ふ……と雷蔵の手の中が軽くなった。先ほどまで握っていたはずの刀の柄が消えてしまっている。
それと同時に鈍い音が響き、鉄の臭いが漂ってくるではないか。何度も嗅いだことがあるはずなのに、初めて嗅いだような不快感が胸を支配する。
雷蔵はの許可を得ずに目を開けた。そして他の3人も同じように目を開け、雷蔵と同じ光景を目の当たりにする。
想像通り、新月丸と彼に捕らわれているの姿があった。けれども、全く違うことがある。
夜が明け、金色の太陽が闇を照らし出す。
真っ白だった髪が、夜を吸い取ったかのように黒く戻っている。
は、雷蔵が向けた刀を素手で掴み、自分の胸に突き立てていた。
それは同時に、後ろに立っている新月丸の心臓をも貫くことになる。
2人を貫通した刀は、赤い液体で濡れていた。
「あ……」
雷蔵は何が起きたのかわからず、そう呟くので精一杯だった。
新月丸は苦痛で脂汗を滲ませながらも、微動だにしない妹の身体を両腕に抱いた。
「ぐ……っぁ……」
その影響で、身体の中を刀がまた深く貫く。血で真っ赤になった胸が火傷しているかのように痛んだ。それでも新月丸は妹を抱きしめることを止めない。力が続く限り、強く強く背後から抱きしめた。
足の指から徐々に力が抜けて行くのがわかる。
「いざ、よい……」
妹の耳元へ青白く変色した唇を寄せると、妹にしか聞こえない声でこう囁いた。
「
さすがは、私の妹です」
新月丸の身体は言い終えるのと同時に白く石化していく。手も足も胴体も、髪の一本までが石へ成り果てる。
そして完全に石化すると、強い風が吹き荒れ、砂となって空へ舞い上がった。残された着物だけが抜け柄となってその場に落ちる。
は自分を支えてくれていた存在を失い、糸が切れた操り人形のように倒れた。その反動で、柔らかい肉に食い込んでいた刀がずるっと抜け落ちる。血がべしゃっと大量に溢れて地面を赤黒く染め上げていく。ドクドクと身体から泉のように湧き出る血はとどまることを知らない。
我に返った4人はの元へと駆け寄った。
「姫様ああああああああああああ!!!!」
雷蔵が絶叫しながら横倒しになったの身体を揺する。涙が幾筋も頬を伝い、の赤く染まった身体へと落ちていく。
人が刺されるところを初めて見るわけでもないのに、何が何だかわからなくなってしまう。
「姫……?姫……!?姫ッ!?姫ッ!?」
竹谷もうわ言の様にを呼び続けた。目からは熱い雫がボロボロ零れて止まらない。半狂乱になりながらもの胸から溢れ出る血を止めようと両手で押さえる。熱い血で手が染まっていくことも気にせず、ただ必死に。
柔らかかったはずの身体が徐々に堅くなっていくのを感じ、竹谷は恐怖で頭がおかしくなりそうだった。
「一緒に帰ろうって……、約束したじゃないかッ!?」
の真っ黒な瞳は半分だけ開いた状態で静止していた。同じように緩く開かれた唇の隙間からは胸と同じ赤い液体が零れ、頬や顎を伝っていく。元々白かった肌からは赤みが完全に抜け落ち、見る影も無い。やがては土色に変わってしまうのだろう。
紺色の装束は血を吸いこんで黒く変色していく。それでも構うこと無く竹谷は手で強く押さえ続けた。しかし血は止まることなく流れ出てしまう。
「十六夜姫……!十六夜姫!!なぜこのようなことを……っ!?」
朝焼けの空を見つめる。だが、その瞳には何も映していない。
久々知もまた涙を零し、拭うこともせずを見下ろしていた。苦しみも痛みも伝わらない無表情のは、久々知の問いかけに反応しない。ガタガタと身体の震えが止まらず力が入らなくなる。折られた左腕の痛みなどとうに忘れた。
「答えてください……!十六夜姫!!答えろよ……!!おいっ!!」
風が吹き、は返事をしない。返事の代わりに口からは血が湧きでてくる。長い黒髪だけが揺れていた。
いきなりすぎてわけがわからない。目を開けると全てが終わっていて、しかも終わらせたのは本人。全てを理解するには時間が必要である。
ここでようやく追っ手を一層してきた6年生が少し離れた木の陰に現れた。この場を包む咽かえる様な血の臭いに6年生たちは顔を顰めた。
伊作が泣きじゃくる後輩たちの間に血まみれのを見つけ、駆け寄ろうとした。だが、肩を掴まれる。振り返ると、文次郎が眉間の皺をさらに深くして首を静かに振った。
「伊作、お前もわかるだろう?」
仙蔵もまた同じ意見のようだ。
保健委員として怪我人の手当てをすることはごく当り前のこと。けれども、今のは怪我人ではない。手の施しようが無い、死人である。瞳孔も完全に開ききっている。
そのことは別に伊作が見なくともわかることだ。しかし、それでもを取り囲む友人たちは、蘇生行動を止めようとしない。塞がることの無い穴を埋めようとしている。
黙ってこの絶望を見守るしかなかった。
三郎は1人遅れてフラフラと力無くの傍に座った。白と山吹色の着物は元の色がわからないほど赤い。三郎はドンと地面を殴りつけ、もう片方の手での手首を下から持ち上げた。触れた場所から熱は生まれてこなかった。握り返す反応も無い。
「何てことしてくれたんだ……。何てことを……!これじゃあ何のために私たちが頑張ったのかわからないだろう?!」
怒り心頭の三郎がの手首に力を入れた瞬間、の手首がぼろっと砕けて落ちた。三郎たちの心臓が飛び上がる。目を大きく見開き、砂となって新月丸の姿を思い出した。地に落ちた手首はそのまま細かい砂に変わってしまう。
三郎の堪えていた胸の内が涙となって零れ、ぎゅっと瞳を瞑った。その瞬間もまた涙が伝い落ちる。震える肩は小さな子供ようだ。
「バっカ野郎……!!アンタは本当に、大バカ野郎だ……!」
の身体は徐々に石化を開始する。爪先が白く変色していき、雷蔵がその指に触れようとした途端砕けで砂になってしまう。
言いようのない絶望が彼らに襲いかかって来る。今まで感じたことのない恐怖に飲み込まれてしまいそうだ。戦場を駆け回ったときも、これほどの感情を覚えたことはない。
「姫様、嫌です!嫌だ!!嫌だ……っ!!逝かないで、くださ……」
遺体さえ残らない。彼女がいたという証さえ護ることができない。
彼女の居場所が、太陽が昇るのと同じく徐々に失われていく。
「十六夜姫……十六夜姫……!消えたらダメだ!まだ……一緒に……っ」
「畜生!畜生……っ、姫……!ようやく終わったっていうのに、何で……姫が死ななくちゃならないんだよ!!」
頬の皮膚が隆起し、泣き過ぎて目の周りも真っ赤に腫れている。それでも嗚咽は止まらない。頭が痛くなり、呼吸をするだけでも苦しさを感じる。一生分の涙をここで流してしまいそうな勢いだ。
「姫サン……約束を、違えるつもりなのか……っ!そんなこと、許す……はずが、ないだろう……!」
の笑う声、の笑顔、の体温、の胸の鼓動。
それら全てが、髪の一本まで砂になって消えていく様子を、彼らはただ見つめることしかできなかった。
「逝くなよ!逝くな!!頼むから……、逝かないでくれッ!!」
竹谷は力任せに掻き抱いてしまいたい衝動を抑えて、血で滑る両手を血に叩きつけた。べしゃっと水溜りとなった血が跳ね上がる。それが頬に付着して涙と一緒に伝い落ちていった。
久々知が人の形をほとんど失ったに触れようと手を伸ばした。だが、それを嘲笑うかのようにひと際強い風が吹き荒れる。森の木々が強く揺さ振られ、だった砂は彼らの間をすり抜けて朝焼けに燃える天へと舞い上げられた。
「うわあああああああああああああああーーーー!!!!」
誰のかもわからない、貫かれるような絶望の叫び声が森に響き渡った。目覚めた鳥が空へ羽ばたいていく。
血を吐くような絶叫は、天へと吸い込まれていくだけ。
登る太陽が、全ての闇を照らし出す。
けれども今だけは、その静かなる闇に包まれていたいと願ってしまう。
この悲しい現実を、闇に溶かしてしまいたい、と。
彼らは何もわからない。
何も知らない。
なぜ彼らの友人が自ら死を選んだのかも、本当は誰が死んだのかも……。
【】という答えを失ってしまったのだから。
がもし彼らを見ていたら、『そんな顔もできるじゃない』と笑うのだろうか?
今となっては、それさえもわからない。
わからない。
第十四夜 そして少女は砂になる