久々知編4


どんなに忙しくても、委員会活動は欠かせない。火薬委員会の委員長代理として、久々知は火薬の在庫数を薄暗い蔵の中で数えていく。そして1つ1つ丁寧に確認すると、リストにチェックを入れる。
火薬委員会自体が地味だが、この作業はとても地味だ。ついでに言うと、とても面倒である。だが、久々知は基本を大事にする真面目な性格なので、こういった地道な作業でも黙々と続けられる。
ところが、だ。

「久々知くーん、大丈夫?」
「……何が?」

久々知の横で同じく作業をしていたタカ丸が、眉をハノ字にして顔を覗き込んでいる。手元を見れば、久々知の半分もリストが白紙だった。見なければ良かったと、久々知は思った。
タカ丸が視線を少し泳がせた後、言い難そうに久々知のリストを指さした。

「これ……、先々月のリストだよね?」
「?!」

タカ丸の思わぬ指摘に、久々知は自分の手元を見た。リストはタカ丸が言う様に、先々月の火薬の数と名前がズラッと並んでいる。どう見ても今月分ではなかった。
リストをぐしゃっと握り潰し、久々知の両手がリストを握ったままブルブルと震えている。タカ丸は久々知の普通らしからぬ様子を目の当たりにし、どうすれば良いのかわからずあたふたするだけ。
久々知はようやく事実を受け入れられたのか、両手を力を緩めてリストを折り畳んだ。自分の失態に呆れて深い溜息を吐いた。

「すみません……」
「久々知くんがミスするなんて珍しいよね」
「そうですか?誰だってミスをしますよ。オレも例外じゃない」
「何か心配事でもあるの?1人で悩んでいたらダメだよ」
「いや……。もう気にしないでください」
「でも―――」
「久々知先輩!」

タカ丸の言葉は、走って来た伊助によって遮られた。久々知は話題を切り替える事が出来て内心ホッとした。

「伊助、遅かったな」
「は組の授業が長引いてしまって……。それと、これを久々知先輩に渡すようにと、学園長先生に頼まれました」
「文箱……」

伊助から差し出されたのは、細長い箱だった。貴族などが使っている上質な文箱である。漆に繊細な金の蒔絵がびっしりと貼り付けられており、使用するのがもったいないくらいの輝きを放っている。
これは、送り主の財力と権力を物語っているに他ならない。伊助もそれを感じ取っているのか、落ち着かない様子である。

「ありがとう、伊助」
「いいえ!とんでもないです。すごく綺麗な文箱ですね」
「そうだね〜。僕もこんなに豪華なものは初めて見たよ」
「そうだな、あははは……」

久々知は引き攣った顔で笑うしかない。伊助から受け取った文箱を自分の背に隠し、ズルズルと焔硝蔵の入り口まで移動した。

「2人は作業を続けていてくれ。オレは用事を思い出したから。宜しく頼む」
「わかりました!」
「はーい」

久々知は焔硝蔵を飛び出し、周りに誰もいない事を確認して今は使われていない空き部屋へ入った。埃っぽい空気が舞い上がり、思わず咽てしまいそうになる。

(学園長先生は何をお考えなんだ……!こんな目立つ文箱を昼間から人伝いに渡すなんて……!)

後で伊助とタカ丸が、この文箱の中身について知りたがる姿は容易に想像出来た。
気を取り直し、文箱を開けると、久々知の予想していた通りの相手からの文が入っていた。それは、久々知に遊女の暗殺を依頼主からである。文箱と同じく、文に使用されている紙もまた上質だ。
中身は読まずとも想像出来た。いや、もはやそれは確信である。

「催促、か……」

遊女の暗殺を請け負ってから、一応期限内とはいえ、しばらくの時間が既に経過していた。詳しい報告書も書かずにいる事を、向こうもおかしいと感じているのだろう。

(オレは何をしている?早く依頼を済ませなければならないのに、いつまでこうして……)

についての情報を、向こうに送らなくてはならない。だが、久々知は一通も送っていない。

(殺せる機会も、今思えば何度かあったはずなのに……)

見世の内部を探り、に取り入るのはもちろんだが、あくまでもそれは目的ではなく手段。本来の目的は、を暗殺する事だ。それにも関わらず、忍務を意識する事はあっても暗殺する機会を探さなかった。と話をしているときは、それすら忘れた。
脳裏に浮かぶは、艶やかな深紅の花のように美しかった。痘痕だらけの醜い男に抱かれているときも、無礼を働いた久々知にも、嫌な顔1つ見せなかった。常に目元を細め、柔らかく微笑みを浮かべている。そんな顔ばかりが、久々知の知るだった。だが、艶やかなの事を思うと、沸々とした怒りが胸の中に湧き上がってくる。

(どうしてイライラしなければならないんだ。まだ期日はあるだろう……?)

確かにまだ時間はあった。焦りとは違う苛立ちは、また違う理由があるのではないだろうか?そう思い直した途端、自分でも想像しなかった理由が浮上してくる。

(……まさか……、情に流されているのか……?)

に近づいたのは、を油断させて殺すためだ。情に訴えかけるつもりで、逆に自分がに対して情を抱いているのだろうか?
久々知は大きく首を振って俯いた。ぎゅっと閉じた目を開けば、長い黒髪が視界の殆んどを覆う。

(ありえない!相手は見世に身を置く女だ。何より、オレが始末しなくてはならない相手じゃないか……。そんなヤツに、心を乱されてどうする?)

しかし、久々知はそう自分に言い聞かせながらも気付いていた。自分が、どうでも良い相手に対して、何かを思えるほど情深く無い性格である事を。

(…………けれど、それならどうしてこんなにイライラするんだ?)

に対しての、好意的と思えない感情が疼く。情とは、情けとは、こんな感情だったのだろうか?
世話になった相手に贈り物をしたいと言っていた竹谷は、太陽のように明るい顔をしていた。あれと比べて、久々知は今の自分を振り返る。との夜は、常にどこか苛立ちを覚えた。初めて出会った頃よりも、深くなっているように思えてならない。
久々知は文を広げ、目を通す。予想した通りで、内容は忍務に関する催促だった。
濃い墨の臭いが鼻につく。
に贈った菊の香りを、もう一度感じたいと思った。





















笑う月が昇る頃、久々知は再び遊廓の大門を潜った。相変わらず耳障りな男たちの浮足立つ声がしていたが、それでも初めて来たときよりも慣れただろう。
朱色の格子の向こうで、妖しく手招きをしている女郎たちには目もくれず、華屋に直行した。店先では、妓夫が客引きをしているところだった。久々知の姿を見て、愛想の良い笑顔を向ける。そこへ丁度遣手が出てきた。また見世の指示出しをするつもりだったのだろう。

「まぁ、坊やまた来てくれたんだね。それにしても……最近はこういう若い子も、見世に通うようになっちまったんだねぇ」
「どうも……」

いったい誰と比べているかわからなかったが、久々知は適当に挨拶をした。

「どうせまただろう?あの子は今、客の相手をしているからまた後で出直しておいで。それか、他の女郎を紹介するよ。きっと坊やみたいな綺麗な顔をした子なら、花魁でも可愛がってくれ―――おや?」

いつの間にか、遣手の前から久々知の姿は消えていた。あっという間の出来事で、遣手は辺りを見回してしまう。だが、通りにいるのは久々知よりも遥かに年上の金持ち男ばかり。

「まるで忍者みたいな子!」

一方、遣手の横をすり抜けて、久々知は既に調べておいた侵入ルートである天井裏に潜入していた。この見世は繁盛しているためか、天井板がしっかりとしていて、多少急ぎ足になっても天井板が抜ける事は無い。足元から聞こえてくる三味線や女の笑い声を耳にしながら、の部屋へと向かった。
行ったところでどうにもならないし、自分がなぜの元へ急ぐのか、久々知本人にも良くわからなかった。だが、進む足は止まらない。一歩一歩音を立てないようにしての部屋を目指す。

「あ……っ」

僅かに艶めかしい女の声が耳に届いた。その声がは綺麗に結いあげているはずの黒髪を振り乱して、白い肌を赤く染め上げ、珠のような汗を滲ませている。うっとりと、身体に打ちこまれる快感の波に溺れていた。天井に隠れる久々知の存在には気付かず、ただ甘い声を出して男に懇願している。

「あぁっ!そこ……っ、……あんっ!は……んっ!」
「はははっ!ここか?ここが良いんじゃろう?」
「あ、い……っあ!あぁあっ、やあ……!」

中年の男は、羽織っているだけの上着からして、相当の権力や経済力を持っているだろうと推測される。それに女慣れしているのだろう。を組み敷いて、陶酔したように腰を振っている。
久々知は、以前天井裏から見たときよりも遙かに上回る感情の波に、思わず胸を押さえた。袂をぎゅっと握り、その場を離れようとしたが、衝撃的な光景に目が離せなくなった。
やがて、金持ちの男は一度動きを止め、の頬にねっとりと触れながら言った。

「くくく……。実に美しく、身体も申し分ないぞ」
「ありがとう……おざんす……」

息を見出しているの顎を上に向かせ、男は紅の引かれた唇に自分のそれを押し当てた。至近距離で、にニタリと笑い掛ける。もそれに応えてにっこりと満面の笑みを見せた。

「お前は、いつも素直で愛いヤツじゃ……。中に子種を出しても、文句の1つ言わぬ。女郎の鏡よのぅ……。ふははははは!」

男の低くていやらしい声が、久々知の頭に直撃した。熱が頭に一気に駆け上がってくる。

(『いつも』……?『中に子種を』……?)

感情だけが先走り、男が発した言葉の意味を考える。
考えるまでもなく、言葉通りである事にようやく気付いて、久々知は言い知れぬ怒りを感じた。これほどまでに怒りを感じた相手は初めてだった。
いつの間にか中年の男は去り、豪華な部屋にはぽつんとだけが残された。この瞬間まで、久々知は自分を抑えられた事を褒めてやりたいと思った。
天井板を音も無く外し、の背後に降り立った。は乱れてしまった衣服を整えている最中だったが、久々知の気配に振り返る。さほど驚いた様子も無く、膝を突いたままの久々知を見て嬉しそうに微笑みかけた。まるで、いつものように。

「まぁ……、兵助様じゃありんせんか。けんど、どうしてここに?花代は支払ったのでありんすか?」

久々知が顔を上げ、視界に入って来た。その首筋には、いくつもの赤い華が咲いている。
菊の花の香りは、どこにも感じられなかった。

「やっぱり、金ですか?」

久々知はゆっくりと立ち上がり、を上から見下ろす。大きく開いたままの襟元に、乱れた黒髪ははただ久々知を見つめた。久々知が何に対して怒っているのか、まるでわからないという様子だった。そんなの態度に、久々知は益々怒りを露わにする。

「金のためなら、子を身籠っても文句は言わないんですか?それとも、金持ちの男に媚びるため、子を身籠った方が都合が良いですか……!?」

久々知は拳を握る。指が白くなるほど強く。

「この前、あなたが痘痕だらけの男と寝るのを見ました……。あのときは心打たれたけれど、あの男は名のある大名だ。男と寝る代わりに、多額の金を受け取っていたんでしょう?」

今にして思えば、あんなに醜い男とタダで寝るはずがない。

「何とか言ってください!」

答えを待つ久々知に対して、は目をゆっくりと細めて口を開いた。





あちきは、女郎でありんす故





その答えは、久々知が1番聞きたくないものだった。

「あなたは、金のためならどんな男にも足を開く、汚らわしい女だ……!!」

遊女に対してそう思った事は何度もある。だが、こうして本人を前に口汚く罵ったのは初めてである。
久々知は興奮しきったように怒りをぶつけ、しんと静まった部屋を前にして我に返った。視線をに戻すと、静かに久々知を見ている。優しい笑みは相変わらずのまま。

「素直な方は、好きでありんすよ」
「?!」

は動けずにいる久々知に近づいて、そっと手を伸ばした。白い手が頬に触れる瞬間、久々知はハッとしてその華奢な手を跳ね退けて後ずさる。

(この女は危険だ……!)

にこれ以上心を乱されるのは恐ろしかった。忍びとしての信念を壊されてしまう。自分が自分でなくなってしまうように思えてならない。だから、だから―――
久々知は、ぐっと奥歯を噛みしめての部屋を飛び出した。

「兵助様?!」

が廊下に出たとき、既に久々知は姿を消していた。足音さえも聞こえてこない。

「兵助様……」

は、久々知が向かったであろう先を見つめるだけ。茜色の灯りが漏れるこの見世からは、一歩も出る事は許されないのだ。
このとき、は気付いていなかった。の部屋にある茶筒が、久々知の手によって入れ替えられていた事に。





久々知が入れ替えた茶筒に、何が入っているのかは言うまでもなく。