主が消えた光陽国の城内は、怪我人の手当てに追われていた。重傷者の治療をを優先し、軽傷者は無傷だった者と協力する。死者が出なかっただけマシだった。
慌ただしい中、彦兵衛は4人の元護衛たちを十六夜の部屋に呼んだ。敵の忍者に肩を斬られていたが、幸いそれほど深いものではなかった。
彦兵衛は4人から一連の騒動について報告を受ける。城の異変に気づいて引き返した事、十六夜を間一髪のところで護った事、自分たちの先輩が敵になってしまった事、十六夜が月陰国へ攫われてしまった事……。彦兵衛は、雷蔵が全て話終えるまで黙って聞いていた。
「―――というわけで、姫様を護ることが叶わず……」
「そうであったか……」
彦兵衛は奥歯を噛みしめ膝の上の拳を強く握った。
「オレたちのこと、怒らないんですか?」
竹谷がそう訪ねると、彦兵衛は悔しそうに俯く。けれども自分たちに向けられたものではないことがわかった。
「十六夜様が月陰国へ行くとご決断なされた事じゃ。お前たちを責めたところで、どうにかなるものでもなかろう。それに、そのようなことをあの御方は望まんじゃろうて」
彦兵衛はほんの少し笑みを浮かべ、4人の少年たちを見た。
思えば、鬼の城からやって来た十六夜に友人と呼べる者などいなかった。鬼の血を受け継いでいると囁かれ、家来たちは皆腫れものを扱うように十六夜と接してきた。恐れを抱いた視線を一身に浴び、それでも十六夜は自分を捕らえた光陽国を愛していた。この国を護りたい、民の幸せを護りたい、と。
暫くの間沈黙していた彦兵衛は、真面目な表情でしゃがれた声を紡ぎだした。
「お前たちに、話したいことがある」
「な、何でしょう?」
久々知が老人らしからぬ強い意志を宿した目に返事をする。了承を得た彦兵衛は、正座した背筋をピンと正した。
「姫様にお会いしたのならもう気づいておろうが……、姫様のお身体とその病についてじゃ」
「「「?!」」」
いつ聞こうかと迷っていた4人は、まさか彦兵衛から話を切り出してくると思っていなかった。
十六夜の赤い目に続いて口元から覗いた獣のような牙が気になって仕方無い。あの身体の変化はそれだけでは終わらない気がして背筋が寒くなった。
私は……鬼なんだって。今は人間でも、もう直ぐ私は鬼になってしまう……。
「姫サンは自分が鬼になってしまうって言ってたな……」
「それと何か関係が?」
彦兵衛に雷蔵がそう訪ねると彦兵衛は頷く。そして、十六夜がかかっている赤眼病と2つの国が1つだったことを4人に話した。話を聞いている間はその内容に唖然とするしかなかった。
「―――つまり、十六夜姫は赤眼病の実験体にするため、月陰国へ連れ去られたんですね」
「しかも、完全に鬼化して精神が崩壊してしまうのも時間の問題、か……。なるほど、この国が隠していたのはコレだったわけか」
三郎は眉間に皺を寄せて考え込む。
「それって、かなりヤバい状態なんじゃないのか?!精神崩壊って……、姫が姫じゃなくなっちまうんだろ?それに人体実験とか……、姫が危ないじゃねぇか!」
竹谷は難しい話は良くわからなかったが、とにかく十六夜が危ない状況にいることだけは真っ先に理解できた。焦りで困惑してしまう。
「万が一、姫様が鬼化した場合は決して戦ってはならぬ。鬼化した者に立ち向かうなど、人間の力では到底叶わぬからな。赤子の手を捻るがごとく、その身を八つ裂きにされてもおかしくはないじゃろう……」
「八つ裂きとは……。【鬼姫】の呼び名は伊達ではないという事か」
「兵助っ!感心しているバヤイじゃないだろ!姫が人を殺すなんて……そんなこと絶対にさせねぇからな!!」
隣に座っている雷蔵が竹谷の肩をそっと掴む。
「落ち着いてよ八左ヱ門。鬼化してしまったら手遅れだって言うなら、鬼化する前にどうにかするしかない。彦兵衛さん、まだ姫様が完全に鬼化するまで時間はあるんですよね?」
「左様。しかし……赤眼病を完治させる方法は見つかっておらぬ」
「それは、いったいいつの情報ですか?」
「何じゃと……?」
雷蔵の意外な言葉に彦兵衛は目を細めた。他の3人も雷蔵に視線を向ける。雷蔵は膝の上で拳を作り、彦兵衛を真っ直ぐに見つめた。
「月陰国では、まだ赤眼病についての研究が行われているとおっしゃいましたね。光陽国にいるあなたの情報では、まだ治療する方法は見つかっていないのかもしれません。でも、もしかすると月陰国ではそれが既に発見されているかもしれない……という可能性があります」
光陽国は月陰国の恐ろしい計画を見張る役目を担っている。その見張り役が赤眼病の研究を続けるはずがない。治療法もわからないままだ。となれば、研究を続けている月陰国を頼りにするしかない。月陰国は治療法を知っていても、重要機密として隠している場合が考えられる。
竹谷の目に希望の光が宿った。
「うおおお!!雷蔵!お前頭良いな!!」
「お前にそう言われちゃオシマイだな」
「何だと三郎!」
「何だよ!」
「2人とも黙ってろ」
「「ごめんなさいだから豆腐拳だけは勘弁してください」」
久々知がどこからか取り出した豆腐を見せつけると、2人は小さく縮こまって黙る。雷蔵は溜め息を吐いて彦兵衛にまた視線を移した。
「どうでしょう、彦兵衛さん?」
「それは、わしも思っていたことじゃよ。先に言われてしまうとは思わなんだが」
すると、彦兵衛はガバッとその場で頭を勢い良く下げた。額を畳に擦りつけ、4人の前には白髪頭が向けられる。
突然の行動に4人は口がポカンと開いてしまった。忍者が大嫌いだという彦兵衛が、忍者の卵である自分たちに頭を下げているのだから。
彦兵衛はそのままの体勢でハッキリと言った。
「護衛を解雇されたお前たちに、このような事を頼むのは、お角違いだとわかてっている。しかし、わしではあの御方を御救いすることができぬ。今十六夜様を失えばこの国が滅んでしまう……」
畳についた皺だらけの手が震え、爪が畳に食い込んだ。
「どうか……どうか、十六夜様を御救いください。この通りですじゃ……!わしにできることならば何でも―――」
「そんなこと、頼まれなくても助けに行くに決まってるだろ!!」
「?!」
彦兵衛は竹谷の声を聞いて弾かれるように顔を上げた。そこには、頼もしい4人の笑顔があった。
「彦兵衛さん、僕たちはそのためにここに戻ってきたんですよ」
雷蔵が、自分の胸をトンと拳で叩く。
「じゃが……、月陰国は大変危険じゃぞ?」
「そうだなぁ、危険だよなぁ。でも、姫サンはそんな危険な国に自分から行くって言ったんだ。私たちの命と引き換えに」
「十六夜姫がオレたちのために命を張ったというのなら、オレたちも同じことです。十六夜姫は、オレたちにとって友です。友を助け出すのに、ごちゃごちゃした理由なんていりませんよ」
「それに、護衛役は解雇されちまってるしな。友達として助けに行くんだったら姫も文句言えないだろ」
十六夜も、同じような理由で自分たちを助けたのだから。
「お前たち……っ」
彦兵衛の視界が歪み、胸に熱いものが込み上げてきた。年甲斐もなくそれを止めることができない。
「すまぬ……わしに力が無いばかりに……!」
「うわ!泣くなよじいさん!」
咽び泣く彦兵衛に竹谷が焦った。
「話はまとまったようだな」
突然天井から人が顔を出し、彦兵衛たちを見下ろした。驚いて見上げれば、それは4人も知っている顔だった。
「利吉さんじゃないですか!」
久々知の声を聞き、不敵な笑顔を見せると利吉はふわっと彦兵衛の前に着地した。彦兵衛はゴシゴシと乱暴に目元を拭うと、突然現れた利吉に混乱してしまう。
「お前たちの知り合いか?」
「はい。忍術学園の教師をしている山田伝蔵の息子で、山田利吉と言います」
「初めまして、山田利吉と申します」
「山田利吉といえば、フリーの忍者で活躍しているという噂の……。しかし、そのような方がいったい何用ですじゃ?」
「用があるのはこの子たちにです」
「え?」
雷蔵が首を傾げると、三郎が全て理解していると言いたげな表情で言った。
「忍術学園からの使い……そうですよね?」
「はは、三郎くんはもうわかってるか。なら話が早い。『皆、ひとまず忍術学園に戻ってくれ』と学園長からの伝言だ」
「学園は無事なんですか?!」
「そう怖い顔しなても大丈夫だよ、雷蔵くん。学園がそう簡単に攻め落とされるわけがないだろう?」
「でも、6年生は……」
そう呟いた久々知の顔が曇る。彼らの先輩である6年生は、月陰国に操られる人形になってしまったのだから無理もない。
「心配無い……と言いたいところだが、そこは確かにやっかいだね。けれど既に学園側もいろいろ考えている。キミたちも月陰国へ姫を救出するのであれば、1度学園に戻って知恵を蓄えると良い」
利吉の提案にチラッと三郎が彦兵衛を見れば、彦兵衛は深く頷いてみせる。それを見届けると、4人は利吉と共に忍術学園へ急いだ。
「―――やはり……6年生6人はそちらへ向かっていたか」
「はい。完全に操られた状態で、オレたちが呼びかけても全く反応はありませんでした」
竹谷は今回護衛を任された者の代表として、学園長にこれまでの事を報告した。
学園はあのくの一が言っていたように敵が襲撃していた。だが、6年生が暗示をかけられて攫われた以外特に被害は少なく済んだ。心配されていた下級生たちの怪我なども無かったと報告をされている。その点は心配事が減って、4人はホッとした。
「見ての通り、人的被害は無かったものの、壊れた個所の修理に皆出払っておる。学園としても体勢を整える必要がある。ヤツらがまた攻め入るとも限らぬでな」
学園長の言う通り、この庵には学園長と廊下に控えている利吉以外は大人の姿が見えない。それぞれの持ち場で被害を受けた部分を修理しているためだ。
「そういうわけじゃから、わしら学園の直接的手助けは期待せぬ方が良いじゃろう」
「元よりそのつもりです。学園も狙われた以上、あまり手薄になっては良くないですからね。城に潜入するなら、少人数で挑む方が見つかり難いですし」
「ふむ、考えておるようじゃの」
雷蔵の意見に学園長は満足そうに笑みを浮かべた。
「随分と良い顔をするようになったのぅ」
「え?どういうことですか?」
久々知が疑問を投げかけると、学園長は再び難しい表情に変わった。
「先ほどの話に戻るが、心を持たぬ6年生を目の当たりにして思った?」
4人の頭を掠めていく6年生の目。それは仄暗く、何を考えているのかが全く読めない不気味なものだった。そして、心底恐ろしい姿だと思った。
「お前たちは、人を殺め始めた学年。それ故に心は揺れておるじゃろう?けれどもお前たちは、面談の際に『相手を殺すときに何を考えているか?』という質問に対し、『何も考えていない』と答えたそうじゃな?」
「「「!?」」」
4人は学園長の言葉にお互いをハッとなって見つめた。それは、十六夜に質問されたことと同じ内容。そして4人とも答えることができなかった質問だ。
「何も考えず、人を殺す者の目を見たじゃろう?心を持たず、ただ殺戮のみを繰り返すあの目を」
「はい……」
「忍者の道は修羅……。じゃが、ただ主の命令を実行するだけでなく、心を受け取りなさい。所詮殺戮には変わりなかろうが、だからこそ心が大切なのじゃ。何も考えていない無心はやがて闇に飲まれようぞ。しかし、わしら忍者が心を伝えるには少々説得力が無い」
「だから、学園長はあの姫サンのところに送った、と?」
「そうじゃ。わしの知り合いの弟子からの手紙には、命に対してとても敏感な姫だと書かれておったのでな」
十六夜は誰も殺さないで欲しいと自分たちに頼んだ。例え自分を殺そうとしている相手にも、その考えが変わることはなかった。しかもそれは、十六夜自身のためではなく、自分たち4人が命を無暗に背負うことを心配してのことだ。
とても心優しく、脆い。
「お前たちはまだまだ勉強することがたくさんある。しっかりと学び、しっかりとその身に刻みなさい。いかにして命と向き合うのかを」
学園長の言葉に、4人は畳に手をついて深く頭を下げた。
顔をゆっくりと上げた4人に今度はニヤリと意味深な笑みを見せた。
「ふふ、それにお前たちは絶対に姫を救出しなければならない理由もあるしな」
「ど……、どういうことですか?」
恐る恐る久々知が尋ねると、抜け落ちて欠けた歯を覗かせながら学園長は笑った。
「この忍務に失敗した場合、お前たちは退学してもらうんじゃからのぅ」
「「「えええええ〜〜〜ッ?!?!」」」
4人の目玉が飛び出しそうになったのは言うまでもない。
廊下に控えていた利吉は、4人の絶叫を聞いてクスリと笑った。
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