竹谷編1


朝食後、竹谷は1人学園長の庵に呼び出しをされていた。いったい何で呼び出しを受けたのか、その理由は本人が1番良くわかっていたので呼びに来た雷蔵に『わかった』と短く返事を返した。
竹谷は庵の前に来ると、障子越しに声をかけた。

「失礼します。5年ろ組の竹谷八左ヱ門、お呼びとあって参りました」
「入りなさい」

皺枯れた声に導かれて竹谷は障子を開けて中へと入った。座布団の上に座っている学園長にお辞儀をすると、竹谷は正面に正座で座った。その表情は暗い。
学園長は少し考え込むような仕草をする。

「なぜ呼び出しを受けたのか理解しておるかのう?」
「はい……。先日の房中術の件ですよね……」
「左様」

くの一教室では5年生になると、必ず色の授業―――房中術の実習が盛り込まれる。色で相手を惑わし情報を収集や暗殺をするくの一を目指す者ならば、避けて通れないものだ。そして、忍たまはその房中術の相手役を教師陣により選抜され、くの一の実習に付き合うことになっている。主に選ばれるのは5〜6年生が中心だ。竹谷もその1人だった。
房中術の実習相手にまさか選ばれるとは思っていなかった竹谷は内心困惑していた。相手の顔を知るのは実習当日の夜で本番直前なため、いったい誰が相手かわからず緊張も高まった。もしかすると見たことも無い、話したことも無いようなくのたまかもしれない。
ところが実習本番の夜、与えられた一室で待っていたのは同じ生物委員会のくのたまだった。竹谷と委員会で仲良く話もしていたし、顔はもちろん知っている。友達という立場にあった彼女を抱くことは竹谷に複雑な思いを抱かせたが、それでも実習。しかも彼女のための実習だったので、竹谷は経験の無い中で精一杯出来ることをした。



しかし―――



「……泣かせてしまいました」



くのたまの彼女は竹谷に抱かれた直後、大粒の涙を流して泣き出した。これが精神に余裕を持って快楽に流されないようにするための訓練であることもすっかり忘れ、彼女は赤子のように号泣した。何度理由を聞いても竹谷があやしても、彼女は首を横に振るだけで理由を話そうとしなかった。嗚咽だけが漏れ、ついには声を張り上げて涙を零し続けた。
結局騒ぎを聞きつけたシナが駆け付け、彼女を部屋へと下げさせたのである。
あの夜のことを考えると竹谷はズキズキと罪悪感で胸が強く痛んだ。くの一には何度も痛い目にあってきたが、少女を泣かせてしまったという事実が竹谷に重くのしかかった。しかも彼女は同じ委員会の友達である。
俯いた顔を上げて学園長を見つめる。

「オレが酷くしてしまったのかもしれません。オレは全然そういう経験も無いですし……、だからあんなに泣かせてしまったんだと思います……」
「いや、竹谷のせいではなかろうて」
「理由を話してくれたんですか?」
「いいや」
「だったら―――」
「くの一を目指す者は、多少のことで感情に流された行動を取ってはならん。多少の痛みや不快感は押し殺さなければならんところじゃ。故に、あの実習のことはあちらに非があるじゃろう。竹谷が自分を責める必要は無いんじゃよ。厳しいことを言うようじゃがな」

もはやこう言われてしまうと竹谷はただ口を噤むことしか出来ない。友達を傷つけてしまったという事実だけが残り、肩を落とす。

「……彼女は今どうしていますか?」

あの実習以来一度も会っていないため、今どういう状況にあるのかサッパリわからない。
学園長は竹谷の問いかけに難しい表情に変わった。

「そのことなんじゃがな、今身の回りを整理している」
「え……?」

一瞬何を言われたのかがわからず竹谷は聞き返してしまった。

「自主退学を希望しておってのう……」
「そ、そんな……っ?!」

思わず両手をついて前に出てしまった。その両の掌から嫌な汗がどっと出た。

「たたたたた退学って……、やっぱりオレが……っ!!」
「竹谷、少しは落ち着かぬか」
「だッ、だけど!!」

自分がしたことで友達を退学させてしまうほど追いつめてしまっていたとは。竹谷は頭がぐらぐらと揺れている気がした。

「もう決まったことなんですか?退学って……」
「退学届を受け取ってしまったからのう。こちらとしては優秀なくのたまを無くすのは惜しいが、届を拒否することは出来ん」
「……うぅ……、オレ、何てことを……っ」

竹谷はボサボサの頭を抱えて苦悩の唸りを上げた。
退学届が受理された今どうしようも無いのだが、それでも悔しさと胸の痛みが内側に広がっていく。

「本人は退学の理由に家の都合だと言っておったわい。じゃが……、わしも先日の実習の件は気になっておるところじゃ」
「でも、無理やり聞き出すのは……」

意に沿わない相手と肌を重ねたことは相当な苦痛だっただろう。ここで無理に理由を聞き出すことは躊躇われた。何よりこれ以上彼女のことを傷つけたくなかった。

「それに、オレとはきっともう会ってくれないと思いますし……」
「本人に直接聞き出すことが出来ぬが、原因は今後のためにも知る必要性がある。そうじゃろう?」
「は、はぁ……そうですね」
「そこでじゃ!」
「え?」

ポンと皺だらけの両手を合わせ、竹谷に学園長はウィンクをしてみせる。これは学園長が何かを企んでいるときの顔であることを竹谷は知っている。

「竹谷には今夜、花街へ出向いて貰う事にしたからのう」
「か、花街………って、遊廓じゃないですか?!どうしてそういう話になるんですか!」

遊廓―――それは人間の欲望と金が集まる夜の街。女たちが凌ぎを削って地位と男と金を奪い合い、また男は女の色と情けを買う場所だ。まさに竹谷が生きている場所とは別世界で、自分とは縁遠い場所だと思い込んでいた。

「花街の娘らは色に良く通じておる。ならば専門家の意見に耳を傾けてこんか」
「せ、専門家って……!?でも、オレはもうしばらくそういうことは……」
「残念じゃが拒否権は与えぬぞ。既に手配してあるからのう」

ひらりと学園長は懐から1枚の折りたたまれた紙を取り出して広げて見せた。そこには遊廓の地図が描かれていた。そして朱色で印がつけられている部分があり、そこが目的の店であることが直ぐにわかった。

「何か色々と早過ぎます!!」
「そうじゃ、早くせんとならん。早くせんと、彼女がこの学園を出ていってしまうからのう」
「!?」
「竹谷、しっかり勉強してくるんじゃぞ」

そして笑う学園長に対し、竹谷は更なる問題が増えたように思えてならなかった。しかし、学園長からの命令に逆らうわけにもいかず、しぶしぶ遊廓の地図を受け取って庵を後にした。
せめて今夜、夜道を月明かりが照らしてくれることを祈った。




















遊廓の唯一の入り口であり出口である朱色の大門を潜れば、そこはまさに別世界。赤い提灯が何百と見世の前にぶら下がり、金のある大名や馴染みの客を呼び込もうとしている妓夫の姿が目立った。通りを歩く男たちも、どこの天女と杯を交わそうか浮足立っている。ここでは僧侶も商人のどら息子も関係無く、ただの男に成り下がるしかない。
夜の闇に浮かび上がる月の国のようなところだと言う者もいたが、納得せざる負えない。竹谷は慣れない遊廓の空気に、ポカーンと口を開けて見回すばかりだ。

(はっ!こうしていられない……。このまま棒立ちしていたら別の見世に声を掛けられるかもしれねぇしな)

竹谷は好奇心と恐怖心を入り交えながら遊廓の奥へ奥へと進んでいく。足を動かすごとに甘ったるい独特の匂いが強くなっていくような気がした。
竹谷が擦れ違った中年と思われる男が顔を顰めた。

「おい、あの坊主はどこの良いとこの坊っちゃんだ?あんなガキがこの遊廓に来るとは」
「どうせどこかの商家の息子だろ?親にせびって遊ぶ金でもたんまり貰ったんじゃないか?」
「好奇心旺盛で精力も旺盛ってことだな!わははは!」
「っ!」

下品な男たちの会話に竹谷は怒りが湧いてくる。しかしここで何か言い返しても何にもならないだろう。男たちも、まさか竹谷が忍者の卵で実習のためにここへ来たとは思うまい。第一言い訳をしたところで形はどうあれ、竹谷は女を買いに来たのだから。

(ったく、ここにはろくなヤツがいねぇな)

イライラしながら目的の見世へ辿り着いた。朱色の大きな暖簾が垂れ下がり、格子の向こうには10人ほどの遊女たちが待機して男たちを誘っている。
どうやって中へ入るべきなのかわからずに戸惑っていると、遣手らしき中年の女が見世から出て来た。遊女たちよりも地味な格好ではあるが、十分良い生地であることくらい竹谷にもわかった。

「まぁまぁ、アンタが忍術学園からの?」
「は、はい。竹谷八左ヱ門って言います」
「うふ、ここへ来るのは初めてかい?」

にんまりと赤い紅の唇が弧を描く。

「そうですけど……」
「あんまり力まないで良いわよ。うちの見世は忍術学園から依頼を受けていることもあるから。さぁさお入んなさい。花代はもう貰ってるからね」

背中をポンポンと押され、竹谷はおずおずと薄暗い通りから明るく照らされている見世の中へ入った。幾ら分の油を1日で使ってしまうのだろうか。

「おあがりんなるよー!!」

大きな良く通る声を張り上げて、遣手は竹谷を幅の広い階段を上がって行く。下を見れば、客と一緒に歩く赤や金の豪華な打ち掛けを纏う女郎たちに圧倒されてしまう。うるさい客を相手を宥めたり、客引きのために見世を出たり入ったりしている妓夫があちこちにいた。贅沢に油を使用した灯りで、今が夜であることを忘れてしまいそうになる

(本当にいったいここはどこなんだ……?!)

今更だったが、竹谷は自分がここにいても良いのか考え込んでしまう。
引き付けという部屋へ通され、竹谷はそこで1人残されることになった。

「ここでちょいと待っていておくれ。本当は初会をするもんだけれど、授業の依頼だし散茶にそこまで手間かける必要は無いしね」

遣手はそう言い残して立ち去った。
障子に描かれている龍や花の模様も、座敷に広がる赤い敷物も、酒や焚き物の匂いも全てが珍しかった。雰囲気もう酔ってしまいそうだった。

(散茶……ってことは、やっぱりあんまり美人じゃないのか……?)

花魁と呼ばれる高級娼婦たちは美も教養も兼ね備えた、庶民には手出しできない天女のような存在だ。一方これから会う散茶女郎は花魁よりも位が低く、見た目も教養もそこそこだと言う。
遊女と客として会うだけでも貴重な体験だというのに、やはり男の性というものなのだろうか。自分の欲が恥ずかしく思えた。
しばらく待っていると、足音が聞こえてきた。スッと障子が開き、さきほどの遣手が顔を出す。

「待たせたね。コレがアンタの相手をする女郎だよ」

遣手の隣には、膝をついて頭を深く下げている女郎がいた。頭には鼈甲の簪をいくつも付け、天神髷を結っている。

「では、おしげりなまし」

竹谷が何かを言う前に遣手は去ってしまった。この部屋に残されたのは、顔を伏せっている散茶の女郎と竹谷のみ。

「え、えぇと……顔を上げてくれないか?」

いつまでも顔を上げようとしない女郎に対して竹谷はそう言った。すると、女郎はゆっくりとした動作で顔を上げる。ただそれだけの仕草だというのに、竹谷は何て気品があるのだろうと思った。
顔を上げた女郎は20歳そこそこで、真珠のような肌を持つ絶世の美女であった。釣り上がった瞳には桃色が置かれ、唇は血のように鮮やかな紅が引かれている。口元には小さなほくろが存在しており、女郎の色気を引き立てている。その姿は、着物と同じく大輪の牡丹のような存在感のある天女だった。指先は白魚のように白く細く、触れたら折れてしまいそうな印象である。

(どこが散茶なんだ?どう見たって太夫じゃないか?!)

てっきり格下の女郎が来るとばかり思っていた竹谷は焦りを隠せない。美しさだけならば太夫にだって劣らない容姿に竹谷は更に緊張が高まってしまった。でも、目を逸らすことができず釘づけになってしまう。
前に作られた金色のお太鼓帯に、夜でも美しく映える真っ赤な打ち掛けにも劣らない美しい女郎。同世代にはない大人の色気。竹谷は全身の血が駆け巡るのを感じて口を開けては閉じ、開けてはまた閉じるという動作を意味も無く繰り返してしまった。

「えっと……!こ、こんばんは……!オレは竹谷八左ヱ門って言います……」

うろたえて真っ赤になった竹谷に、女郎は目を細めて薄く笑う。それだけでも竹谷の心臓が跳ね上がった。

「こんばんは、初めまして竹谷様。ようこそお越しくんなました。あちきはと申しんす」

凛と響く声で女郎―――は挨拶をした。

さん……?」
「あい、そうでおす」

独特の廓言葉で返事をしたは、蝶のように艶やかだ。

「ふふ……、今夜はあちきを可愛がってくんなんし」

そう言って、はくすくすと竹谷に艶やかな微笑みを浮かべて見せた。
これが、2人の出会いである。