拍手ログ1 執事パロ


<立花仙蔵編>

「お嬢様、いけません。早く支度をなさってください!」
「絶対に嫌ですわ!わたくし、絶対に行きません!」

そう金切声を上げて、お嬢様は女学院の制服から着替えようとしない。ツンと小さな子供のようにそっぽを向いている。こうなるともう持久戦になる事を、私は長年の経験から知っている。

「前も私がいないとき、ダンスの稽古に行かなかったそうじゃないですか。そんな事では、いつまで経っても上達しませんよ!」

もう直ぐ大川財閥主催のパーティーがあるというのに、このままではお嬢様が壁の花となってしまう。由緒ある家柄のご息女として、それはどうしても避けたい。
お嬢様は頑なに首を横に振った。苦虫でも噛み潰したように、眉間には深い皺が刻まれている。

「わたくしには社交ダンスなど不向きなのですわ!なぜあのような踵の尖った靴を履いて、くるくる回らなくてはならないの?!」
「お嬢様は踊りがとてもお上手ではありませんか」
「それは日舞の話でしょう!」

言われずとも知っている。
お嬢様は代々続く日舞の家元のご息女だ。幼子の頃から厳しい稽古を重ね、既に師範代の腕前である。普段からその様子を見ている私でさえ、お嬢様の舞には見惚れてしまうくらいに。
踊りは踊りでも、お嬢様は社交ダンスがとにかく苦手だ。というか出来ない。聞きなれない西洋の音楽に合わせて体を動かす事が難しいらしい。それに日舞では着物を纏うが、社交ダンスではドレスを着たり、凶器のように細いヒールのパンプスを履かなくてはならない。足袋を履いて着物で踊っているお嬢様からすれば、それは拷問に等しい。

「日本人ならば、パーティーも全て日舞で踊るべきですわ!」
「しかしお嬢様、社交場では西洋のダンスが基本です。パーティーに来られる方は皆ダンスを嗜んでいるものです。世の常なのですよ」
「仙蔵、わたくしがその道理に従うと思っていますの?」
「いいえ。ですが、お嬢様が騒いでもパーティーの日はやって来ます。大人しく稽古に行ってください」
「……仙蔵、あなた、ダンスは踊れて?」
「は?」

いきなり何を言うんだろうか。お嬢様はにんまりと笑い、私に踏ん反り返ってみせた。こういう顔をするときのお嬢様は、本当にろくでもないと決まっている。

「仙蔵は自分がダンスを踊れないのに、それをわたくしにやらせようとしますの?自分でも出来ない事を、やれやれと言うなんて、おかしいですわ。仙蔵に出来ない事は、わたくしにも出来るわけありません」
「…………」

本当にこの人には呆れてしまう。子供っぽいところがあるとは思っていたが、こんな理屈にもならない事を堂々と言うとは……。
絶句している私に、『降参ですのね!』と自分の謀が成功したかのように笑う。
だから、

「失礼します、お嬢様」
「え……?きゃっ?!」

私はお嬢様の手を取り、腰を支えてステップを踏む。私がしっかりと支えているせいか、お嬢様は私に合わせて華麗なステップを踏めている。本番はこの部屋のように畳の上ではないし、音楽も流れているだろうが、今お嬢様は立派に踊れていた。
お嬢様は私がこんなに上手く踊れると知らなかったらしく、ただポカンとして私を見つめている。お嬢様が私と回る度に豊かな髪が舞い、女性特有の甘い香りがした。その香りにくらくらしてきて、私は誤魔化す様に足を止めてお嬢様から少し離れた。

「どうですか?お嬢様。私のダンスはなかなかだったでしょう?」
「…………」
「『仙蔵に出来ない事は、わたくしにも出来ない』。そうおっしゃいましたが、私はダンスが踊れます。ならばお嬢様にもダンスは踊れるという事になりますよね?」
「…………」
「ならば、さっさと支度をして稽古に行ってくださ―――お嬢様?」

いきなり振り回してしまって、怒らせてしまっただろうか?しかし、その考えは杞憂に終わる。

「す……すごいわ仙蔵!わたくし、今ダンスを踊っていましたわ!!」
「お、お嬢様?」

目をキラキラと輝かせ、頬は興奮して紅色に染まっている。こんなに嬉しそうなお嬢様は久しぶりに見た。不覚にも、可愛いと思ってしまう。

「わたくし、ちっともお稽古では踊れませんでしたのに!仙蔵が一緒ならきっと踊れますわ!仙蔵、パーティー当日はわたくしと踊りなさい!」
「そんな……。社交ダンスは、使用人と踊るようなものではありませんよ。男性と交流するためにダンスをするもので―――」

そうだ。もしかすると、お嬢様の未来の旦那様も現れるかもしれない大切なパーティーだ。使用人である私が、お嬢様のお相手が務まるわけがない。

「……仙蔵は、わたくしと踊るのが嫌ですの?」

そんな風に言われて、断れるわけがない。他でもないお嬢様の頼み。そして、お嬢様は私を選んでくれた。ならば、私の答えはたった1つ。

「承知しました、私のお嬢様」

そっと手を取り、白い手の甲に口付けを落とすと、まるで真っ赤なバラのように頬を赤らめてくれた。
















<食満留三郎編>

つい数ヶ月前まで、あたしを取り巻く環境はガラッと変わってしまった。
あたしの父は炭鉱で働いていた。母は物心つく頃にはもうこの世にいなくて、私は父と2人で生きてきた。貧しかったけれど、父はあたしを大切にしてくれて、とても幸せだった。
でも、あたしのささやかな幸せは簡単に壊れた。炭鉱で落盤事故が起き、父はそれに巻き込まれて亡くなった。悲しみに暮れる暇も無く、身寄りの無いあたしは孤児院へ身を置く事に。
だけど、そこでの暮らしは本当に酷いものだった。いつも飢えていて、病気になってもお医者様に診てもらう事なんて出来ない。孤児院は結局上手く運営出来なくなって、あたしは道端に放り出された。
冷たくて暗い路地で震える毎日。もういつ死んでしまってもおかしくなった。でも、神様はあたしを見捨てなかった。

「おい、大丈夫か!?しっかりしろ!!」

薄れる意識のあたしに手を差し伸べてくれた人。
それが大川財閥の執事をしていた、食満留三郎さんだった。
















大川財閥の広い邸宅にある自慢の池の傍で、私はぼんやり悠々と泳ぐ鯉を眺めていた。すると肩を軽く叩かれる。

「お嬢、何しているんだよ。あんまりぼーっとしてると、池に落ちるぞ?」

食満さんは得意の大工仕事に精を出していたのか、ジャケットを脱いでパリッとしたシャツを腕まくりしていた。普段はつけているネクタイも今はしていない。
あたしはというと、今華族の間で流行しているワンピース。繊細なレースが襟元にあしらわれていて、とても可愛い。少し前のあたしが着ていたボロボロの薄汚れた着物とは、何もかもが違う。

「……ご、御機嫌よう、食満……さん」
「……ははっ、ガッチガチだなぁお前」
「わっ、笑う事無いじゃないですか」

こちらは必死に育ちが良さそうな言葉を選んで話しているというのに、笑われるなんて……。

「初めて会ったときよりずっと成長してるし、話し方なんてそこまで気にする事ねぇんだぞ?」
「でも、わ、わたくし、大川財閥の養女にしてもらえたのに、ちゃんと出来ないと笑われます」

慣れない言葉遣いも、色々なお稽古も、食事の作法も、あたしが知らない事ばかり。
だけど、しっかり覚えなくちゃならない。食満さんがあたしを偶然見つけて、助けてくれて、大川財閥の養女にまでしてくれたんだから。この恩にはしっかりと応えていきたい。
あたしが力んでいるのが伝わったのか、食満さんは大きな手をあたしの頭にポンと乗せた。きっとお兄ちゃんがいたらこんな感じなんだと思う。

「お嬢は十分頑張ってるよ。だけどな、しっかりしようって焦るのは禁物だ。そんなに早く何でも出来るようになったら苦労しねぇし」
「……食満さん」
「ん?何だ?」
「どうしてあたしを大川さんが養女にしてくれたのか、その理由がわかりません……」
「えっ?!」
「だって、華族や豪商のお嬢様でも何でもないんですよ?あたしみたいな、道端で震えているような孤児を拾ったって……」
(言えねぇ。ただの思いつきだなんて、言えねぇ……!!)
「食満さん?」
「ああ、いや、何でもない」

食満さんは何かを誤魔化すようにあたしの頭をごしごしと撫でる。ちょっと痛かったけれど、そのままにしておいた。

「あの人は損得勘定で人を選ぶような事はしねぇよ。それはお嬢だってわかってるだろ?あの人は、色々な子供に未来のチャンスを与えてくれるんだ。オレもそうだった」
「食満さんも?」
「ああ。オレは大川財閥が運営する孤児院出身だからな」
「え?!そうだったんですか……」

その事実に驚きを隠せない。食満さんは立派な大川財閥の執事だから。

「オレもそこまで大層な人間じゃない。大工仕事が少し得意なだけだ。執事っていう柄でもねぇし。でも、あの人はオレを雇ってくれた。『人間、得意な事は1つで良い。それを伸ばして伸ばして伸ばすんじゃ!』って言ってくれた」

食満さんは当時を思い出しているのか、何だかとても嬉しそうに話してくれる。

「お嬢も同じだ。せっかくのチャンスを無駄にすんなよ。これから少しずつ覚えていけば良い。辛いときはオレがいつでも飛んでいくからな!」
「はい!!」

食満さんの大きな手に撫でられて、あたしは幸せを噛みしめる。
あたし、ここに来られて良かった。食満さんと出会えて、本当に良かった。


2018.12.31 更新