光陽国に戻った5年生たちは重い荷物を持って息も絶え絶えだったが、さっそくこれまでの経緯を彦兵衛に報告した。
なぜか十六夜の鬼化を阻止できたこと、新月丸が完全に鬼化してしまったこと、そして十六夜が新月丸と一緒に自分の胸を貫いたこと……。
最後の方は説明をしていた久々知の声が震えて、今にも消えてしまいそうだった。
一方、話を聞いていた彦兵衛はとても静かに報告を聞いていた。たくさん質問したいこともあっただろうに。けれども彦兵衛は黙って耳を傾けていた。
報告が全て終わると、彦兵衛は雪のように白い眉毛を下げて微笑んだ。それは、昔を思い出しているかのような優しい顔立ちだった。
「やはり、姫様を御救いすることはできなかったか……」
「本当に申し訳ありませんでした……!!」
久々知が額を畳に擦りつけ、土下座する。他の3人も同じように土下座をし、精一杯彦兵衛に謝罪をした。肩が悲しみと悔しさで震える。
十六夜を血の繋がった家族のように心配していた彦兵衛が、どれほど十六夜の帰還を待ち望んでいたかを彼らは知っている。
けれども、彦兵衛は責めなかった。
「顔を上げなされ。傷ついた身体でそのようなことをするでないわ」
彦兵衛の言うとおり、彼らは全員傷だらけだった。いち早くこの事実を伝えるため、ろくな手当もせずにここまでほとんど寝ずに走ってきた。
顔を上げた少年たちには真っ黒な隈ができており、目の周りは赤く腫れ上がっている。
雷蔵が口を開いた。
「先ほど『やはり』とおっしゃってましたが、それはどういう……?」
そう、まるで先ほどの彦兵衛は既に十六夜の死を感じ取っていたかのようだった。
「そなたたちも見たじゃろう?十六夜様が毎晩魘されていたところを……」
十六夜は全身を汗で滲ませ、歯を食いしばりながら悪夢という苦痛に耐えていた。硬く握りしめられた拳の強さがその度合いを物語っている。その小さな手を何度も握り、彼らは十六夜の力になりたいと思った。
「はい……。ですが、それといったい何の関係が……?」
十六夜が悪夢を見ているということは知っていた。しかもそれは十六夜が言い出したのではなく、魘されてて叫び声を上げたのを聞いて初めて気付いた。もしあれを聞かなければ、自分たちは何も知らずにいたかもしれない。そう思うと背筋が冷たくなった。
「赤眼病患者には、希にその病と引き換えに、特殊な能力を持つ者が現れる。十六夜様もそのおひとりでいらっしゃった」
「特殊な能力って何だ……?」
初めて聞かされる話に竹谷が首を傾げていると、彦兵衛は予想外の返事を返した。
「夢じゃよ」
「夢?」
「そう、これから起きる事柄を夢に視る……予知の力じゃ」
「予知?!そんなすごいことができるのか?」
「信じられない……。姫サンはその予知夢を視て魘されていたってことなのか?」
「左様。姫様は予知の力をご自分では操ることが御出来にならなかったが、一月以内に起きる事柄を予見することが可能じゃった」
彦兵衛は皺だらけの目を細める。
「あの魘されよう、尋常ではなかった……。けれども姫様は決してわしに夢の内容を話そうとはせんかった。姫様のお決めになったことを、わしが変えることはできなかった故……。そして、この度の争いと姫様の死が、全てを物語っておるのじゃ」
「そ、んな……。それじゃあ、十六夜姫は……!?」
久々知の言葉に他の3人も頭が真っ白になってしまう気がした。
「……御自分が死ぬ夢を、視ておられたのじゃろう」
彦兵衛の言葉に今度こそ何も考えられなくなった。茫然としながらこれまでの十六夜の様子を思い出す。
夢の中で何度も何度も死ぬ夢を十六夜が視ていたとしたら?
毎晩やって来る恐怖にただの1人で耐えていたとしたら?
そして、その夢を受け入れて死んだのだとしたら?
(十六夜姫がオレと八左ヱ門の名前を肩書きを言う前から知っていたようだったのは……もしかすると予知の力だったのかもしれない)
「そなたたちが悔やむことはない。全ては十六夜様が御自分で判断なさったこと……」
「ふざけんなよッ!姫が自分で判断したからって……、そんなの、納得できるわけが―――」
「ハチ、そんなこと言ったらダメだ」
「雷蔵……?」
竹谷のやりきれない怒りを制したのは雷蔵だった。雷蔵はまっすぐな目で、けれども悲しみを宿した視線を向ける。
「姫様が必死に隠し続けて生み出した結果を、そんな風に否定しちゃダメだよ。だって姫様は……、きっと僕たちのためにそうしようと決めたんだから」
「ッ!?」
竹谷の瞳が大きく見開かれた。その瞬間熱い涙が一粒ぽろっと零れ出て畳に落ちた。竹谷は雷蔵の目を見ていることができず、視線を逸らしてゴシゴシと乱暴に目元を拭って俯いた。その様子に雷蔵もまた目に涙を溜めて優しく微笑む。
「不破殿の言うとおりじゃ。そして姫様が遺された功績は大きい」
そう言いながら彦兵衛は後ろに手をやると、金色の蒔絵が入った文箱を取り出して紐解いた。中にはきっちりと几帳面に折られた上質の文が納められていた。
文を手渡された三郎は丁寧に文を広げる。文を読もうと久々知、雷蔵が左右から覗き込み、竹谷が三郎の後ろから覗き込む。
文には今まで見たことがないほどに達筆な文字が認められていた。
ざっと目を通した4人は驚きの内容に目を丸くしてしまう。
「これは月陰国からの嘆願書……!?」
「光陽国へこんな文を出すとは想像できないな」
三郎の言うように、月陰国は光陽国と不仲だ。しかも戦を仕掛けるような間柄である。けれどもこの嘆願書には、『赤眼病の研究を続ける一派とそれに反対する一派がある』と書かれ、さらに『自分が死んだ後は昔のように2つの国を再び1つにしたい。そのためならばそちらのどんな条件も受け入れる』という内容が書かれていた。まるでそれは一種の降伏を意味している。
さらに驚くのはその送り主の名前だ。文の最後には新月丸の名前が書かれていたのである。
「当主の新月丸が直々に書いたもののようだな。しかし、十六夜姫を鬼にしたがっていたのになぜ……?」
自分たちが見た月陰国の当主は、狂気に支配された鬼そのものだった。争いを好み、実の妹でさえその餌食にしようとどんな手段も選ばない男。そんな印象が頭から離れない。
だが、この嘆願書を読む限り、今までの印象とは真逆だ。争いを避けようと働きかけ、そのためならば自分のプライドも捨てる。
「その文が届いたのは、そなたたちが出て行ってから直ぐのことじゃった。城に攻め入ったくの一が文箱をわしに手渡した。文を読み、わしは全てを悟った……。最初からこうするつもりで……新月丸殿は御自分の妹君をこの国によこし、そして攫ったのじゃと」
「月陰と光陽に分かれたときのように、赤眼病を巡る争いで月陰国内が2つの派閥に分かれていたのか。きっと……新月丸は、その赤眼病を継承している自分と、その妹をこの世から消さなければならないと思ったんだろうな」
「何でだよ三郎?!そんな極端なことしなくたって良いじゃねぇか!」
「嘆願書を読む限り、新月丸は赤眼病から生み出される争いの全てを自分の代で断ち切ろうとしていたんだろう。赤眼病がこの世に存在する限り、研究を続行する派閥は諦めがつかない。だから自分で赤眼病を研究する意見に賛同する振りをしながら、ずっと姫サンを殺す機会を待っていたんだ」
とても乱暴で、とても愛情深い判断だった。
しかしここで疑問が残る。それを雷蔵は口にした。
「だけど、それならどうしてさっさと姫様を殺さなかったんだろう?わざわざ城まで連れ帰らなくても、回りくどいことをしないでその場で暗殺してしまえば良かったじゃない」
ただ殺すだけならばどこでも良かったはずだ。それなのに、城を襲撃してまで十六夜を自国まで攫う必要があったのだろうか?
「【鬼化】だ」
「え?」
三郎の代わりに久々知が返事をした。久々知は文に目を落としながら言った。
「完全に十六夜姫が鬼化する必要があったんだ。鬼化して死ねば、砂になって消える。つまり、研究材料が残ったりしないようにしたかったんじゃないか?研究を続けられるようなものが残ったら、派閥を潰すことができないし……。だから、十六夜姫が完全に鬼化する時をずっと待っていたんだと思う」
今思えば、何度も月陰国の忍者は自分たちを殺す機会があった。6年生を操ったのも、心優しい十六夜が抵抗をしないように人質にしただけで、忍術学園にも死者は出なかった。それは、光陽国もまた同じである。
戦の準備をしていたのは、恐らく十六夜は赤眼病ではない病で死んだという話を聞きつけたため。戦の動乱にまかせて十六夜の遺体を持ち帰ろうという派閥の動きがあったのだろう。これは新月丸にとっても予定外だったに違いない。せっかく今まで十六夜が完全に鬼化するときを待っていたというのに、急死してしまうのだから。
だが、十六夜が生きていることを知って、研究続行の派閥を抑えて当初の計画を実行に移した。
「月陰国の研究続行を推す一派は赤眼病という根本を折られ、目的を完全に失った。今は光陽国と1つになることを望んでいるそうじゃ……。というか、それしかもう道は残されておらんからのう」
「そうですか。これからこの国は忙しくなるんだな……」
「それだけではない」
三郎の声に彦兵衛はにっこりと笑う。
「姫様は光陽国にも新しい風を遺してくださった」
「新しい風?」
「人の輪じゃよ。姫様は月陰国の忍者に襲われて重傷を負った侍女を、自分の高価な着物を引き裂いて応急手当てを施された。城の者たちは、姫様を鬼の城から来た鬼姫として恐れておった……。じゃが、姫様の行動に侍女を始めとして城の者たちはいたく感激した。そして、いかに情けなかったのかを知ったのじゃ。これからは、国をもっと良いものにしようと意気込んでおる。衰退している光陽国も、きっと賑やかさを取り戻すじゃろうて」
月陰国という敵国の、しかも鬼の血を引いていると言われている十六夜。入城した後も酷く風当たりは冷たかっただろう。
けれども今は違う。風は北からではなく、南から吹き始めているのだ。
十六夜が死んでも、たくさんの希望が残った。希望が生まれた。
竹谷は彦兵衛の話を好意的に聞いていたが、ふと笑顔が消えてしまった。竹谷の顔にへばりついたのは、いじけているような子供の顔。ぐっと唇を噛んで俯いてしまった竹谷に三郎が声をかけた。
「何だよ、ハチ。変な顔しやがって」
「だって……、そうだろ?姫が死んでから何もかにも良くなるなんて……、これじゃあ姫が死ななければ皆幸せになれなかったってことじゃねぇか」
「「「!」」」
十六夜という友人を助けようとして、必死に動いてきた。彼女を失えば全てが絶望へと変わってしまうと思い、だから命を懸けて護ろうとしていた。
けれども、十六夜を失ってからの方が良い方向に向かっていくなど、竹谷にしてみればただの皮肉にしか映らない。後から事実を知ってみれば、十六夜を生かすという選択肢がどこにも見当たらないのだから。
「『姫が死んで皆幸福!』なんていう、そんな終わり方……オレはやっぱり納得できない」
私も帰りたい。皆と一緒に夕ご飯を食べたり、遊んだりしたい……!
「姫が生きて、ここで笑っていなくちゃ……意味なんてない。全然幸せじゃない!」
竹谷の張りつめた声は全員の、肩に重くのしかかる。4人が目指していた幸せは、十六夜を救い出すことだったのだから。
何もそれに応えられるような言葉が見つからない。だが、ここでくくっと喉を詰まらせるような小さな声で笑う者がいた。彦兵衛である。
「彦兵衛さん?」
不思議そうな視線が彦兵衛に集まる。彦兵衛は『ああ、すまんかった』と一言謝った。けれどもその笑みは消えないまま。
「姫様には同じ年頃の友人がおらんかったが、まさかこんなにも姫様のことを想ってくれる者ができるとはのう。姫様もそのことは予言されてはいかなかったと思うてな」
「十六夜姫はどれくらい予言を当ててみせたんですか?」
「百回中百回じゃ。つまりは今まで外したことがない」
「すげぇ……」
思わず竹谷から感嘆の声が漏れる。
ふと、ここで彦兵衛が『ああ』と何かを思い出したように呟いた。
「今まで姫様は予知を外したことがなかった」
「過去形、ですか?」
三郎の問いかけに頷く。
「姫様はそなたたちと出会う前に、大病を患って死にかけた。いや、一度死んだと言ってもおかしくはないじゃろう」
「死んだ……?!姫様が?いったいどういうことですか?」
「姫様は死の間際に2つの予言をなさった。1つは、次の新月の日に再び目覚めること。それは見事に的中なさった。死したはずの十六夜様の身体には、また熱がお戻りになったのじゃよ。それが……そなたたちの知っている十六夜様じゃ」
「死んだのに、生き返るといのは何とも面妖だな」
「三郎の言い方はあんまりだと思うけど、僕も不思議です。どうしてそんなことが……」
「それはわしにもわからぬ……。けれども、もう1つの予言は的を外れた。初めて姫様の予言は外れたんじゃよ」
百発百中であったはずの予言。自分の生死さえも予言してみせた十六夜が、予知しきれなかったことがある。
いったい何だ?
「実はな、わしと姫様は救世主を待っておったのじゃ」
「救世主……?何だかいきなりだな」
竹谷は全く想像していなかった言葉にきょとんとした。
「姫様は大病を患い、1週間も昏睡しておった。そして次に目覚めた時、こうおっしゃった。『自分の魂の欠片を見つけた』と。夢の中で自分と似た心を持つ人間を見つけ、きっとその者が、近日中に月陰国と光陽国を結びつける階になると予言されていたのじゃ。じゃから、わしはその救世主が現れるのをずっと待っておった」
それがもし本当に現実に起きるものだとしたら、何て都合の良い話なのだろう。世の中とは上手くできているとしか言いようがない。
だが、それを彦兵衛は信じていたようで、眉をハの字にして笑う。それは少しの悲しみを湛えた顔だった。
「結局予言の救世主はとうとう現れず、姫御自身が全てのことを命と引き換えにしてしまったわい。はは、姫様の予言がはずれるとはのう……。こんなことは初めてじゃよ、全く……」
初めて彦兵衛は声を震わせ、微笑みを浮かべたまま下がった瞼から涙を零した。そこには光陽国の腰元ではなく、孫を想って泣く老人がいた。
しかし、4人には彦兵衛の話をゆっくりと聞いている暇はなかった。彦兵衛によって明かされた【救世主】についてドクンと胸が鳴る。確信はないけれど、という目でお互いを見つめ合った。まるで、何か身に覚えでもあるかのようである。
一瞬緊迫した空気が流れ、彦兵衛もその異変に気づいて顔を上げると、4人は情報を処理しきれないといった顔をしていた。
「ん?何じゃ、変な顔をしよって」
「なぁ、その救世主ってヤツがどんな姿をしていたかわかりますか……?」
切羽詰まったような三郎の声に彦兵衛は少々唸った。
「そうじゃなぁ……、姫様がおっしゃるには、大和民族らしからなぬ色素の薄い髪の娘で……、何やら見慣れぬ不思議な着物を着ておったと……」
「そ、その人の名前はッ?!」
身を乗り出すように雷蔵は彦兵衛に詰め寄った。目が真ん丸に見開かれ、どこか血走っている。あまりの剣幕に彦兵衛もたじたじだ。けれども雷蔵から目をそらすこともできず、怯えながらこう言った。
「救世主の名は―――」
彦兵衛と十六夜が待っていた救世主の名を聞いたのと同時に、城内からは女性の悲鳴が聞こえてきた。心底驚いたといった悲鳴は断続的に続き、そして衛兵と思われる男の怒鳴る声が耳を貫いた。
「曲者?!曲者が侵入しているぞーーー!!出遭え出遭えーー!!!」
「賊とは……。しかし、騒ぎはどうやらそなたたちが通って来た方からのようじゃのう」
この言葉に、4人は『まさか』と目を見張った。
様子がさっきからおかしい4人に、彦兵衛は首を傾げてこう問いかけた。
「ところでそなたたち、いったい何をここまで運んできたんじゃ?」
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