主人公編5


この部屋は既に敵に囲まれているかもしれない。気配に敏感なはずの久々知が、背後に迫る暗殺者の姿に気が付いておらず、間違いなくプロだと推測された。

(兵助様を護らなくては……っ)

しかし、下手に動けば、即座に2人共殺されるだろう。機会は一度だけだ。
は咄嗟に、深い口付けをしている久々知の唇に噛み付いた。鋭い痛みと血の味に驚き、久々知はハッと我に返る。向けられている静かな殺気に気づくと同時に、暗殺者が襖を素早く開け、複数の手裏剣を目掛けて打った。毒が塗られている手裏剣は、橙色の小さな灯りの元で怪しく煌めく。

「くっ!」

久々知はの肩を掴んで打掛けを剥ぎ取ると、振り向き様に真っ直ぐ飛んでくる手裏剣に向かって大きく振った。風が起き、ボッと灯りが消えて闇が支配した。手裏剣は打掛けに絡め捕られ、床に重い音を立てて墜落する。
間髪置かずに次の手裏剣が構えられたが、久々知がそれを許すはずがない。久々知は懐に隠し持っていた手裏剣を男の腕に向かって2つ打った。闇の中だったが、この狭い座敷で逃げ場など無い。だが、鈍い金属音が2度響き、その後床に手裏剣が突き刺さった。

(鎖帷子か……!)

忍装束の下は万全の準備がされていたらしい。これでは敵に傷を負わせられない。
ようやく暗闇に目が慣れてきた。久々知との目の前に立ち塞がる暗殺者は、小柄ではあるが狭い座敷では有利に働く。油断の出来ない相手だ。
敵はまず面倒な久々知を片づける事に決めたようで、苦無を握り締めて突っ込んで来た。久々知はを突き飛ばして部屋の隅へ逃がす。それから向かってくる敵に苦無で応戦した。金属が擦れる音が数回鋭く鳴る。暗殺者が大きく薙ぎ払い、久々知は苦無で受け止めるのがやっとだ。

(今のうちに、あちきはお座敷から出て助けを―――!?)

の部屋は見世の端に位置している上、本日もまた大名が見世を貸し切っている。たちが多少騒いだところで助けなど来ない。座敷を出て助けを求めなければ、この状況は打開出来ないだろう。
そう判断してが立ち上がったとき、久々知を追い詰めていた暗殺者が再び手裏剣をに向かって打った。

さん!」

久々知は間一髪のところで手裏剣を苦無で弾き飛ばした。暗闇に火花が散った。
天井に手裏剣が突き刺さるのと同時に、暗殺者は久々知の苦無を握っていた手を掴んだ。捩じるように手首を回せば、久々知の手から苦無が落ちる。無防備になったところを、暗殺者が逃すはずがない。そのまま一気に勝負を決めてしまおうと、苦無を喉へ突き立てようとした。けれどもここで久々知はもう片方の手から隠し持っていた寸鉄を素早く握り、横一線に薙ぎ払う。

「っ!」

暗殺者が息を飲み、バッと飛び退いた。頬には久々知がつけた掠り傷が浮かんでいる。
久々知は体勢を立て直してを背後に隠し、構えを崩さない。ようやく暗殺者の男が言葉を発した。その声には、何の感情も伝わってこない。

「どけ、小僧」

たった一言。それにも関わらず、冷たく久々知とを縛り付けるようだ。
ピリピリと張りつめた空気が座敷内をを支配する。時間が止まってしまったように感じられた。
だが、そのとき―――





姐さん?」





姿を見せたのは、に良く懐いている新造だった。

姐さん、どこにおりんすか?」

この場に相応しくないきょとんとした声で暗闇の座敷を覗き込み、不思議そうな表情をしている。どうやらを大名たちの宴会に呼び出しに来たようだ。
は瞬時に顔が青くなった。久々知が『しまった』と言う前に、新造は暗殺者に腕を引かれて後ろから抱き込まれると、そのまま首元にひやりとした冷たい刃を宛がわれた。

「騒いだら殺す」
「ひっ?!」

新造は状況が理解出来ず一瞬叫ぼうと口を開いたが、あまりの威圧感に身体が硬直してしまう。血の気が引いていき、ようやく自分がどういう場面に立ち入ってしまったのかを大体把握した。ガチガチと歯を震わせて、に涙を浮かべながら視線で助けを求めている。は歯痒くて仕方が無かった。
背中を這うような低い声で、ゆっくりと暗殺者は言う。

「取り引きだ、女郎。この娘を助けたければ、これで喉をかき斬れ」

投げて寄越したのは小刀だった。

「そんな事させられるわけ―――」
「小僧は黙っていろ」
「いやぁ……!」

暗殺者は娘の首へ苦無を僅かに傾けた。新造は涙で顔をぐちゃぐちゃにしている。

(考えろ!この場をどうにかする方法を!)

人質を取られている今、久々知が取れる行動はあまりに少なかった。助けを呼ぶにしても、攻撃を仕掛けるにしても、その瞬間に新造の命は失われる。それでが助かったとしても、が喜ぶわけがなかった。

(どうしてオレには力が無いんだ……!!)

久々知はぐっと拳を握り、悔しさで歯を喰いしばった。

「早くしろ。オレは気が短い」
「………わかりんした」
さん!?」
「貴様は動くな」
「く……!」

見せつけるように新造へ苦無を突きつける様子に、久々知はもはや打つ手が無い。
は落ちた小刀を拾うと鞘を抜く。鋭利な刃物がこれからの白い首元を赤く彩る事になるのだ。ぐっと握り、自らの首へ狙いを定めた。
は怯えている新造に優しく微笑みかける。

「ごめんなんし。直ぐ終わりんすから」
「ね……姐さ……っ」

これから起きようとしている事に、久々知はぞっとして口を開く。

さん、あなたの命はオレのものです。そんな事、したらダメだ!」
「兵助様、あちきは何の心配もしておりんせんよ。きっと、必ず……」

それから久々知に身体を向ける。が真っ直ぐに向けた視線には、どこにも不安は感じられなかった。





「でありんすから、」





が初めて見せる、強気の笑顔。





信じて





その刹那、突如として天井の一部が派手な音を立てて崩落した。埃が舞い上がって何が落ちてきたのかがわからない。霞む視界の中、に向かって人影が起き上って駆け寄ってきた。その人物は、が待ち望んでいた姿だった。

!無事かっ?!」
「八左ヱ門様!」

が歓喜の声で名前を呼ぶと、ハッとして久々知が混乱して隙を見せた暗殺者の手に手裏剣を打った。

「うぐっ?!」

ドッと突き刺さった手裏剣の痛みに呻く声がする。自分を拘束していた腕が緩んだところを、新造は我に返って抜け出した。そのままに体当たりするように抱きつくと、安心したのか気を失ってしまう。流石に人質に逃げられて焦った暗殺者が声を荒げた。

「ま、待て!っう……これ、は……!?」

ぐにゃりと歪んだ視界に、暗殺者が足元をふらつかせた。そして、そのまま俯せになって倒れて動かなくなる。
久々知が疲れたように息を吐き、既に意識を失っている暗殺者にこう言う。

「安心しろ。ただの睡眠薬だ」
「それって、伊作先輩特製の?おほー!超強力―――って、そうじゃねぇよ!、大丈夫か?遅くなっちまって本当に悪かった」
「あちきは何ともありんせん。八左ヱ門様が来てくださると信じておりんした故」
……!」

は眠る新造を優しく横たえると、改めて壊れた天井を見上げた。暗がりで良く把握出来ないが美しい花の模様が描かれていた天井も、これでは見る影もないだろう。

「八左ヱ門、どうして天井から落ちてきた?」
「そうだった!正確には、落ちたんじゃねぇよ」

八左ヱ門は携帯型の火打石を取り出し、転がった燭台を拾って火を灯す。すると、竹谷が落ちてきた天井の下に、全身真っ黒な装束の男―――暗殺者が伸びているではないか。竹谷はの座敷に向かうところで鉢合わせ、倒したのだろうと推測される。

、兵助、詳しい話は後だ。とにかく、この見世はもう暗殺者で囲まれている。これ以上ここにいるのは危険だ。早く外に―――」





「その必要は無いぞ」





「「?!」」

音も無く背後に立っていたのは30代後半と思われる中年の男だった。背が高く、ごちゃごちゃと派手な模様の描かれている着物を肌蹴させて、気怠い雰囲気を醸し出している。無精髭を生やしているが、どこか色気を感じさせるその男の登場に、竹谷も久々知もを庇って得物を構えた。

(いつの間に背後に……)
(何だよこのオッサン!妙に隙がねぇ……!)

警戒する2人を余所に、男はマイペースで火毛氈の上に先の戦いで転がった障害物を避けつつ、崩れた天井の元へひょいひょいと歩み寄った。

「あ〜あ、こんなに壊してくれちゃって」
「アンタ何者だよ?いきなり現れて―――」
「親父様……」
「「!?」」

の言葉に2人は驚いた。に『親父様』と呼ばれる人物はただ1人しかいない。

「このチャラチャラしたオッサンが、楼主!?」
「オレの思っていた楼主とは大分違うのだ」

2人の想像していた楼主とは、威厳があってもっと歳を取っているものだった。そのギャップに戸惑いを隠せない。

「おいクソガキ共、言葉はちゃんと選んで使えよ」
「親父様、『その必要が無い』とはどういう意味でありんしょう?」
「あー。この見世をうろうろしてた変質者は、もう見世の奴らが全員倒した。ま、ちぃっと骨は折れたけどよ」
「ぜ、全員倒した?!」
「プロの暗殺者を……?!」

見世にいる男衆たちは用心棒を兼ねている事もある。しかし、所詮は素人に毛が生えた程度のものだ。普通プロにかかればひとたまりもない。何人も送り込まれてきたであろう暗殺者を、そんなにアッサリ何でもないように言う事が出来ようか?

「そう、全員だ。お前たちを除いては、な
「「?!」」

楼主と同じく、音も無く男衆たちが素人とは思えない動きで座敷にあらゆる場所から突入してくる。あっという間に3人は取り囲まれてしまった。
は苦い顔をして楼主を見つめる。

「このガキ2人を別室に繋いでおけ。散茶女郎の命を狙う不逞の輩だ」
「お待ちくださいなんし、親父様……!この方たちは―――」
「遊郭騒乱罪は甘くねぇよ。他の見世の連中に舐められるし、大尽たちにも迷惑かけちまったからな。ここへ身を置くお前なら、よぉくわかっているよな?

にっこりと笑う楼主に、もはや何も通じない。は喉奥まで出かかる言葉を飲み込むしかなかった。

(これ以上反論や抵抗をしても―――)
(さんの立場が悪くなるばかりだ)

2人もそんなを見て、抵抗は無意味と知り、得物を手放す。
こうして、2人は見世の別室で拘束される事になった。