竹谷編2


「今夜はあちきを可愛がってくんなんし」

竹谷の目の前で、は妖艶な笑みを浮かべる。黒曜石のような瞳に熱っぽく見つめられ、生唾を飲み込んだ。視線を紅がふんわり乗せられた頬から、大きく抜いた襟元から覗いている胸元に移す。ふっくらとした女性らしい胸が深い谷間であろう影を作っていた。

(綺麗過ぎる……!本当に人間なのかこの人……!?)

神の加護を受けし天女のような姿をしている。女郎であることを忘れてしまいそうになる。
一向に近づこうとしない竹谷にはパチパチと瞬かせた。

「まぁ、どうしんしたか?もっと近くに来てくんなんし。それとも、あちきはそんなに魅力がありんせんか?」
「そ、そんなことは全然無いっ!むしろさんはすごく綺麗で……!」
「ああ、あちきのことはと呼んでくんなんし。それに、敬語も必要ありんせんよ」
「じゃあ……、
「あい」

名を呼び捨てると、は重たそうな桃色の瞼を閉じる。そして、にっこりと嬉しそうに笑った。竹谷は顔に熱が集まるのを感じる。しかしなかなか正面を見ることが出来ない。

「あの」
「あい、竹谷様」
「オレのことも名前で―――」
「八左ヱ門様」
「うわっ?!」

顔を上げると息がかかるほど近くにの顔があった。すっと通った高い鼻の下にある艶やかな唇の存在に、竹谷は心臓が壊れてしまうのではないかと思った。

「可愛い方でおすえ」

白くてほっそりとした指と掌が竹谷の日に焼けた顔を包み込む。こうなっては視線を逸らそうにも逸らすことは出来ない。

(相手はそのつもりだし……、ええい!据え膳食わぬはなんとやらだ!!)

そう決心した矢先にするりとの手が離れていく。は少し後ろへ下がって竹谷を見た。

「へっ?」

思わず間抜けな声が出てしまった。の腰に手を回そうとして伸ばした手が竹谷を情けなくさせる。
は眩しくなりそうなくらい豪華な刺繍のされた帯から、折りたたまれた文を取り出した。

「さて、冗談はこれくらいにしんしょうか」
(冗談かよ?!)

その気になって先走った自分を思うと恥ずかしくなり、変な汗が出てきてしまった。

「こちらの文を読みんした。本日は学園からのご依頼で、房中術の問題を見つけて欲しい、とのことでおすね?」
「え……?あ、はい!」

すっかり実習で来ていたことを忘れていた竹谷は、冷静に目的事項を読み上げられて益々羞恥心が高まった。

「あちきは忍術学園からの依頼で、房中術の作法を生徒さんに教えんしたりしていんす。でありんすから、そんなに緊張しなくても大丈夫でおすえ」
「初めて知った……。そういうことも学園はしているんだな」
「まぁ……、大体は女の子に教えている故、知らなくてもおかしくねぇでおすえ」

つまりそれは、忍たま相手には教えたことが無いという意味に他ならない。もう竹谷は笑うしかなかった。

「大体のことは文で知っていんすが、相手がどんな子なのか教えておくんなんし」
「ええっと、小柄で結構大人しくて……真面目な感じです」
「主様とはいっそ仲が良いようでおすね」
「え……?え?!」

ただ様子を話しただけなのに、は竹谷との関係を指摘した。しかもそれはズバリ合っている。驚いて竹谷がを凝視すれば、くすっと控えめに笑う。

「どうしてわかったんだ……?!」
「八左ヱ門様を見ていればわかりんす。いっそ優しいお顔で話すんでおすもの」
「そんな顔していたか?」

ぐにぐにと自分の顔に触れながらそう問いかけると、は頷いてみせた。

「それに、どうでも良い相手ならここまで来んしたりしないでしょう?」

にそう言われ、竹谷は口を噤んだ。

「……オレのせいで彼女のことを傷つけた。もう退学は決まっちまったけれど……、でも理由が知りたいんだ。だから、の力を貸してくれ」

に深く頭を下げた竹谷。
衣擦れの音が聞こえて竹谷が顔を上げれば、再びが竹谷の頬に触れていた。そして、上質な白粉の匂いに包まれ、竹谷は自分の頬に柔らかい感触を感じた。

「うぇっ?!」

柔らかい感触。それがの唇であることに直ぐ気付いて、竹谷は再度顔を赤らめる。は至近距離で竹谷の薄い色の瞳を覗き込んだ。

「優しいでおすえ、主様は。あちきも出来る限りお手伝いしんす」
「あっ、ありがとう!!」

緊張と恥ずかしさのためか、竹谷の声は裏返ってしまった。
は竹谷にさまざまな質問をした。主に竹谷が泣かせてしまった彼女に関することである。好きな食べ物や出身地まで問いかけられ、竹谷は知っている限り全てを答えた。
しばらく質問の受け答えが続いたが、ようやく会話が止んだ。

「―――で、何かわかったか?」

するとはにっこりと笑いかけた。釣られて竹谷もパァっと明るい笑顔に変わる。しかし、返ってきたのは

「とんとわかりんせん」

というものだった。

「マジかよ?!あれだけ話したのに……」
「わからねぇものはわかりんせん。原因が見えてきんせんでおした。でありんすから―――」

と言いながらは竹谷にしな垂れかかった。女という異性の匂いに包まれ、竹谷の心臓がバクバクと音を立てた。竹谷の胸に頬を押しつけていたが、顔を上げて見つめた。妖艶な視線を向けられて竹谷は頭がくらくらした。

「あちきのことを、その子に見立てて同じように抱いてくんなんし。それが一番の近道でおす」

論より証拠とは良く言ったものだ。竹谷はその証拠を得たいものの、躊躇いが残る。

「でも……!」
「何を戸惑っておりんしょうか?」

いきなりな展開で混乱する竹谷に怪しく天女は微笑んだ。

「変な方。あちきは、ここで食べている人間でおす。そいで八左ヱ門様はここでは大尽様ではありんせんか。それとも、あちきは主様にとって役不足だすかえ?」

すると竹谷は大きな手での華奢な肩を掴んだ。竹谷の表情はの想像していたものではなかった。太くて凛々しい眉は下がり、とても寂しそうな顔が張り付いていたのである。

「あれ、どうしんしたか?」
「オレは今回止む負えない理由でここに来たけれど、本当なら誰かの代わりになんて……、道具みたいにを抱きたくないんだ。だから、自分のことを道具みたいに言うなよ」

女郎になる者は竹谷が知る限り、自分からその職に就くことはまず無い。
遊廓で生まれれば女郎になるしかない。親の借金のかたに売られた女郎も珍しくない。逃げ出そうとしても唯一の出入り口は大門だけであり、捕まれば厳しい仕置きが待っている。
遊廓の女郎たちは長生きしても27歳で、平均寿命は23歳程度である。どれだけ過酷な職業であるかは理解出来るはずだ。





道具でおすえ





は、笑顔を崩さずにあっさりと言ってのけた。

「道具を道具として扱って何かおかしいことがありんすか?」

いったい竹谷が何を言っているのか理解できない、とは首を傾げている。特に気に留めていないのその態度に、竹谷は胸の中がずしんと鉛のように重くなった。
は笑顔だ。とても綺麗で艶やかで、男を誘う女郎の目をしている。しかし、笑顔の裏側に大きな闇が存在しているように思えてならない。本人も気づいていないだけで、真実はそこに無いように思える。

(これは、何を言っても無駄な目だ……)

一夜限りと割り切るしかない。竹谷は喉奥から込み上げてくる否定の言葉を押し込んで、の背中を支えながらそっと肩を押した。逆らうことも無くの身体は布団の上に沈んだ。覆い被さる竹谷のことをはうっとりとした顔で迎えた。そして簪を自ら引き抜いて夜のように黒い髪を乱す。

「さぁ、教えてくんなんし。どんな風に抱いたのかを」
「まず、接吻を……」

竹谷がそう言うとは大人しく瞳を閉じた。長い睫毛が伏せられたのを見て、竹谷は真っ赤な紅の引かれた唇に自分のそれを押し当てた。何度か触れさせると、竹谷は舌でちろりとの唇を舐め上げた。するとはそれに応えて薄く唇を開いて竹谷を招き入れた。
唇以上に熱い口腔に舌を潜らせれば、くちゅっという唾液が混ざる水音が響く。歯列を舌でなぞり、舌を絡ませるとも竹谷の動きに合わせた。熱くて溶けてしまいそうな感覚が2人を襲う。

「んっ……ふ……」

熱っぽい吐息が漏れるのを聞き、竹谷は胸が跳ねる。鼓動が速くなっていき、の唇を吸うことに夢中になっていく。
丁寧に深く深くの口腔を愛撫していき、の竹谷を掴む手が僅かに震えたところで唇を離した。竹谷との間に出来た唾液の梯子が出来、ぷつりと切れる。

「はぁ……っ」

は大きく息を吸い込み、紅が移った竹谷の唇をすっと指先で撫でる。様子を覗うように見ている竹谷に満面の笑顔を見せた。

「口吸い上手でおすえ。ただ、そんな風にいちいち確かめねぇでくんなんし。興ざめしてしまいんす。もっと集中しておくんなんし」
「ごめん!」

自分の迷いを見透かされて竹谷は謝り、今度は大きく開いた胸元に唇を滑らせた。その瞬間『んっ』というくぐもった甘い声が耳を打ち、竹谷はぞわりと鳥肌が立った。
白く柔らかで自分にはない感触を楽しむように竹谷は吸いついた。赤く痕が次々に出来ていく。はピリッとする痛みと快感に涙をじわりと滲ませていく。自分よりも年上だというのに、竹谷はに対して可愛いという気持ちがふつふつと湧き出て来た。

「あ……んっ……は……ぁ、……っ」
「可愛い、
「ふぁっ……。そうやって相手の子も褒めんしたんだすかえ?」
「違うって。が可愛いっていう話だよ」
「ふふっ、それはいっそ嬉しいでありんす」

瞳に涙を湛えながら微笑みかけるだったが、絶対に意味が伝わっていないと竹谷は思った。
鎖骨付近に舌を這わせながら、の身体に巻き付いている帯を外す。見た目よりも簡単に外すことが出来るのはここがそういう場所だからだろう。この快楽に身を任せてしまいたいのにどうも引っかかる。

(実習のときとはまた別の緊張……だよな)

竹谷は引っかかりを取っ払うようにの襟合わせを開いた。派手な衣装の下に隠れた身体が姿を見せる。ふっくらとした豊満な胸に薄い桃色の先端が、竹谷を待ちわびているようにぷくりと膨れている。触れたら壊れてしまいそうなくらいに真っ白で肌理細やかな肌は、汗ばんで赤く染まっていた。
女郎として幾人もの男に抱かれてきた身体であるはずなのに、まだ処女であるかのような純粋な美しさがそこにはあった。男ならば誰もが触れたいと思ってしまうだろう。竹谷もまたに惑わされた1人である。

「すっごく綺麗だ……」

興奮して声が上ずってしまうも、は笑顔を崩さない。

「嘘じゃないからなっ!信じろよ」
「疑ってなどおりんせんよ、八左ヱ門様」

むきになる竹谷にはくすくすと面白そうに笑った。
この上品な笑顔を自分の手で崩してしまいたい。この色も肌も声も全て自分のものにしてしまいたいと願ってしまう。それが例えこの一時でもだ。

(……ってダメだろう!!これは実習、これは実習、これは実習、これは実習、これは実習、これは実習……)

頭の中で呪文のように唱えながらも竹谷は行為を続けた。




















激しく溶けるように熱い行為の後、裸のままで2人は抱き合っていた。汗と情事特有の匂いが立ち込める部屋では、焚き物の香りなどもはや感じられない。
熱い余韻が残る中、竹谷はに腕枕をしながら指通りの良い髪を撫でる。熱い身体が密着し、汗が滲み出るのもまた心地良い。
竹谷にとって2度目の行為だったがまだ慣れることは無かった。しかし、女の胎内に入り込んだ瞬間はいつも快楽とは別に感動があった。これだけ人の温もりを感じられて気持ち良いのであれば、好いた相手ほど良いに決まっているだろうと竹谷は思った。

(オレは男だから受ける側の気持ちはわからないけどな……)

やがて、じっと身を預けていたが小刻みに震えながら背中を丸め始めた。

……?何だ、どこか痛むか!?痛いのかっ?!」

竹谷は慌てての剥き出しの背中を擦る。また自分は何か失敗をしてしまったのだろうか。サーっと血の気が引いた。行為中、結局彼女の魅力に夢中になってしまったため酷くしてしまったのかもしれない。
これでまたダメならば、自分は一生女を抱かないと心に誓いそうになったとき、は顔を上げた。

?!」

の顔を心配して覗き込むと、いきなりは声を上げて笑い出してしまった。

「あはははははっ!!ふふ……、あはははっ!八左ヱ門様ってば……あははははははっ!」
「は……?え??な、何だよ?!」

は行為後の痛みに耐えていたのではなく、必死に噴き出すのを我慢していたのだ。しかし、慌てて心配をする竹谷に我慢できなくなったのか、ついに腹を抱えて笑い出した。

「おい、…?!」
「ごめ……なさっ、あはははは!だって……、八左ヱ門様……っ!!あははははは!!あははははっ!」

が爆笑している原因がわからずに困惑する竹谷だったが、今のの笑顔はまるで無邪気な子供のようであることに気付く。妖艶なとは別人のようだ。

(こんな顔も出来るんだな……)

の無邪気な笑顔に竹谷は内心ホッとしていた。
笑い過ぎて涙を浮かべていただったが、ようやく治まったようで溜まった涙を拭った。

「八左ヱ門様、何の問題もありんせんよ」
「…………へ?あっ!実習のことか?!」

一瞬が何を言ったのかわからずに竹谷の思考は止まってしまうが、すっかり抜け落ちていたことを思い出す。ゆっくりとと一緒に起き上がり、向かい合う。剥き出しのままの肌に竹谷との情事で出来た幾つもの赤い華が映える。目のやり場に困るので竹谷はふわりと脱いだ打ち掛けを、裸のままでいるの肩に掛けてやる。
竹谷は大丈夫だと言うに困惑した。

「え、だけど別にオレ特別に何かしたわけじゃねぇし、むしろ……その……、色々夢中になっちまって……」

顔を赤く染め上げて語尾を小さくしていく竹谷にはまた笑った。汗ばんだ顔が年齢以上に幼いものへと変わり、竹谷の心臓は再び強く脈打ち出す。

「あい。ほんに大丈夫でおす。八左ヱ門様は、いっそ優しくあちきを抱いてくださいんした」

竹谷は何度もを気遣って愛撫以上に頬や手に口付けを繰り返した。いくら女郎だと言っても、竹谷にはを適当に扱う事など出来なかったのである。

「だけど……、問題が無いならどうして……」

彼女は竹谷に抱かれた後に泣き出してしまったのだろうか?
腕の中にいるの顔は幼子ではなく元の女郎に戻っていた。釣り上がっている黒曜石がこちらに凛とした視線を送っている。

「それは本人に聞いてみるのが良いでありんしょう」
「それは―――」

『出来ない』という言葉をはそっと自分の手を竹谷の口元へ当てがって塞いでしまう。

「八左ヱ門様、ちゃんと会って話してみてくんなんし。きっと、相手の子も話してくりゃると思いんすから」
「……は、もう理由を知っているんだな」
「あい。けれどあちきが話しても意味がありんせんので」
「そうか……」

は原因が何であったのかを教えたわけじゃない。けれども、竹谷はなぜだかの言う事が真実であるかのように思えた。男を惑わすばかりと思っていた妖艶な顔も、今では温かく安心出来るものへと変わっていた。

を散茶にしておくなんて……、この店のヤツは頭がおかしいのか?)

竹谷は手早く着替えると、傍に落ちていた自分の結い紐をでボサボサの髪を束ねた。きゅっと結び終わると竹谷はに向き直る。

、オレ学園に急いで戻って聞いてみることにするよ。お前の言う事を信じる。色々ありがとうな」
「ふふ……。いってらっしゃいませ、八左ヱ門様」
「ああ、行って来る!!」

竹谷はニカッと太陽のような笑顔を見せた。夜の遊廓には全く似合わない、裏表のない太陽のような笑顔には呆気に取られてしまった。そして部屋を出て行き、が布団の上に残された。
竹谷が掛けてくれた真っ赤な打ち掛けに手を伸ばして触れる。そこに竹谷の温もりを感じるような気がして、は何度も撫でた。

(……もうここに来ることも無いでありんしょうけど、八左ヱ門様は面白い方でおすえ)

瞳を閉じては情事中の熱い彼の視線を思い出す。真っ直ぐで、思わずこちらが目を逸らしてしまいたくなるくらいだった。全てを知りたいと訴えてくる眼差しは、にとって毒だった。けれども、その優しい毒に一瞬でも侵されてみたいと思ったのも事実である。





他人に興味を持ったのは何年振りだろうか?





あんなに声を出して笑ったのは何年振りだろうか?





自分のことを道具みたいに言うなよ。





(太陽はこんな暗いところにいたらいけんせんね)

やはり太陽には朝の明るい空の上にいなくてはならないのだ。

「そうでありんしょう……?由親様……」

口角を上げるの問いに、答える者は誰もいなかった。