久々知編1


竹谷が房中術の実習を行う数日前の事。5年い組の久々知兵助は学園長の庵に呼び出され、畳の上に正座をして本人が来るのを待っていた。
軽い足音が聞こえたかと思うと、戸が開いて小柄な学園長が姿を見せた。久々知は丁寧に一礼し、学園長を迎える。

「待たせたかのう」
「いいえ。それで、ご用件は何でしょうか?」
「うむ。まぁ予想しておるじゃろうが、お使いじゃ」

学園長は上座に座ると、懐から一通の文を取り出して久々知に差し出した。受け取った久々知は文の宛名を見て目を見張る。

「学園長先生、この文はオレ宛てになっていますが……」

久々知の言う通りで、文の宛名は『久々知兵助』と達筆な文字で書かれている。
普通依頼状であれば、学園長宛てになっているはずだ。それにも関わらず、この依頼状は久々知を名指ししている。

「お前にぜひ、というある武家からの依頼状じゃよ」
「オレには、武家の知り合いなんていませんけれど」
「普通はそうじゃな。わしにもその辺は良くわからんし、個人宛の依頼状の中を改めるような真似はせぬ。その依頼を受ける受けないはお前に任せよう」
「いえ、依頼は受けます」
「中身も見ずにか?」
「断れば、その後にも関わってきますから」
「流石はい組じゃのう。優秀な返答じゃ。わしが代わりに返事を出しておく。下がって良いぞ」
「はい」

久々知は学園長に頭を下げると庵から静かに出た。
自室に戻ると、風呂上がりと思われる勘右衛門が濡れた黒髪を手拭いで乱暴に拭っているところだった。

「お帰り〜。どうだった?やっぱりお使い?」
「ああ」

そう短く答えると、久々知は蝋燭に火を灯して文を開いた。
忍務は他人に見られてはいけない事になっているため、その間勘衛門は部屋の隅で本を読み始めた。

(『忍術学園付近にある遊廓の遊女暗殺依頼』……?)

久々知は依頼状を読んで首を傾げた。個人宛というだけでもおかしいというのに、内容もまたおかしい。
暗殺の依頼は確かに良くある。だが、それは城の殿だったり権力争いの相手だったりと、世間的にも重要な情報を握る人物が対象だ。しかし、今回依頼されている暗殺対象は殿でもなければ権力争いをしている家老でも無い。遊廓の遊女である。暗殺して何の得になるのかが全く想像つかない相手だった。

(遊女がどう依頼相手と関係あるのかは、別に大した問題じゃない。オレは受けた依頼をこなす。ただそれだけだ)

まだ見習いとはいえ、忍者として受けた依頼は必ず成功させる。
忍者には迷いや深く考える事は禁じられている。これ以上考えを発展させる事は止めて、文の続きに視線を走らせた。

(『殺し方は事故に見せかけて欲しい』、か。確かに遊女が暗殺されれば人の注目を浴びる事になる。武家としては目立ちたくないだろうな。方法は……とりあえず遊廓に行って考えるか)

文を畳み、久々知は蝋燭の火に当てる。文は簡単に燃え尽きて黒い墨となってしまった。

「今夜行くのか?」
「早い方が良いからな。後は任せた」
「りょーかい」

勘右衛門はへらりと笑うと、私服に着替え支度を終えた久々知に軽く手を振った。
宵の口の澄んだ空に、既に三日月が顔を出していた。





















久々知は遊廓の存在は知っていたが、実際に来るのは初めてである。
鮮血のように赤い大門が、夕闇の中提灯の明かりで浮かび上がっている。この大門こそが、遊廓という写し世とかけ離れた場所を繋ぐ唯一の入り口だ。そこを潜り、久々知は暫くの間足を止めて遊廓の様子を眺めた。
もう夜だというのに、ここには多くの人々が出歩いている。特に男たちは、どの店の女郎を買おうか浮足立っているようだ。

(何て品のない……)

遊廓の客は金のある権力者たちが圧倒的に多い。有名どころの衣装を身に纏い、懐には大量の金貨を隠しているのだろう。
しかし、どんなに着飾ったとしても、久々知には発情した猿にしか見えなかった。それと同時に、格子の向こうで誘っている女たちも同じく汚いものに映る。彼女たちの目にも、久々知の姿は金にしか見えていないのだろう。
赤い提灯が並ぶ幻想的な遊廓の光景の中、久々知は目的の女郎屋へ淡々と足を運んだ。
遊廓の中でも人気の見世―――華屋の前で足を止める。ここに目的の遊女がいる。

(まずはこの見世の内部に潜入して、見世の中を把握する必要がある)

そしてどのように目標を暗殺するのか、その機会を見計らうのだ。
客引きをしている妓夫に、遣手と思われる質素な服を着た女が指示を出していた。ふと久々知に気づいて、遣手は声を掛けてきた。

「いらっしゃい……って。あら?もしかして、坊やはお大尽かい?」
「……客に対して随分と酷い応対ですね」
「あらやだ、本当に。ごめんなさいよ。どこかのお大尽の小間使いかと思ったからさ」

謝罪している割には全く悪びれていない様子だ。それから、久々知の顔や身体をじっくりと観察する。

「アンタみたいな坊やはなかなか遊びに来てくれないのよ。珍しい。ちょっと若すぎるけれど、アンタみたいな美少年ならきっと女郎たちも喜ぶわ」
「は、はぁ……」

容姿を褒められたらしいが、久々知はそう呟くだけで精いっぱいだった。

「それで、誰かお目当ての女郎はいるのかい?」

その言葉を待っていた。

、という女郎をお願いします」

それが今回暗殺する対象の名前だ。遊廓に来た事の無い久々知は当然聞きなれない名前だった。

ね、わかったよ。あの子もたいがい人気者だねぇ。こんな坊やにも見初められるとは」

遣手はからかう様に笑うと、真っ赤な暖簾を潜って『おあがりんなるよー!』と一声掛けた。遣手の後ろについて見世に入った久々知に注目が集まる。金銀に輝く衣装を身に纏った女郎たちが頬を赤く染め、あるいは真っ赤な紅の唇を弧に変えた。久々知の方を見つめて何やら立ち話をしているではないか。
遣手の後ろについて行きながら、久々知は怪訝そうな顔をする。

「いったいなぜオレの方を見ているんです?」
「あははは、坊やが可愛いからでしょ」
「可愛いって……」

思春期真っただ中の男子である久々知からすれば、全くもって嬉しくない言葉だった。
しかし、女郎たちが目を輝かせるのは無理もない。元々金のある客は中年の男ばかりで、花魁ではない女郎たちは買われてしまえばどんなに不細工な男でも拒否する事は出来ない。だが、久々知は遊廓の客としては若過ぎる男子であり、おまけに女が嫉妬するほどの美しさを兼ね備えている。長い睫毛の下の知的な黒目と視線が合えば、女郎たちが騒いでも仕方が無い状態だ。
2階に上がり、引き付けに到着すると、案内されるままに久々知は豪華な部屋の真ん中に座る。床は分厚くて上等な深紅の敷物が引かれ、品の良い香に包まれている。

「ここで待っていておくれ。本当は初会だけなんだけれど、どうする?こっちは花代さえ貰えれば初会は無しで大丈夫だよ」

既に依頼主から料金は手配されていたため、久々知は懐から紫の袱紗に包まれた小判を無言で差し出す。少々驚いた様子の遣手だったが、『確かに受け取ったよ』と言って部屋から下がって行った。
誰もいなくなった部屋には、女郎たちの笑い声や宴会の三味線や琴の音が静かに響いてくる。
さっそく久々知は華屋の構造について思案した。

(遊廓が開いている時間帯は夜のみだったはず。昼間の方が客もいないが……、その分オレの姿も目立つ。少しの間馴染みの客になれるまで通う方が確実だな)

なるべく目立たぬように、文字通り遊女を暗殺しなければならないのだ。真面目な久々知は常に完璧に忍務をこなそうとしてきた。これからもその方針は変わらない。

失礼致しんす

凛とした声が聞こえたかと思いと、するりと金箔が貼り巡らされた襖が開き、1人の女郎が久々知に向かって床に額ついていた。遊女独特の天神髷には、べっ甲の簪がいくつも飾られていた。身に纏う赤と黒の打ち掛けが良く映える真っ白な手を揃え、久々知に礼を尽くしている。

(この作法は……)

気にかかったが、久々知は余計な思慮は不要と捨て置く。

「顔を上げてください」

恐らく自分よりも年上だろうと思われる女郎に対し、久々知は自然と敬語になった。その態度からして、他の遊女たちとは違った雰囲気であると気付いたのだ。

「あい、わかりんした」

ゆっくりと顔を上げた女郎は、20歳そこそこの大人の女だった。雪のように白い肌にはシミ1つ無く、思わず触れてみたくなる。猫のような瞳は朱色で縁取られ、筋の通った鼻筋形の下にある唇は、上質な赤い紅で濡れたように艶やかだ。口元を飾る小さなほくろがぐっと女郎の色気を引き立てている。
学園で見かける同じ年ごろのくのたまたちとは全く違う、大人の女の美しさに久々知は言葉を失った。久々知はハッとなってそっぽを向いて誤魔化す。

(いくら美しくても、相手は売女だ。この遊廓の女たちは、皆一緒だ)

だが、言葉を失ったのは久々知だけではなかった。女郎は久々知と視線が合うなり小さく口を開いたまま静止してしまう。

「…………」
「オレの顔に何かついているか?」
死神
「え?」
「失礼致しんした。何でもありんせん……」

丁寧に女郎は頭を再び下げる。

(ここへ入ったときも女郎たちがオレの顔をジロジロ見ていたな)

好奇に満ちた視線を思い出し、久々知の胸の中がもやもやと曇ってくる。

「ご指名ありがとうおざんす。あちきはと申しんす」

女郎―――はにっこりと微笑む。

(暗殺依頼をされるほどの遊女だからどんな人かと思ったが……)

特に無礼を働くようにも見えない。見るに堪えないほどの不細工というわけでもない。むしろその逆で礼儀正しく、毎日眺めていたいほどに美しい女郎だった。

「主様のお名前を聞かせてくんなんし」
「久々知兵助です」
「兵助様」

はとても嬉しそうに久々知の名前を呼ぶと、音も無く立ち上がって久々知の隣へ優雅な動きで座った。甘い女の香りが久々知の緊張をほんの少し解す。
ごく自然に寄り添ってきたが、ふと何を思ったのか身体を離した。

「どうかしましたか?」





「いえ、随分とお若い忍者様だと思いまして」





「……ッ?!」

久々知の空気が殺気立ち、全身が強張った。
全くこの展開に予想がつかなかった久々知は、思わず懐に手を伸ばそうとしてしまう。だが、殺気立つ久々知とは逆にはくすりと穏やかだった。

「落ち着いてくんなまし。騒ぐつもりなどありんせんから」
「……」

久々知は警戒したままから目を離さなかったが、彼女の言葉に嘘が無いと理解して身体の力を抜いた。

(この女……何を考えている?)

疑心を抱えたまま久々知は言った。

「なぜ、オレが忍者だと?」
「あちきは色々な方と接してきんしたが、主様のように全く匂いのしない方は初めてでありんす。大抵そういう方は、特殊なご職業ではありんせんか?」

言われてみれば久々知は意図的に自分の体臭を消してきた。忍者は密偵として自分の身分を変化させる必要がある。自分の存在を極力消すためには、匂いにも気をつけなければならない。

「主様は身分を隠そうとなさってありんす。でも、そういう方は逆に目立ってしまいんすよ」

悔しいが、の言う通りだった。久々知は遊廓という閉鎖的空間にいる女たちをなめているところがあり、足元を掬われる結果になってしまった。
素人の女にアッサリと自分の正体を見破られ、久々知は子供じみた情けない感情でいっぱいになっていく。それを察してか、は口を開いた。

「お許しなんし。はした女が余計な事を申し上げんした」
「そんな風に謝らないでください。それこそ余計に惨めです。それに、悪いのはオレですから」

の気遣いは久々知の苛立ちを加速させるだけだった。

(……、いや、これは利用出来るかもしれない)

久々知はどうしたものかと考えているに言った。

「少し協力して欲しい事があるんです」
「あちきに?」
「はい。実はオレはある忍務の途中なんです。忍務遂行のためには、この見世の構造や客の出入りを知る必要があるんです」

咄嗟に出た嘘だったが、半分は嘘ではないせいか信憑性のあるものだと久々知は思った。
忍者である事はもうバレてしまったが、それを逆に利用する方がかえって忍務を遂行出来るかもしれない。
はパッと顔を明るくして頷いた。

「あちきで宜しければ、お力になりたいと思いんす」
「ありがとうございます。助かります」

は恐ろしく簡単に久々知の提案を承諾してくれた。

(このままもっと親しくなっていけば、暗殺の機会も巡ってくるだろう)

全ては久々知の掌の上である。
は久々知の男にしては白い肌に自分の手を伸ばした。触れた個所から新たな熱が生まれ、それが心地良い。

「兵助様、敬語は使わないでくんなんし。あちきは、主様に買われた女なのですから」
「いえ……このままで」
「そうでおすか」

至近距離にあるは瞳に寂しさが滲んでいる。けれども久々知は見えない振りをして、自から果実の様に瑞々しいの唇に自分のそれを重ねた。

「んん……っ」

予想以上にの唇は柔らかく、下唇を甘噛みすれば奥へ誘うように唇を開いた。それに合わせて久々知は更に深く唇を重ねていく。入り込んだ舌に、の熱い舌が絡まってくる。

「ふ……、あ……っ」

くちゅくちゅと唾液を交換するように、久々知はの口内を貪った。これは相手を喜ばせるための演技だったはずなのに、久々知はの甘い香りと味に酔っていく。

「ん……はぁ……あ……」

久々知が口付けをしている間、は器用に自分の着物を脱ぎ捨てていった。衣擦れの音が聞こえ、久々知がようやく唇を離す。の口端から紅と混じった唾液の梯子がいやらしい。

「さぁさ、触れてくんなまし、兵助様」

頬を蒸気させているは、薄い肌襦袢越しに自分の豊かな胸に久々知の掌を導いた。自分には無い女の柔らかさが伝わってくると、久々知は身体の芯がどんどん熱くなっていくのを感じた。そのまま自然と手が動いてしまい、のふっくらとした大きな胸を揉んでいく。指がどこまでも沈んでいき、は甘い声で啼いた。

「あ……っ、や、ぁん……兵助、様……!」
「……ッ!」

声をかければこの女に負ける気がして、久々知はせめて言葉を交わさないようにしていた。しかし、自分よりも大人びた女の顔が幼く溶けていく様子を見て、久々知は息を飲み込む。そのまま心の中で舌打ちをしながらその場に押し倒した。乱暴に扱われても、久々知の下にいるは嫌な顔1つせず、むしろ微笑んで受け入れた。

「どうぞ、兵助様のお好きなように……」

そう言っては久々知の結い紐を解いた。癖のある、けれども美しい黒髪がぱさりと背中に広がるのを感じて、久々知は自分の枷を外されてしまったように錯覚する。
伸ばされたの汗ばんだ手を掴み、床に自分の手と重ねて押しつけた。ぎゅっと握り返してくるは、今まで女郎として抱かれてきたとは思えないほど美しかった。抱いているのは久々知であるはずなのに、それ以上の大きな器でが包んでいるような気がした。

(何て顔をしているんだ)

出会って僅かな男に組み敷かれ、肌を暴かれていく間もは喜びに満ち溢れているようだった。その様子は狂人に似ている。

(まさかオレが命を狙っているとも知らずに……。滑稽な事だ)

熱くなっていく身体とは逆に、久々知の頭の中は冷たく冴え切っていた。





は始終笑っている。





殺されるその瞬間も、笑っていられるのだろうか。





もしかすると、違う表情を見せるのだろうか。





そんな事を思いながら、久々知は剥き出しの滑らかなの肩に唇を寄せた。