……?!」
の、十六夜の瞳が真っ赤に染まっていたのだ。充血しているわけではなく、黒かった瞳が血のように赤く変っていたのである。
一瞬カラーコンタクトかと思ったが、こんな時代にそのようなものが存在するわけない。
日本人の瞳は黒、焦げ茶色、茶色のどれかだ。赤い瞳など見たこともなかった。侍女たちや彦兵衛が驚くのも無理はない。
じっくりと自分の瞳を見つめるが、痛みや爛れなどは感じなかった。視力も低下していないので、一先ず病気ではないとわかる。
(これじゃまるで鬼みたいじゃない……)
十六夜の見た目は元々浮世離れしていたが、これで益々浮世離れしてしまった。
「目が悪くなったわけじゃないし、まぁこのままでも良いか」
「なんと?!姫様は随分と冷静でございますね」
「あー、でも他の人がびっくりするのはあんまり良くないですね」
「本当にどこも悪くはございませぬか?」
「全然平気ですよ」
「そうでございましたか……」
彦兵衛の十六夜に対する気持ちはいつも真剣だった。それだけ姫のことが大切だったのだろう。姫が病気で倒れ、亡くなったときはさぞかし辛い思いをしたはずだ。
十六夜の養父は既にこの世を去っているため、十六夜以外にこの城を継ぐ者はいない。そういった意味でも、十六夜は彦兵衛にとって尊い存在。
(別人です、なんてもう言えないな……。元の世界に帰る方法もわからないし、暫くはこのままで良いや)
十六夜が予告通り目覚めたこ事で、彦兵衛はいくらか安心できただろう。今更が別人だと名乗るのも野暮な気がしたので、結局そのまま十六夜の振りを続ける事に決めた。
(大体、別人なんて言っても信じてもらえるはずないか)
「姫様」
「あ、はい!」
ぼーっとしているところに声を掛けられ、は背筋をピンとさせた。
「姫様は覚えていらっしゃらないかもしれませぬが、姫様は人から一線離れた場所にいる御方ございます」
「え……?どういうことですか?」
彦兵衛は人目が無いことを確認してから言った。
「先日説明した通り、月陰国から姫様は養女としてこの城にお入りになりました。月陰国は鬼の一族が支配していたとされる国です。実際は迷信ですが、十六夜様はその月陰国の血が流れていると申し上げましたね?」
「は、はぁ……そうでしたね」
鬼なんて、存在しない空想上の生き物じゃないか。彦兵衛からは先日も聞いていたが、信じる事はできなかった。けれども、彦兵衛は真剣そのものといった顔で続ける。
「姫様は、この城にお入りになったとき、既に異能の力を発揮しておいででした」
「異能の……?」
異能。即ち異なる力。鬼の血を引いているとするからには、何か不気味な力を持っていたとでも言うのか?
(まさか人を呪うとか、人を食べたりとか……?!そんな話だったらどうしよう……)
もし人を食べる習慣があるのだとすれば、かなり遠慮したい話だ。身体こそは十六夜だが、中身は牛や豚肉しか食べたことがない現代の女子高生なのだから。
「予知です」
「へ?」
「姫様にはこれから先起きる出来事を予感し、それを夢に視ることが出来るのです」
「予知……能力ってことですか?」
想像していた事とは全く違う内容だったので唖然としてしまった。けれども安心も覚える話だった。
「左様でございます。この力につきましては、この彦兵衛と姫様しか知らぬことです。決して他言されませんよう、お願い申し上げまする。十六夜様の力を知って近づく輩や国は相当厄介故……」
「わかりました。ですから顔を上げてください。私の前で、いちいち土下座なんてしなくても大丈夫ですから」
彦兵衛はに対してこれまで何度土下座をしたかわからない。十六夜の姿はしているが、は別人。本来頭を下げられるような立場出ではないので、土下座をされる度に罪悪感が胸を押し潰そうとする。極力土下座はしてもらいたくないのだ。
予知能力とは確かに厄介だとは思った。本当に予知夢を視ることが出来るならば、が今まで見てきた夢はどうなる?
「彦兵衛さん、十六夜姫の―――私の予知夢はどれくらいの確率で当たっているんですか?」
「百発百中でございます」
「!」
「姫様が視た予知夢で外れた事は、今まで一度もございませんでした」
即答。
なんて物騒なことを言う老人だろうと、は思った。
今朝見た夢は、自分が刀で殺される夢だ。もしあれが本当に予知夢であるなら、は刀で胸を貫かれて殺される事になる。
は、予知能力があると言われても直ぐには信じることが出来なかった。というより、実感が湧いてこなかった。
「でも、普通の夢だって見ますよね?」
「ええ。されども、予知夢のことは予知夢だとおわかりになるご様子でした。普通とは違う、そのような感覚だったともおっしゃっておりました」
「普通とは、違う……」
「はい。何か気になる夢を御覧になったのですか?」
「え……?ああ、まぁ、そんなところです。でも、大した夢じゃないので気にしないでください」
「左様でございますか」
彦兵衛との会話はこれで終わり、後は侍女たちが持ってきた新しい御前を食べて朝を過ごした。
は自分が見た夢を予知夢だとは思っていない。思いたくなかった。それに、気になった夢ならば申し出て欲しいとも言われたが、口が裂けても彦兵衛には言えるはず無い。
そんな彼女の耳に、『鬼に近づいてしまったか』と呟く彦兵衛の声は届かなかった。
この城―――というかこの世界に来て、数日が経った。相変わらずは十六夜姫として丁寧過ぎる扱いを受けていた。
まだ目覚めたばかりなのだから安静に、という理由で部屋の外へ出させてもらえなかった。一度は失った命、今度こそは失いたくないという家臣たちの気持ちがあるのだろう。説明したところで理解してもらえないだろうが、は十六夜ではない。お姫様扱いされても戸惑うばかりである。
は外に出てみたいと頼んでみようかと思った。けれども、それを言う暇もないくらい家臣たちが挨拶にやって来るのだ。連日、『姫様お元気になられて何よりです』『御気分はいかがですか?』など、十六夜の身を案じる言葉ばかり聞かされてきた。その度に頷いてみせたり、『ありがとうございます』とお礼を言い続け、正直なところもう挨拶は一度に来て欲しいと思った。
挨拶に訪れる家臣たちは皆十六夜のことを恐れている様子だった。赤い瞳になってしまってからは、益々顔を上げてくれなくなってしまった。
(きっと姫は孤独だったに違いない)
敵国である月陰国から人質として養女になったのだから、白い目で見られるのも当然ありうる話だ。
「十六夜様」
「えっと、また家臣の方……?」
お茶を渡され、一段落したところで彦兵衛の雰囲気が変わったことを感じて顔を上げた。
「本日は、外部より忍術学園の見習い忍者が護衛のために参りまする」
「え?にんじゅつがくえん?って……、忍術?学園?」
耳がおかしくなったのかと思い、は彦兵衛に聞き直した。彦兵衛はうんうんと頷いた。
「左様でございます。姫様のお命を狙ってくる不届き者がいつ現れるかわかりませぬので、忍者を派遣させました」
「い、命を?!十六夜姫……私はそんなに命を狙われるようなことをしたんですか?というか忍者?いったいどこから突っ込めば良いのか……」
「以前もご説明した通り、姫様は異能の力をお持ちです。以前よりその御力を国のため、民のために遣われてきました。ですが、異能故に近隣の国々から敵視されていおります。特に最近は月陰国の様子が怪しく、用心しなくてはなりませぬぞ」
「そんな事で……」
姫自身は何も悪いことはしていないようだった。その証拠に彦兵衛だけは姫の味方である。そして姫の便宜を図ってくれるのだ。
(命を狙われる立場とか……、本当にお姫様なんだ。でも、私の世界だったらテロか何かだよね……)
の世界で言えば、少なくても現代の日本では殺人や国の重要人物を狙うことは犯罪だ。この世界にはそういった概念が無いのだろうか?
(警察……が無いんだ。大体、国が1つにまとまっているわけじゃない。小さな国があちこちに幾つもあるみたいだし……)
国家がきちんと成立しているとは言えない戦国の世だ。誰も護ってなどくれない。そのための護衛を雇う。
彦兵衛は刀をいつも腰に下げている。生まれて初めて本物の刀を見たが、抜き身の状態ではまだ見たことがない。視線を脇差に向けたままは言った。
「彦兵衛さんも、私を護っているんですか?」
「はい。ですが、もう歳を取り過ぎました。十六夜様を御護りするには、もっとそれ専門の集団に頼む方が良いかと思いまして……」
「人を―――」
「はい?」
「いえ、何でもありません」
は聞き掛けて止めた。
飾りで帯刀しているわけではないだろう。
「では、お召し替え致しましょう。侍女たちを呼びますので、しばらくお待ちください」
「え?着替え?」
「そうですとも。他国の忍者と会うのですから。姫としてのご自覚をお持ちください」
「う……」
着物を着せられるのは時間もかかる上に動き難いので、はなるべく楽な格好をして過ごしたかった。
彦兵衛が部屋を去った後、侍女たちが数人現われて煌びやかな衣を幾つも運んできた。
相変わらず侍女たちはを見ると怯えた表情に変わった。身体は十六夜だとしても、は寂しい気持ちになった。
(それにしても……また変な夢……)
本日見た夢。それは、紺色の着物を纏った2人の少年が現れる夢。着物というより、まるで時代劇に登場する忍者のような恰好をしていた。の前に跪き、名前を名乗る。ただそれだけの夢だった。
しかし、は知っている。それがただの夢ではない事を。不思議と、普通の夢ではないと直ぐに感づいた。
(まさか、さっき彦兵衛さんが言っていた忍術学園……とかいうところからの護衛?まさか、そんなはずないよね。夢は夢だし……。予知夢って……そんなに簡単には信じられない)
このとき、その夢が現実になるとは全く思っていなかった。その日の夕方までは……。
夕方、ようやく目的地である光陽国の城門に辿り着いた竹谷と久々知は、門番たちに忍術学園からの使者であることを告げた。すると門番たちはあっさりと身を引いて、樫で作られた強固な扉を開けた。竹谷と久々知は、そんな門番たちに一礼軽くすると歩みを進めた。
堀で囲われた城へ続く橋を渡りきると、小奇麗な小袖を纏った侍女が城の入り口で待っていた。2人に頭を深々と下げる。
「忍術学園からお越しの、竹谷様と久々知様ですね」
「「はい」」
「お待ち申し上げておりました。姫様の元へご案内致します。どうぞこちらへ」
侍女は30代前半と見受けられるが、美しい笑顔を2人に振り舞いた。
城内はところどころガタがきているようだったが、修理していけばまだまだ城として機能していける。中庭は緑や花が美しく咲き乱れ、池には立派な鯉が悠々と泳いでいる。
竹谷は久々知に耳打ちした。
「なぁ、鬼の姫がいると思えないくらい綺麗な城だな」
「お前まだ信じてるのか?自分で姫を見てからそういう事は判断しろよ」
城の綺麗汚いで姫を想像する竹谷に、久々知が呆れたように溜め息を吐いた。
忍者の卵とはいえ、護衛の依頼を引き受けた以上はどんな相手だろうと命に代えても護らなくてはならない。竹谷とてそのくらいは理解しているはずだ。
竹谷は元々怖がりというわけではない。ただ、野生の感が何かを察知しているらしい。
城の奥へと案内され、行き着いた先には煌びやかな装飾のされた襖があった。この向こうに人の気配を複数感じる。竹谷と久々知は姿勢を正して正座をし、頭を軽く下げて待機した。
侍女は膝を折るとその場に座った。
「十六夜姫様、忍術学園からの御方がお見えになっております。お目通りお願い申し上げます」
「どうぞ、お入りください」
涼やかな声が襖の向こうから聞こえ、竹谷と久々知の緊張は一気に高まった。姫の声は、自分たちが想像していたよりもずっと若い声である。
襖が侍女によって開かれ、2人は顔を上げる。広い座敷部屋が視界に入ってきた。一瞬姫の姿が見えずうろたえてしまうが、良く見れば緑の縁取りのされた御簾が垂れ下がっているのが見える。そこだけ段になっており、人影が見えた。恐らくそこに鬼姫がいるのだと思われるが、遠い上に御簾のせいで姿がはっきりと見えない。
一段下がって姫の直ぐ傍には、鬼姫の腰元らしい老人が正座していた。他の控えの者たちよりも良い身なりをしており、この老人がまとめ役であると推測される。
(あのじいさん、なんかオレたちのこと睨んでないか?)
(そんなことオレが知るか……)
(つーか、姫の顔が見えないな)
目と目だけで竹谷と久々知は意思を交わす。
自分たちは姫の護衛に来たはずなのだが、老人が向ける視線はむしろ敵意を感じた。
動けずにいる2人に、また涼やかな声が響いた。
「あの……」
「え?あ、はいっ!」
久々知が返事をすると、御簾の向こうにいる鬼姫が気遣うようにこう言った。
「もっと近くに来てください。そんなに離れていては話ができませんから」
「「わかりました……!」」
「姫様、忍者をあまり近づけては……!」
「良いんです。大丈夫ですから」
姫は老人を優しく諭した。どうやら姫の方は忍者に対して抵抗は無いらしい。
2人は御簾の近くに来て膝を折る。他の家臣たちからの遠慮の無い視線が突き刺さったが、まずは自己紹介をしなくてはならない。久々知と竹谷が姫の前で手をつき、頭を深く下げた。
現代で生活していたからすれば、袴や頭巾などはとても奇妙な姿である。
しかし、それ以上には気になる事があった。
(あ……れ?)
2人の忍者がその場に手をついて頭を深く下げたところで、頭の奥にじーんと痺れる感覚が伝わった。
(どこかで……)
忍術学園、火薬委員会委員長代理、久々知兵助です。
同じく、生物委員会委員長代理、竹谷八左ヱ門です。
フラッシュバックする光景。
ピタリと一致する。
が夢で見た光景と同じだったのである。
気が付くと自然に口が開いていた。
「火薬委員会委員長代理の、久々知兵助……さん?」
「え?!」
「では……、そちらは生物委員会委員長代理の、竹谷八左ヱ門さんですか……?」
「そ、そうですけれど…」
どうして姫が自分たちの事を知っているのだろうか?確かに名前くらいならばもう知れているのかもしれないが、属している委員会と委員長代理であることは伝えられているはずがない。
鬼姫自身も確かめるように質問してきたという事は、あまり自信は無かったらしい。
とりあえず2人は改めて挨拶をした。
「忍術学園、火薬委員会委員長代理、久々知兵助です」
「同じく、生物委員会委員長代理、竹谷八左ヱ門です」
老人だけは何か知っているように頷いている。
「忍者……って、本当にいるんですね。紺色の衣装、コスプレかと思った……」
「こすぷれ???」
「あ、こっちの話です」
姫は異国の言葉を嗜んでいるらしい。
ゴホン、と側近が咳払いをした。そして2人が忍者の卵である事、警護の内容について説明された。
「―――というわけで、これからこの2人にはしばらくの間姫様の身の回りの警護をしてもらいまする。姫様も、それで宜しいですね?」
「警護……とは聞いてましたけど……」
姫は竹谷と久々知をじっと見つめる。そのとき、チラリと御簾の狭い隙間から赤く光るものが一瞬だけ見えた。
ぞくっとするような、鮮血を思わせる瞳。
「「!?」」
浮かんでくる【鬼】の一文字。
思わず硬直してしまったが、姫は気づいていない。
「まだ2人共子供じゃないですか」
ぼそりと呟いた声は2人の意識を引き戻す。竹谷はムッとした表情で顔の見えない姫に意見した。
「お言葉ですけど、鬼姫様こそオレたちとあんまり歳は変らないんじゃ―――」
「八左ヱ門ッ!!」
久々知が竹谷の口を両手で押さえた。しかし、もう遅い。言ってしまった言葉はもう戻らない。竹谷も自分の失態に気づいてハッとなる。
鬼の血を引いていると噂されている姫。だから【鬼姫】。しかし、この呼び名はもちろん正式なものではなく、むしろ本人に言えば不敬罪は免れない。家臣たちが顔を顰めてざわつき、腰元の老人は既に怒りで顔を真っ赤にしていた。
「なっ、なんたる無礼!実質この城の主たる姫様に向かってそのような物言い、見逃すわけには参らぬぞ!!」
「八左ヱ門のバカ!本人を前にして鬼姫だなんて……!」
久々知も焦りの色を隠せない。忍務を開始する前に失態を犯した挙句、牢屋にぶち込まれるかもしれなくなってしまった。
家臣たちも、この自分たちの主が侮辱された事で憤怒の声を2人に浴びせる。
「姫様を侮辱するとは!我が国を軽んじている証拠に他ならぬ!」
「彦兵衛殿、この者たちを即刻牢へ―――いや、手討ちにすべきですぞ!」
「そうじゃ!」
「そうだ!」
竹谷はこの状況にあたふたするだけで、何の解決方法も思いつかない。ただひたすら謝罪をするだけだ。
「申し訳ありません!お許しください……!」
「お願いします!どうか怒りを鎮めてください!」
久々知も竹谷と一緒になって額を床に擦り付け、必死に許しを請いた。けれども、騒ぎは一向に治まる気配が無い。怒号が飛び交い、この場は騒然となった。
焦っていたのは2人だけではなかった。姫として鎮座していたも、この事態に手に汗を握る。
(あの子たちから悪気は感じられない。きっと、つい口を滑らせてしまっただけ……。でも、彦兵衛さんたち皆怒ってる。それだけ酷い言葉だったんだ……!)
テレビの時代劇程度にしか知識が無いけれど、メンツがこの世界では大切なものであると伝わってくる。城主の侮辱はこの場にいる家臣一同への侮辱に他ならない。物騒な事を言い出すのも、そのせいだ。
(このままじゃ、あの子たちが罰せられてしまう!でも、私に彦兵衛さんたちを説得する事は、出来ない……)
もし十六夜姫であれば、この場を治められたかもしれない。だが、人の上に立たった事の無い単なる女子高生のには、怒り心頭の家臣たちを上手く説得する術は無かった。
(……だったら、私は私に出来る方法で……!)
彦兵衛は眉を吊り上げ、勢い良く振り返って姫に提案をした。
「姫様!この者たちは即刻牢に入れ、その後で更なる処罰を―――」
「あのー、すみません。さっき何て言ったんですか?」
「「「はい?」」」
姫からの意外な言葉に全員が間抜けな声を漏らした。騒然としていた空気がガラリと変わってしまう。
「ごめんなさい。少しぼーっとしてしまっていたので、忍者の2人が何て言ったのか聞こえなかったんです」
「ひ、姫様……。この者たちは、と、とても侮辱的な言葉を吐いたのです!」
「じゃあ、何て言ったのか、教えてくれませんか?」
「そ、それは……っ」
が能天気にをそう告げると、彦兵衛をはじめとする家臣たちも困惑の表情を浮かべた。鬼姫という単語は、本人を前にしてどうしても言えないものだ。それほどの不敬な言葉であるとわかっていて、家臣が姫に言えるであろうか?答えはNOである。
この発言に最も驚いたのは渦中の竹谷と久々知だ。御簾の向こうにいる姫を呆然と見つめている。
彦兵衛は苦い顔をしていたが、やがて諦めたように姫に手をついて頭を下げた。
「……申し訳ありません、姫様。手前共の聞き間違いだったようでございます」
彦兵衛はが嘘をついている事など、とうに気づいているだろう。けれども、が何を言わんとしているかは伝わっている。
彦兵衛が間違いだったと認めた事で、他の家臣たちもそれに習い頭を垂れた。静けさを取り戻した室内に、の安堵した声が響く。
「そうですか、良かったです。そこの2人も、気にしないでくださいね」
「え……?あ、はっはい!ありがとうございます!!」
「十六夜姫、ご寛大なご判断、本当にありがとうございます」
とりあえず、自分たちは不敬罪として牢屋に入れられる心配は無くなった、と胸を撫で下ろした。
(本気で気をつけろよ、八左ヱ門!)
(悪かったって……!)
ビシビシ伝わってくる久々知の視線に、竹谷は申し訳無さそうにしている。
「護衛、引き受けてくれてありがとう。これから宜しくお願いしますね」
穏やかなの声に背筋がピンと伸びる。受けた恩を感じ、2人は返事の代わりに頭を深々と下げた。
こうして、忍たまによる十六夜姫の警護が始まる。
第二夜 緋色の瞳に映るもの