の部屋は水を打ったような静けさに包まれていた。
は竹谷の隣で寄り添い、自らの過去を紐解いていった。
「あちきは……、武家の出でありんした」
「武家の……?!」
竹谷の言葉にはゆっくりと頷いた。
「武家の中でも位が高い家でありんしたが、徐々に衰退していんした」
武家と女郎など、全く無縁の立場である。
「あちきの母は側室で、あちきの他に7人の子供衆がいんしたけれど、皆女子でありんした」
「えっ、皆女だったのか?」
「あい。正室の子共衆も」
「女ばかり……」
こうなると、跡取りが難しくなる事は容易に想像出来た。
跡取りがいなければ、家は衰退し、潰されてしまう。
「母は、他に好いた方がおりんした。けんど、母の実家は格下でありんしたので、縁談を断る事など出来んせん。母は無理やり父と結婚させられたんでありんす」
「好きでもない男に嫁がされるなんて……。そういう世界じゃ当たり前なのかもしれねぇけど、何か許せないな」
まるで、相手を選ぶ事が出来ない女郎のようだと竹谷は思った。
「母はあちきが物心つく頃には、壊れてしまっていんした。そいで、それが原因で亡くなりんした」
「そうか……」
「結局一族では男子を儲ける事が出来ず、何か呪いでもかけられているのじゃありんせんか、といわす噂さえ流れんした。あの頃は……家の中は常に針のむしろにいるような雰囲気でありんしたね」
子供は生まれても、全て女。望まれた子供が誕生せず、側室や正室はもちろんの事、家はただならぬ雰囲気だっただろう。幼いの気持ちを考えると、竹谷の胸は強く痛んだ。
「心を病んでいた母は、好きじゃありんせん男の子供衆であるあちきに、憎悪の念しか抱いていなかったでありんしょう。まことに可哀想な方でありんすえ」
は周囲の期待に応えられなかったせいで痩せていった母の手を思い出し、自分の手を擦る。
竹谷がハッとなり、眉間に深い皺を作って声を大きくした。
「まさか、女ばかりだったからお前を捨てたのか?!この遊郭に!?」
望まれていた男児ではなく、女児ばかりで手に余り捨てられたのだと思った竹谷は、怒りに拳を作る。けれどもは首を横に振って否定した。
「いいえ。前にも申しんしたが、あちきは自分でこなたに来んした」
「あ、あぁそうだったな」
到底竹谷には納得出来ない理由ではあったが、確かにそんな事を言っていた。
「あれ?でも、食べていくんだったら別に女郎屋じゃなくたって良いじゃないか。芸事も勉強も出来るだろ?」
女郎にならずとも、生きる方法はいくらでもあったはずだ。それなのに、は自分で女郎の道を選んだと言う。
「……八左ヱ門様は」
「えっ?」
は俯いて静かに問いかける。
「八左ヱ門様は、親に触れられた事はありんすかえ?」
その質問は、まるでが1度も親に触れられた事が無いように聞こえる。何も答えられず、竹谷はただ呆然としてしまった。
「あちきは、母にとって好きな相手の子供衆ではありんせん。父も、女であるあちきには見向きもしんせんでありんした。でありんすから、あちきに触れなかったとしても仕方ありんせん。
けんど……」
ここまで言い、は諦めに似た溜息を吐いた。
「あちきは、馬鹿みたいだと思われるかもしれんせんが、触れて欲しかったえ。必要として欲しかったんでありんす。あちきは太夫にはなりたくないと親父様に頼みんした。散茶の位ならば、どなたもがあちきを愛し、求めてくれんすから」
「それはっ!それは違う。本当にが欲しいと思っているものじゃない!」
「同じ事ではありんせんか?」
「違う!!」
薄く微笑みを浮かべて、は何でもないように言い放つ。それを目の当たりにして、竹谷は悲しくて悔しい気持ちが駆け巡った。
「……暫くして、一族は養子を迎え入れる事にしんした。それが、あちきの弟でありんす」
「弟……。さっき言ってた、兵助に似ているっていう?」
「あい。似ていんす、あの子に。あの子はあちきを真の姉のように慕ってくれていんした。あちきも、素直で優しいあの子が好きでありんした」
弟を想うと、は自然と優しい笑みが零れる。美しいの笑顔に、竹谷の心はほぐれていく。
「あの子が養子になって1年ほどしか一緒にはいられんせんでありんしたが、それでもあちきはあの子との日々がえらい楽しかったでありんすえ。でも……、周りはあの子を受け入れられんせんでありんした。一族は血を重んじて、一族の血を引かないあの子に辛く当っていたんでありんす。何も悪い事をしていない小さなあの子に、いつなるときも……」
余所から来た者はあまり歓迎されないのであろう。
「特に母はあの子を受け入れられず、何かあると折檻されていんした。あちきは力無いばかりに、あの子を護る事は出来んせんでした……」
好きでも無い男の子供を産み続けたというのに、女ばかりだからといって他の子供を養子にしたとなれば、黙っていられるわけがない。
「それは、お前のせいじゃない。は弟に優しくしていたんだろ?きっとそれで弟は救われていたはずだ」
「そうで……ありんしょうか……」
弟の姿を思い出しているのか、遠くを見るような目をしたがポツリと呟く。
「役に立たないあちきは、家を出されんした。あの子はあちきの思いんすに、何も知りんせんでありんしょう」
「家を出たのはの意思じゃない」
「あちきの意志ではありんせんが、家に戻ろうとは考えんせんでありんした。あちきのそれは意志でおす。あちきはあの家に、あの子を捨てたのでありんす」
「そんな事……!」
「捨てたのでありんすよ」
首を振って、は頑なに竹谷の主張を認めようとしなかった。
「あちきはあの子を捨てんした。例えあちきに真に欲しているものがあったとしても、あの子を想うと手を伸ばす事は出来んせん。あちきが、あの子の手を振り切ったのでありんすから……」
スッと伸ばした手を引っ込めようとしたところで、竹谷は細いの手首を掴んだ。強く掴まれて驚き瞳を見開くを引き寄せ、竹谷は腕の中に閉じ込めた。触れたところから熱が生まれる。
「」
「あい」
「オレは弱いから、ずっと伝えられなかった言葉がある」
「何で、ありんしょう?」
ある条件を満たすお大尽様には、抱かれねぇと決めているのでありんす。
条件って何だ……?
心から、あちきを愛してくださる方でおす。
「オレは、お前を愛してる」
は竹谷の言葉に目を丸くしていた。
ずっと同情されていると思っていたから。
「…………良いのでありんすか?あちきは、もう、主様には……」
竹谷はそっと身体を離し、の華奢な肩を掴む。向き合った竹谷は穏やかに、けれども強い意志を持った顔をしていた。
「が好きだから、怖くても伝えなくちゃならないって思った。嫌われても、言わなくちゃならないときがある。それが今だ。に会えなくなるよりも、気持ちをずっと黙ったまま会う方が辛い。みたいに欲している気持ちを抑えつけていたら……」
愛されたい。
愛されたくない。
「八左ヱ門様、どこへ?」
立ち上がった竹谷にが呼びかける。
「、オレは一度学園に戻って、兵助と争ったりしないように知恵を借りてくる。何とか兵助がお前を暗殺しなくても良いようにな……」
屈んで竹谷はの真っ白な肌に触れる。
「必ずまたここに戻るから、戸の鍵を開けて待っていてくれ。そのときに返事を聞かせて欲しい。手を伸ばすか振り解くかはお前に任せるぞ、」
「八左ヱ門様……」
二カッといつもの顔で笑う竹谷。判断はに委ねる事にした。
少し心細そうにが問いかける。
「兵助様がこなたへいらっしゃったら……どう致しんしょう?」
竹谷がいない間に、久々知がまたの命を狙ってくるかもしれない。ではとても太刀打ち出来るわけがない。
竹谷は少し間を開けたが、真剣な表情で答える。
「……アイツをオレは信じている。を殺したりなんかしないって。だって、兵助はオレが知っている兵助のままだと思うから」
「そうでおすか。では、あちきは八左ヱ門様のお言葉を信じる事に致しんしょう」
「じゃ、行って来る」
「あい、お気をつけておくんなんし」
竹谷には三つ指をついて丁寧にお辞儀をした。凛とした立ち振る舞いと笑顔に、竹谷は再び抱き締めたい衝動にかられるが、ぐっと堪えて部屋を出る。竹谷に迷いや不安は無かった。
再び静けさが戻った部屋に、は1人残された。
竹谷の笑顔が脳裏に焼き付いている。初めて出会ったときと同じ感情が湧き出てきた。
「やはり、主様は太陽のような御方でありんしたなぁ」
つくづく夜の似合わない少年だと。
だから言えなかった。
これ以上暗闇を纏う言葉を、は吐けなかった。