は息苦しさに耐えかねて目を覚ます。そこは、薄暗く湿った地下牢。冷たい石の床に茣蓙が敷いてあるだけ。その上に、は横になっていた。
(……少しだけ寝てたんだ、私)
自分を圧迫しているものは何も無い。には、この息苦しさの原因を既にわかっていた。
また、あの夢を見たのである。
三郎、もしくは雷蔵に胸を刀で貫かれて殺されてしまう、予言の夢。それは、日ごとに肌で感じるほどリアルなものになっていった。誰かに手を握ってもらうことで、刺されたときの痛みは抑えられるということがわかった。
しかしここで疑問が出てくる。
(あれ?どうして痛みを感じなかったんだろう……?)
ここは牢獄。誰も自分の傍にはいない。ましてや、手を握るなど誰がするというのだろう?
しかし、はようやくここで自分の手に温もりがあることに気付いた。左手を誰かが握っている。驚いたが勢い良く起き上ると、鉄格子の向こうで見張りをしていたはずの伊作がいた。そして彼はの手を握って壁に寄り掛かっている。虚ろな目は相変わらずで、のことを見ようともしない。けれども握られた手が温かだった。
が眠っている間、とても魘されていただろう。その苦しげな声は、伊作の耳に届いたのかもしれない。暗示をかけられてしまっている今も、本能では何かを感じ取っていると思えた。
はふっと笑って伊作の手を握り返した。氷のように冷やかなこの地下に、小さな太陽を見つけたような気がした。
心地良い沈黙が続き、ぴちょんぴちょんと水滴が垂れる音が響く。は溜め息を吐くと、自分の痣が浮かんだ腕を見ながらぽつりぽつりと語り始めた。
「平和な世界って……本当に存在しているのかな?皆には存在しているみたいな事言ったけど、ここまで平和について考えた事なかった」
の世界では、少なくても日常に暴力が転がっているなどという事はなかった。勢力争いで、相手を傷つけたり傷つけられたりとは全く無縁の世界。もそんな世界が好きだった。だから、今直面していることに敏感に反応してしまうのだ。
「早く皆が武器を持ったりしなくても良いように……って、そればかり。おまけに自分が傷つきたくなかったからいろいろ突っ走って、結局今は牢獄行き……笑っちゃうよね」
自分のせいで誰かが他人の命を奪う。もしくは奪われる。そんな光景は2度と見たくない。
は、自分の保身のために行動してしまっていたと感じていた。
「十六夜姫という人間は、もう直ぐ死ぬ。……もう一度死ぬ」
不死鳥のように蘇った鬼の姫。
予言がどうであれ、あの薬を飲まされてしまっては確実に死がこの身体に訪れる。
(きっと完全に鬼化した私を、あの子たちが殺すっていうシナリオなんだろうなぁ)
そんな予想が立てられる状況だ。
そして、元の世界に帰る方法もわからないまま。
「私の世界は確かに平和だよ。だけど、それは『私から見れば』ってことだった。本当の平和っていうのは、ここにあったんだね」
ぎゅっと大きな伊作の手を握る。
「戦いがあちこちで起きているこの世界だけど、兵助くんたちは学園のことを楽しそうに話してくれた。そのときに見せてくれた笑顔は、平和そのもの……。私はこの世界全てを平和じゃないと否定して……、皆が傷つかないように遠ざけた。そのせいで友達を危険な目に合わせてしまっている。もう……やり直せない。気づくのが遅かった」
はこの状況を苦笑するくらいしかできない。
「たかが小娘の私には、もう何か出来る事ってないのかな……」
の世界で言うと、月陰国と光陽国の問題は政治家がどうにかすることだ。それを女子高生1人で解決できるとは到底思えない。
はふとあることに気付いた。
(どうして、私はこんなに一生懸命頑張ろうと思ったんだろう……?)
常に冷静に物事を見ようとしてきた自分の性格を考えれば、それこそおかしい。政治問題を自分でどうにかできるとなぜ信じていた?
「ふふ……、そっか。出来るとか出来ないじゃなくて、私はやろうとしていたんだ。出来たとか出来なかったとか、結果は後からついてくるものだよね」
絶対に2つの国の争いを止める事は、出来ると思っていたわけじゃなかった。ただ、目標に向かって真っすぐに行動しようとした。
「皆が来てくれれば……まだ希望はあるかもしれない。やるかやらないかだったら、やった方が良いよね、うん」
は伊作の手をようやく話した。光のない目でただ前を見ている伊作に、はとりあえず謝った。
「いろいろうるさくってごめん。……聞こえてないかもしれないけど、一応謝っておきたくて」
反応を示さない伊作だったが、は謝罪することで気を持ち直した。
(ここで私が唯一何か出来るのは、あの新月丸っていう当主とした約束を思い出すこと……かな)
新月丸と交わしたとされる約束。それはまだが入っていない頃の十六夜、生きていた頃の十六夜に話は遡るだろう。以前十六夜の記憶と思われる光景が、一瞬だけ蘇ったことがあった。それを今一度考える。
ひっく……うぅ……っ!!
泣いてはいけないよ、十六夜。これが私たちの使命なのですから。
でも、でもぉ……っ!
大丈夫、またきっと会えますよ。だから、約束して欲しい。
やくそく……?
そうです。次に出会ったそのときは―――
はっ、はい、お兄様!!
「………笑顔」
ぽつりとは呟いた。
肝心な約束の内容は、霞がかかったように思い出すことが出来ない。けれど、その約束をした幼い十六夜は笑顔で嬉しそうに返事をしていたという事を思い出すことが出来た。
(つまり、少なくとも十六夜姫は無理やり約束させられたわけじゃなくて……むしろそれを望んでいたってことになるな)
新月丸のあの狂気にかられた目を見る限り、とても笑顔で約束できるようなことを要求したとは思えない。
タッと軽い足音が聞こえ、は顔を上げた。鉄格子の向こうには、あのくの一が跪いているではないか。は途端に身を硬くした。
「鬼姫様、新月丸様がお呼びでございます。私と一緒に参りましょう」
ここにいるよりはマシと思ったは、素直に頷く。それを見たくの一は目を細めると牢の鍵を開け、を外へ招いた。
くの一が視線を伊作に向けると、伊作も黙って立ち上がり、の後ろに続いた。
⇒