主人公編1


月明かりに照らされ、ぼんやりと白く浮かぶ3人は、この状況に動く事が出来なかった。
なぜここに竹谷がいるのか?
なぜここに久々知がいるのか?
久々知も竹谷も、驚きの感情で頭がいっぱいだった。
竹谷の背後に庇われているがパキッと割れた鏡を踏み付け、竹谷も久々知もハッとなる。お互い呆然と見つめ合っているだけだったが、久々知が素早く立ち上がって竹谷とから距離を取った。

「兵助!お前、いったい何でここにいるんだ?どうしてを……っ」
「それはこっちの台詞だ、八左ヱ門。なぜお前がここにいる……!?」

言いたい事をぶつけ合いながらも、お互いに警戒を解かない。竹谷の背後で困惑した表情のが、ぎゅっと竹谷の腕にしがみ付いているのを見て、久々知は思わず目を逸らした。

「お2人は……、お知り合いでありんすか?」
「……兵助は、オレと同じ忍術学園の生徒だ。それで……、友達だ……」
「…………」

『友達』という単語に久々知は押し黙る。それは肯定の意味であると、は理解した。
久々知は懐から手裏剣を取り出して構える。その態度に竹谷は咎めるように名前を呼んだ。

「兵助っ!」
「そこを退け、八左ヱ門。その女は、オレの依頼主が暗殺を依頼してきた対象だ。忍務は絶対……、例外は認めない!」
「暗殺、だって……?!」

とんでもない事を口走った久々知に、竹谷は更に驚愕した。遊女を暗殺して、いったい何になるのか?だが、今はそんな事を考えている場合ではない。
久々知の性格を考えれば、忍務を放棄させるのは難しいだろう。しかし、だからと言って、竹谷にはが殺されるのを黙って見ていられるはずもない。

(……そうだ!)

竹谷は咄嗟に久々知に言い放つ。

「オレは……っ、を護衛する忍務でここに来ている!だから、オレはここを退かない!」

忍務がいかに大事であるかを理解している久々知には、竹谷の言う事も納得出来るはず。竹谷は祈るように久々知を見た。

「八左ヱ門様……」

それが嘘である事をはわかっていたが、ここは竹谷に従うと決めて久々知を見つめる。久々知は一瞬戸惑いを見せ、手裏剣を持つ手を震わせた。そして、素早く手裏剣を懐に仕舞うと、竹谷たちを背にして障子を開け放った。月明かりが益々この部屋を白く照らし出す。久々知の頬の傷も白く浮かび上がった。
振り返った久々知の顔は、竹谷とにもわかる程、苦々しいものだった。

「兵助!!」
「…………」

呼びかけには答えず、久々知はそこから飛び降りて闇の中に消えて行った。竹谷は窓枠にしがみ付いて後を追いかけようともしたが、の存在に後ろ髪を引かれて断念した。
改めての身体に傷が無いかを確認する。

、怪我はしていないか?どこか痛いところはあるか?」
「ありんせん。それより、兵助様が……」
「……なぁ、は兵助を知っていたんだな」
「あい。兵助様は、忍務のため、あちきの元へ通っていたのでおす。それがどんな忍務でありんしたかは知りんせんが……。八左ヱ門様のお友達の方だったとは……」

恐らく暗殺忍務を実行するため、に客として近づいたのだろう。想像は容易に出来た。

「ややこしい事になっちまったな」

久々知はを殺したい。
竹谷はを護りたい。

「女郎なんて殺して、何がどうなるっつーんだよ……」

そもそも忍務の内容に疑問を抱く。少しくらい遊郭で名が知られているとはいえ、は散茶女郎だ。殺して何がどうなるのかなど、竹谷には見当もつかない。
先ほどまで珍しく笑顔以外の表情を見せていただったが、今は僅かに微笑みを浮かべている。

「そうでおす、八左ヱ門様。あちきたち女郎が死んでも、何がどうなるわけではありんせん。あちきが死ねば、兵助様の心は晴れるといわすものでありんしょう。八左ヱ門様も、こなたへ通わずに済みんす。兵助様と争う事も―――」
「な……っ?!バカな事を言うなッ!!」

竹谷は力任せにを自分の腕の中へ閉じ込めた。芳しいの香りが竹谷を包み、愛しさが募る。

「自分が何を言ってるかわかってるのか?!死ぬだなんて、2度とそんな事を言うなよ!」
「……あちきは、兵助様になら殺されても構いんせん」
「!?」

の一言に、竹谷の心臓が跳ねた。
今まで命令に逆らったりしてこなかったが、そのような事を言うとは思わなかった。

「……お前は、兵助が好きなのか?」

殺されても構わないなど、普通の感情ではありえない話だ。
向き合ったは、クスっと困ったように笑う。

「あちきは、どなたでも愛していんすと申し上げんしたが?」
「兵助が好きかと聞いている」

観念したのか、は少し俯いて睫毛を伏せた。しばしの沈黙の後、紅の引かれた唇を開く。

「あの方は、良く似ているのでありんす」
「いったい誰に……?」

は竹谷の問いに、以外な言葉を口にした。





あちきが捨てた、弟に




















久々知は遊郭の大門を潜り、ひたすらに忍術学園を目指して走っていた。汗が目に入り、頭巾を乱暴に取って拭う。髪を振り乱しても久々知は足を止めない。

「はぁ……ッはぁ……っ……!」

竹谷があの場に現れたのは予想外で、あのタイミングで竹谷に出会うなど、久々知は想像もしていなかった。





オレは……っ、を護衛する忍務でここに来ている!だから、オレはここを退かない!





(嘘だとわかっていても、今回ばかりはアレに助けられた……)

竹谷が言っていた事は嘘だとわかっていた。もしそれが本当なら、常に天井裏にでも隠れて見張っていた事だろう。けれども、久々知は竹谷の嘘に乗っかり、身を引く事が出来た。
大名たちが見世を貸し切っていたお陰で、あの部屋での騒ぎは気づかれずに済んだだろう。
疲労で足がもたついてきた。流石の久々知もこれ以上は走れないと、街道沿いに立っている木に手をついた。汗が額から流れて頬を伝い落ちる。身体が熱く燃えるようだった。

「はッ、はぁっ、は……!」

肩で息を吐きながら、久々知は部屋にいた竹谷との光景を思い出していた。
竹谷の背中に護られている
竹谷にしがみ付き、竹谷を頼る
奥歯を噛み締めて、久々知は拳を握る。それを木にぶつけてやり場のない感情の高ぶりを振り払おうとした。それでも、を想うと黒い感情が湧き上がってくる。止められない。





世話になった人がいるんだよ。だから何かお礼がしたいんだ。





今ならわかる。あのとき竹谷が言っていた年上の女が誰だったのか。

(あの人は、八左ヱ門の事を……?)

脳の奥がじりじりと痛み出し、黒い感情は広がるばかりだった。